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らんまん「槙野万太郎」の借金返済を肩代わりした「永守徹」のモデルは誰か

なんと、宮野真守演じる早川逸馬が再登場。「こうきたか」と思わずうなる演出。今回の彼は、万太郎の借金を帳消しにしてくれる「永守徹」と「万太郎」の出会いをお膳立てした。実に劇的。『史実もこうたっだら愉快だろうに。』そう思ってしまう。だが、史実は史実で劇的なのだ。逸馬もかっこいいが、「永守徹(演者・中川大志)」のモデル「池長孟(いけながはじめ)」と、史実の牧野富太郎博士との出会いを演出したのは、なんと朝日新聞の記者だった。

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目次

ブログの要旨

・中川大志さん演じる永守徹のモデルは池長孟(いけながはじめ)
・池長孟は、京都帝国大学法律学科の学生だった。
・池長孟の実家は、兵庫一帯の土地を所有していた大資産家。
・池長孟と牧野富太郎の出会いを演出したのは、朝日新聞の記者たち。
・池長孟と牧野富太郎の契約の場に同席したのは、天声人語でおなじみの長谷川如是閑氏。
・長谷川如是閑が今回の早川逸馬にあたるとも言える。

早川逸馬再登場:槙野家の窮地を救う永守徹との出会いを演出

山桃を訪れた早川逸馬(NHK)

土佐で万太郎が民権運動にかかわっていたときの同士、早川逸馬。
若き逸馬や万太郎は、民権運動で集会を開いているときに警察に捕まってしまう。
拷問に近い尋問を受け、「仲間は誰かを白状しろ」と迫られる逸馬。

だが逸馬は、「万太郎は仲間では無い」ときっぱりと言い切る。
逸馬のこの一言で、万太郎は罪を逃れる。しかし、「自分だけ助かり、自分は逸馬を見捨てた」という心の枷を追うことになった。

あれから何十年。おそらく劇中の万太郎は50歳を越えただろう。
あるとき、妻の寿恵子が営む待合茶屋「やまもも」に、実業家の代理人という土佐の人物が、客として訪れた。

店の前にある「やまもも」の実を口に入れ、「うまい」と一言。そして満面の笑みを浮かべる。
その日の商談と宴会を無事終えた逸馬は、「やまもも」の女将との雑談をする。その雑談を通し寿恵子が万太郎の妻であることに気付いた。

そして、数十年ぶりの再開。
逸馬は、その日のうちに万太郎の家を訪れたのだった。
再開を喜び合いながら語り合うなかで、万太郎の抱える大借金の存在を知ったはずだ。
もはや、故人ではどうしようも無い借金の山を抱えながらも、変わらずに夢を追いかけるかつての同士の姿に感じ入る。土佐の漢(おとこ)早川逸馬は、窮地に陥っている仲間を見てそのままに出来るわけがない。またしても救いの手を万太郎に差し伸べることになる。

再会を果たした逸馬と万太郎(NHK)

早川逸馬は、本当によい漢だ。
宮野真守さんの演技もすばらしかった。若き日の情熱あふれた演技と、年を重ねて重厚さを供えた演技。二つの年代の演じ分けに感じ入る。
宮野さん、俳優としてもすごいよ。

逸馬は、自分が代理人を務める若き資産家、永守徹と万太郎を引き合わせる。
そして、この出会いによって永守徹は槙野家の借金を帳消しにし、さらに万太郎のために研究所を造ってくれることになるはず。

これに似たことが史実でも起こっている。
びっくりしてしまう。作り話では無く、史実なのだ。
日本人には、損得抜きで『日本全体の向上のために』と、財産を投げ出す篤志家が本当にいるのだ。

エネルギーあふれる若き日の逸馬を演じる宮野真守(NHK)

永守徹のモデル:池長孟とはどういう人物か

永守徹のモデルは、池長孟(いけながはじめ)さんだ。
池長孟さんのお父さんは、池長通(とおる)さんという政治家だった。
お父さんの通(とおる)さんは、孟が24歳の時に無くなっている。
お父さんが亡くなった年に、京都帝国大学法律科に入学した。

池長家は、兵庫一帯の土地を持つ大地主であったが、跡継ぎのさんが無くなってしまったので、さんが池長家の跡取りとなっている。

永守徹(モデル:池長孟)NHK

池長孟さんと、牧野富太郎との出会い

富太郎先生と、池長孟さんの出会いを演出したのは、当然早川逸馬という人物では無い。
実際は、牧野家の窮状を伝える新聞を読んだ池長孟さんが、新聞社に牧野先生の援助を申し出たのだった。

