人が良くて妹思い。
口癖は、「俺には分かる」
ちょっとピントが外れていて頼りない感じがするが、憎めないキャラ。それが寅子(伊藤沙莉)の兄の直道。
直道を演じるのは上川周作。
直道は、寅子の親友・米谷花江に一目ぼれし、結婚している。
米谷花江を演じているのは森田望智。
花江は、寅子(伊藤沙莉)の女学校の同級生でもある。
花江は女学生のうちに結婚することが夢だった。
その夢を、実現すべく女学校在学中から必要なものを全て習得し、「家庭で一番になりたい」と願ってきた。
寅子の親友でありながら、兄嫁として猪爪家の家族となっている。
もし、史実通りに猪爪家の長男が戦死するなら、直道の戦死は、「虎に翼」のその後の物語にどうかかわってくるだろうか。
直道のモデルと考えられる、史実の武藤一郎とその妻(嘉根)の実像から予想する。
直道の戦死は虎に翼の物語にどう関わってくるのか
虎に翼の寅子(モデル三淵嘉子)と、前作ブギウギのスズ子の人生は、いろいろな共通点がある。
なかでも、最愛の人に次々と死なれる人生。
悲しいことに、寅子も最愛の弟(劇中では兄)と最初の夫を戦争で失う。
さらに、父と母が立て続けに…。
だが、そのようなどん底に突き落とされる悲しみの中でも、何度も何度も立ち上がり、自分の夢に向かって突き進んでゆく。
「虎に翼」でも、
寅子は兄の直道(三淵嘉子の弟一郎)の死を乗り越え、前に進もうとする姿が描かれるだろう。
三淵嘉子の兄弟
寅と翼の嘉子の兄弟
「寅と翼」では、嘉子の兄弟として、
・兄の猪爪直道
・年の離れた弟に、猪爪直明
がいることになっている。つまり、劇中では3人きょうだい。
実際の嘉子のきょうだい
実際の嘉子は、5人きょうだい。
・長女の嘉子
・嘉子のすぐ下の弟で、長男の武藤一郎
・次男の輝彦、
・三男の晟造、
・四男の泰夫がいた。
嘉子は、5人きょうだいの一番上だった。
一番優秀な姉・嘉子
嘉子のすぐ下の長男・一郎
姉の次のしっかり者でした。
末弟が泰夫は、後年このようにきょうだいについて語っている。
つまり、直道のモデル一郎は、「しっかりした人物」だった。
武藤家の概要
武藤一郎
1916年 誕生
横浜高等商業学校卒業
日立製作所入社
1944年 死去
父:宮武貞雄【武藤貞雄】
母:宇野ノブ(広島、宇野清吉の妹)
◆武藤輝彦
1921年 誕生
1943年 東京帝国大学文学部美学科卒業
昭和火工取締役
昭和火工専務
1961年 日本煙火芸術協会事務局長
1962年 日本煙火協会専務理事
2002年 死去
父:宮武貞雄【武藤貞雄】
母:宇野ノブ(広島、宇野清吉の妹)
妻:井村温子(井村忠吉の二女)
長男:武藤和彦
長女:武藤邦子
二女:武藤紀子
◆武藤和彦
1953年 誕生
父:武藤輝彦
母:井村温子(井村忠吉の二女)
◆武藤晟造
1923年 誕生
医師
日産診療所
父:宮武貞雄【武藤貞雄】
母:宇野ノブ(広島、宇野清吉の妹)
◆武藤泰夫
1928年 誕生
農林省技師
林野庁輸出課長
父:宮武貞雄【武藤貞雄】
母:宇野ノブ(広島、宇野清吉の妹)
兄の妻は、嘉子の同級生だったのか
一郎の妻、嘉根が嘉子の同級生だったという記録はない。
一郎は嘉子の弟であり、嘉根はその妻なのだから、三淵嘉子さんより年下だったと考えられる。
兄の結婚生活は幸せだったのか
「虎に翼」では、直道と花江の結婚生活は、デレデレに描かれている。
『お幸せなことで』
と、声をかけたくなる。
だが、直道と花江のモデルの武藤一郎とその妻・嘉根の結婚の実際の様子は、そんなデレデレ状態ではなかったようだ。
一郎は横浜高商を卒業後、日立に就職している。
頭がよい人だったのだが、自分は進学せずに弟たちが進学できるように配慮していた。
この事実だけでも、彼は苦労人だ。
家族のため、弟たちのために自らを犠牲にできる人だった。
結婚後、わずかな期間だけ妻と一緒に過ごし、妻・嘉根とお腹に宿った子を残して出征している。
一郎に赤紙が届いたとき、
兄弟の中で一人ぐらいお国に命を捧げる者がいても良いでしょう。私が行ってきます。
と言い残して、戦いに出たという。
武藤家にとって、
そして、当時の日本にとって頼りになる男だったのだ。
一郎の戦死
一郎は昭和19年(1944年)6月、沖縄へ向かう輸送船「富山丸」が鹿児島県徳之島の近海で米軍の魚雷を受けて船が沈み、戦死した。
妻の嘉根と、生まれたばかりの幼い女の子だけが残された。
一郎の遺骨は武藤家に戻ってこなかった。
仕方がないので家族は、遺骨の代わりに一郎の遺品を骨壺に入れて葬儀を行った。
悲しい葬式である。
疎開
伊予市予選今日が厳しくなった昭和20年(1945年)、嘉子と嘉根は、それぞれの子どもを連れて、福島に疎開した。
生活は辛いものであった。
住まいは住宅ではなく、わら葺きの倉庫であり、水はけも悪い状態。
電気も通っておらず、灯りはランプだけ。
近所の農作業を手伝いながら、食糧を分けてもらい、荒れ地を耕してサツマイモなどを育てるなど、苦しい状況の中で生活を続けていたという。
嘉子(寅子)の家族だけでなく、日本中が苦難に満ちた日々を過ごしていた。
戦後の嘉根と娘について
一郎の妻である嘉根と、生まれた娘の現在の消息については、詳細が記された記録がない。
戦後の混乱期において、一家が疎開し、戦争や疎開の影響で家族が分断されることが多かったため、その後の彼らの行方が特定されていない可能性が高い。
または、公に情報を公開することを「よし」としていらっしゃらないので、情報をみつけられないという可能性もある。
どちらにしても、ご本人やご家族がお幸せに暮らしていらっしゃることを祈る。
コメント