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牧野富太郎の真実の人生【朝井まかでさん作の評伝小説『ボタニカ』から】

目次

2度目の上京

富太郎は、念願の2度目の上京を果たす。
(もしかすると、『猶から逃れるため』だったのかもしれない。)

今回の上京の連れは、友人2人。友人たちはどちらも、大学予備門への受験が目的だった。

連れが竹雄(和之助)ではなかったのは残念。
「らんまん」を観た者にとっては、てっきり連れは竹雄であったと勘違いするが、実質一人での上京だった。

富太郎は、飯田町の長屋の二階に下宿を定め、そこで郷里佐川の暮らしそのままの採集生活に入った。

東京大学を訪ねる

富太郎は、正装をして東京大学を訪ねる。
博物館の小野 職愨(もとよし)先生の紹介状をもっている。

ようやくの思いで、別館の医学部植物学教室を探り当てた。

「谷田部先生は、おいでですろうか。」

と、小野先生の書いてくれた紹介状を見せる。

矢田部教授は、30半ばの年頃で洋装がいかにも身に付いた紳士だ。
富太郎と対面する洋椅子に座って、快活に身振り手振りを交え、実に機嫌良く話をする。
「ロシアのサンクトペテルブルクで万国園芸博覧会が開催される言うので、我が校からも出品することになってね。四月にようやく腊葉(さくよう)360種を発送したんだが、この件で博物館の小野先生のもとにも、しばしばうかがったのだよ。それでミスター牧野、君の話が出たという訳だ。」
矢田部良吉は、父は蘭学者、母方は沼津藩ということで、幼い頃から、英学と数学を学んだという。
外交吏としてアメリカに渡り、コーネル大学で学ぶも、教授の勧めでボタニー、つまり植物学を修めた。
多分そのはずだと、矢田部教授の口元を懸命に見つめる。
多分と言うのは、しばしば流暢な英語が混ざるからで、斜め向かいに座した松村任三という助教授や、壁際に立っている教室員らが声を上げて笑うと、富太郎も追うように笑顔をつくろう。
内心では、情けなかった。
佐川では、理学はもちろん、和漢、英学でも他人にひけをとることがなく、いつも先頭を歩いてきた。学問仲間を集めて、学問を研鑽し合う場を開き、辞書を片手に英語で論じ合うことも少なくない。
しかし、本物がこうも聞き取りが出来ぬとは、と冷や汗の出る思いだ。
『もっと、英学にも本腰を入れねばならん』
と、胸の中にまた旗を増やした。

「ボタニカ」より

と、「ボタニカ」の中の矢田部良吉教授は、「らんまん」の要 潤(かなめじゅん)さん演じる田邊彰久教授より、社交的に描かれている。だが、後に起こる富太郎と谷田部教授の確執を考えると、最初の印象がこうも好印象だと、ちょっと違和感がある。

やっぱり、もうちょっとねちっこい人物だったのでは、と思える。

松村任三(じんぞう)助教授は、「らんまん」では田中哲司さん演じる徳永政市助教授。
松村先生は、矢田部先生の後に教授になる。

最初は、幾分助けてくれる松村だったが、教授になる頃には、富太郎と仲が悪くなり、大分いじめられることになる。

矢田部教授と中浜万次郎

東京大学の矢田部教授と、富太郎には意外な結び付きがあった。
それは、富太郎の郷里の偉人、中浜万次郎を介するつながりだった。

矢田部教授は、この中浜万次郎に教わったのだという。
ただし、「らんまん」で描かれたような富太郎と万次郎との出会いは史実では無い。

富太郎は、東京大学の植物学教室への出入りを許可された。

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