ボタニカから:富太郎の窮状を伝える東京朝日新聞

あるとき、朝日新聞の記者が牧野家を訪れた。記者は、東京朝日新聞の渡辺淳吾だと名乗った。
富太郎は、渡邊記者に話す。

僕はもともと金銭に無頓着なたちでね、負債が山積したんです。このたびばかりはその始末に窮しましてね、我が命とも思う標本を断腸の思いで手放す決意をしました。

日本諸国を歩きに歩いて採取し作成してきた標本ですからね、貴重な珍品も多いのです。外国に出せば2~3万円にはなりましょう。近々横浜の商社に出向いて打ち合わせをする予定になっているのです。

これは何年位にわたってつくられたものですか。

幼い時分からですよ。学術的に価値のあるカタチで作成保存するようになったのは、大学の植物学教室に出入りするようになってからですから、23~24歳の頃からでしょうかね。

今数えで55歳でいらっしゃるので、さしずめ30余年にわたっての業績になりますね。

これが、朝日新聞と富太郎の最初の関わりだった。
ではだれが朝日新聞に、富太郎の窮状を知らせたのか。
どうやら、富太郎の親友池野成一郎さんだったようだ。
池野さんは、らんまんでは波多野さんだ。

らんまん「波多野泰久」NHK

こうして,牧野家の窮状は、東京朝日新聞の記事になった。

東京朝日新聞の記事を受け、大阪朝日新聞も記事にする

東京朝日新聞の記事を受け、大阪朝日新聞も牧野家の窮状を記事にした。

『月給35円の世界的学者牧野氏、植物標本十万点を売る』
と見出しに掲げ、「だれか、日本の宝を救ってくれ」と、読者に訴えた。

支援者が二人名乗りを上げる

実際の池長孟さんと牧野富太郎博士

大阪朝日新聞に記事を掲載して間もなく、二人の支援者が名乗りを上げた。
一人は、一人は有名な久原財閥の房之介氏。日立製作所を設立した実業家だ。

もう一人は、京都帝大法科の学生。
新聞社で身元を確かめてみると、養父が大変な資産家。
父上の没後、この青年が当主となって資産を引き継いでいる。
名を池長孟と言った。

青年は、標本を買い取らせてもらう。しかし、その標本は牧野先生に寄贈する、と言っているという。
「こんなことが誠に起きるのか」
と、新聞社の者も牧野先生もしばし言葉を失ったという。

「日本にも、けちん坊でない金持ちがいた。」
こうして、富太郎先生は、池長孟さんから支援をうけることになった。
もしこのとき、日立の久原財閥が支援していたら、牧野富太郎記念館が茨城に出来ていただろうか。

長谷川如是閑:池長孟さんと牧野富太郎先生の間に立つ

長谷川如是閑(萬次郎)氏NHK

長谷川如是閑(にょぜかん)、本名は長谷川萬次郎。朝日新聞の天声人語で名高い記者。
池長家と牧野家で、富太郎の植物抄本と支援金について、正式の契約書を買わすことになった。その仲介人として、同座したのが、大阪朝日新聞の長谷川如是閑(萬次郎)氏だった。
というより、長谷川如是閑の自宅で契約は取り交わされた。

長谷川が契約内容を読み上げる。
池長孟は、牧野富太郎の十万点の植物標本を3万円で買取り、それを牧野富太郎に寄贈する。
ただし、標本は神戸に搬送の上、保管し池長孟氏が植物研究所を設立する。
さらに、池長孟は、牧野家へ月々若干の援助を行う。
牧野富太郎は毎月一回は神戸に足を運び、研究を行う。

長谷川は、「以上、相違ありませんな。」と言う。
双方ともに「結構です」と受け、二通の契約書がテーブルの上に置かれた。そして孟と富太郎は、それぞれに名を記し印鑑をついた。

こうして、契約が成立した。
早川逸馬とは違う形だが、長谷川如是閑たちがその役割を果たしている。
人の揚げ足をとり、誹謗中傷をするだけの言論では無い、日本本来の言論とは、人の役に立ち人を生かす機能をもつものだろう。

まとめ

「日本帝国も捨てたものじゃない」
と、長谷川如是閑が感慨深げにつぶやいた。

日本という国は、本当にすばらしい。
単なる学生が、日本の宝である研究成果が外国に渡ることを防ぎ、後世に残すべき研究所を設立するという文化事業を成し遂げてしまったのだ。

さらに、この青年は牧野富太郎先生に申し出る。
「研究に必要な道具もご指示くだされば手前どもで整えます」

「先生のご自宅は図書館が開けそうなほどの蔵書で、なるほど世界的な学者はここまで勉強なさるか、と感じましたが、神戸は神戸で揃えます。いい研究所にしましょう。」

まことに青年らしい、青々とした心によって日本の宝は守られた。
牧野富太郎先生の研究、そして生き方は、池長孟青年だけに支えられたのではない。
早川逸馬はいなかったが、同じように牧野富太郎の研究を支えようとする言論界の人々が当時はいたのだ。

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