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北条早雲 家訓21か条

常中魂
目次

家を栄えさせた人は、どのような家訓を遺したか

 「日本人とは何か」を考えるときの一つの参考に、偉人たちが自分の家族・一族・家来たちに遺した家訓を見ることが参考になる。
 例えば、北条早雲の家訓や、武田家家訓などが有名だ。
 そのなかで今回は、北条早雲の家訓「早雲寺殿21か条」を見ていきたい。

北条早雲とはどんな人物か

 ところで、北条早雲とはどのような人物だろうか。
 火坂雅志さんの北条五代上巻に、北条早雲38歳時点の描写として次のようにある。

鼻梁高く秀で、目尻の切れ上がった鋭い目の奥に野心的な光がある。
均整の取れた貴族的な風貌だが、顎が張り、内部に秘めた強靱な意志を表すように厳しく引き締まった口元をしていた。

北条五代(上巻)より

 もちろん、火坂さんの創作上の描写だが、「さもありなん」という印象を受ける。
 早雲の父は、伊勢盛定という。備中国(岡山県)荏原(えばら)荘の桓武平氏流の地侍で、高越城(岡山県井原市)の城主であったらしい。

 北条早雲は、自らは北条姓を名乗ったことは無く、伊勢宗瑞など「伊勢氏」を名乗り続けた。「北条」を名乗るのは、子の氏綱の代になってからだった。
 現在一般的に「北条早雲」という名で知られるが、自らは伊勢新九郎盛時、伊勢宗瑞、早雲庵宗瑞を名乗ったわけだ。

北条氏綱は、なぜ「伊勢」から「北条」に姓を変えたのか

 結論から言うと、改名の根拠は「分からない。」

 佐脇栄智氏の論文「北条氏綱と北条改正」によると、改正の時期は大永3年(1523)のことだという。なぜ改名したかについては、「相模の支配をするためには、北条姓を名乗れば、鎌倉執権北条氏と混同して正当性を主張しやすかったから。」(文責尚爺)だったのではないか、という。

 おそらく、「北条氏も伊勢氏も、桓武平氏の流れを汲むので祖先は同じだ」程度の理由付けだったのだろうと想像する。

北条早雲はどんなことをした人か

 西の備中や京から伊豆に拠点を移し、堀越公方を滅ぼして南関東一帯を治めた室町後期の武将。
 その早雲が遺した家訓「早雲寺殿21か条」は、戦国大名の家訓の代表の一つとして知られる。

早雲寺殿21か条(北条早雲家訓)

ウィキペディア:北条早雲像

 1 神仏を信じ、うやまうこと。

日本例話大全書より(以下早雲寺殿家訓の引用は同)

 自らの力しか信じられないような戦国の世であっても、「神仏を信じ、敬うこと」これを家訓の第一に挙げているところに注目したい。

 これこそ日本人の根本的な心の持ちようなのではないか。「武」の時代であったも「人智を越える何者かがあると感じ、謙虚に自らを慎むことこそ、日本人の心の有り様として大切である」と説いている。

2 早起きを心がけること。遅く起きると、下の者たちまで気が緩み公私の用事に差し支え、やがては主君から見限られてしまうことになる。朝は寅の刻(午前4時)に起き、行水して身を清めた後、その日の用事を妻子らに指示し、六つ(午前6時)前に出仕すること。

 4時起きというのはなかなかつらい。だが、「遅く起きると自分だけで無く、下の者まで気が緩む」ということは、よく分かる。植木等さんの「猛烈社員」を思い出すのは、昭和生まれだけか。

3 夜は五つ(午後八時)前に寝ること。夜に無用の雑談をし、夜中に眠り込むと、家財を盗まれたりして、恥ずかしい思いをするからだ。

 「家財をぬすまれるのは、恥ずかしい」という感覚が、戦国。「用心を怠るのは怠る方が悪い」「隙を与えてはいけない」という教え。

4 手水(手洗い)を使う前に、厠(便所)・庭・門外まで見て回り、掃除するべき所を指示しておくこと。水は大切に使い、手水は手早く済ませること。

 厠の周り、洗面所の周りをきちっとしておかないと、暗殺の危険がますので、当然の配慮。

5 礼拝は欠かさないこと。祈りは穏やかな心で正直に行うことが大切。

 1と同じだろうか。

6 刀や衣服は他人の真似をしないこと。身なりは見苦しくない程度にとどめること。

 現代の感覚だと、理解しずらいかも知れない。戦国の世では、おしゃれに意識が向かいすぎれば自らの命を縮める。

7 出仕するときはもちろん、家に居るときも髪を手早く結び、だらしない姿は慎むこと。

 自らの心を整えるためにも、身だしなみは当然だろう。

8 出仕の時は、いきなり主君の前に出ないで、次の部屋に控え、同僚の様子を見届けてから主君に会うこと。

 ちょっとずるい気もするが、同僚の様子を見て、自分の行動を決めよということか。
 主君の心の有り様を推し量り、「今日は会うのを止めておこう」とか「よし、会おう」とか決めたり、「会うにしても、今日は注意だ」などと判断する?
 それくらいの用心が大切だと言うことだろう。

9 主君から命令を受けたときは、遠方への要件でも、まずは応諾の返事をすること。

 まずは「はい、やります」と言いなさい、とは私の若いころも先輩からよく言われた言葉だ。「君の実力を見込んで推薦するわけだから、断れば次は無いと思いなさい。」と、ありがたい諸先輩の言葉を思い出す。

10 主君の近くで話をしている人が居るなら、その人のそばに寄らないこと。そのような場所で雑談や大きな声で笑うことは、目上の人や同僚からも軽蔑される

 言わずもがな。社長など上司が話をしている近くで気になる声で話したり騒いだりしたら、常識を知らない人間と評価されて当然。

11 何事も他人を立て、その意見をよく聞くこと。

 「意見をよく聞く」ことは当然。だが、どこかの国の総理大臣のように決断できないのは困りものだ。決断力を持つ、北条早雲だから、「自分が決断するのは当たり前」という前提で、「聞くことが大切」と言っている。

12 本や手帳を常に持ち、時間があれば文字を覚え、勉学に励むこと。

 早雲は若いとき、今川家(姉の嫁ぎ先)の家督争いで、何とか解決にこぎ着けたが、その解決は一時しのぎに過ぎなかった。その程度の解決しか出来ない自らの非力を自覚し、その後寺に入り猛勉強をしている。早雲は、戦国時代であっても学問が大切であることを知っていた武将だった。

13 上の者に出会ったときは、腰を心持ち折り、手をつくような姿勢で通ること。

 目上に対する所作も大切。

14 上の者、下の者を問わず、嘘をつかないこと。自分の嘘を人から追及されることは、一生の恥と思いなさい。

 兵法で、「兵は詭道なり」と言うが、「詭」は、相手をだますということではない。「相手の心理をコントロールして動かす」こと。

 あくまで、「言」は「真実」でなくてはいけない。「真実」をつなげているが、「相手の心を自分の意図する方向に、相手自らがあたかも自分で決定したかのようにマインドコントロールすること」が詭道。

 嘘は恥ずべきこと。詭道は、武士としての高等技術。難しい。

15 歌を学ぶこと。

 一流の武士は、芸術にも素養が無いといけない。

16 閑を見つけて乗馬を習い、手綱さばきに熟達すること。

 武士としての素養として、乗馬は当然。現代で言えばコンピュータを自在に扱えるなどか。

17 良い友は手習いや学問が好きな人の中に居り、悪友は碁や将棋、笛などが好きな人の中にいる。人の善悪は、すべてその友によるということ。

 類は類を呼ぶ。「友は選びなさい。」

18 家に帰ったときは、表から裏に回り、人や犬などが入ってこないように、用心を怠らないこと。

  用心が肝心。

19 夜は六つ(午後六時)に門を閉め、人の出入りの時だけ開閉すること。

 武士の門限は早かった。

20 台所や居間の火に注意すること。

 火の用心だね。

21 常に文武、弓馬に励むこと。文を左に、武を右に兼備することは古来からの教え。

 「文武兼備」が、早雲の教え。「文武不岐」の水戸学にも通じる。

これが、北条早雲の家訓。

          

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