こんにちは、なおじです。
「自分には才能がない」——NHK朝ドラ「ばけばけ」でヘブン(トミー・バストウ)が淋しげに語ったこの言葉、胸に刺さりませんでしたか。
ヘブンのモデルとなった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
じつは八雲も、熊本時代に似たような「書けない苦しさ」を抱えていたのかもしれません。
でも、その熊本時代こそが、代表作を生み出す「原石の時代」だったんですよね。
今回は、八雲の熊本3年間と創作活動の史実を、ばけばけの物語と照らしながら見ていきます。

この記事でわかること
- 小泉八雲が熊本で生み出した作品・創作活動の史実
- 八雲が「嫌いな街」熊本で書けた理由——セツの役割
- ばけばけのヘブンが「書けない」と語った場面と史実との関係
八雲が熊本に来た理由——嫌いな街への赴任
松江を去り熊本へ、その理由
1891年(明治24年)11月、小泉八雲は島根・松江から熊本に移りました。
第五高等中学校(現・熊本大学の前身)の英語教師として赴任したんですよね。
移住の大きな理由のひとつが「お金」だったとされています。
セツと暮らす小泉家を支えるには、松江の給与では足りなかったようです。
松江の冬の寒さへの不満も重なって、熊本行きを決断したとされています。
👉関連記事:小泉八雲家族熊本移住の真相|セツの家族は本当に残った?
「感性に合わない土地」という本音

ところが、熊本に着いた八雲は友人への手紙に「わたしの感性には合わない土地」と書き送ったとされています。
近代化が進む熊本は、八雲が松江で愛した「昔ながらの日本」とはかけ離れていたようですね。
五高の赤煉瓦の校舎を見て「兵舎と同じ」と思ったというエピソードも残っているようです。
嫌いな街に赴任して、果たして創作などできるのか——。
当然そう感じますよねえ。
嫌いな街だからこそ、見えたものがあった
でも、ここにこのドラマの一番深いところがある気がするんです。
嫌いな街だからこそ、逆に「自分が本当に好きな日本とは何か」が浮かび上がってきた——。
そんな逆説があったのかもしれません。
松江への愛情が、熊本という「対比」によって一層鮮明になった。
だから代表作が書けた、のではないでしょうか。
熊本3年間で生まれた作品群——原石の時代

「知られぬ日本の面影」は熊本で書かれた
え、知ってましたか?
八雲の代表作のひとつ「知られぬ日本の面影」(Glimpses of Unfamiliar Japan)は、松江時代の体験をもとにしています。
でも実際に書かれたのは、熊本にいた時期なんですよ。
「好きな場所の思い出を、嫌いな場所で書いた」——なんか、わかる気がしませんか。
なおじも退職後、現役時代の授業のことを思い出しながらブログを書いてるんですよ。
退職して初めて「あの授業は楽しかったなあ」と気づけることって、結構あるんです(笑)。
八雲がそういう感覚を持っていたかどうかはわかりませんが、なおじには少し似た感じがして、妙に親しみが湧いてしまいました。
熊本で書かれた主な作品一覧
熊本時代には、複数の作品が執筆または着想されたとされています。
| 作品名 | 主な内容 | 熊本との関係 |
|---|---|---|
| 知られぬ日本の面影 | 松江時代の体験記・日本文化への観察 | 熊本時代に執筆・1894年出版 |
| 東の国から | 熊本・日本各地の観察記 | 熊本時代に執筆 |
| ある保守主義者 | 熊本の人物をモデルとした作品 | 熊本で執筆・着想 |
| 熊本を舞台とした怪談 | 小峰墓地など地元の伝説 | 熊本で取材・執筆 |
嫌いな街なのに、その街の話を書く——。
才能と感性の不思議さを感じる一覧ですよねえ。
セツの民話が怪談を生んだ——創作の裏側

セツこそが「語り手」だった
八雲の怪談作品を語るとき、どうしても忘れられないのが妻・セツ(ドラマのトキのモデル)の存在です。
セツは幼いころから物語が好きで、人から聞いた民話や伝説を八雲に語って聞かせていたとされています。
八雲は日本語が堪能ではなかったため、日本各地の怪談・伝説を「セツの語り」を通して知っていったわけですね。
これって、すごいことだと思いませんか。
もし八雲がセツと出会っていなかったら——怪談集は生まれていなかったかもしれません。
私たちが「八雲の怪談」と思っているものの多くは、実はセツとの共同作業だった‥。
「幽霊滝の伝説」はセツの語りから
たとえば、骨董に収められた「幽霊滝の伝説」は、セツが語った物語をもとにした作品とされています。
セツが語り、八雲が英語で文学として昇華させる。
このふたりの役割分担が、怪談文学の名作を生み出したのではないでしょうか。
👉関連記事:えっ?小泉セツ、養祖父まで連れて熊本移住してた!
セツは「共著者」だったのかもしれない
なおじが35年間、社会科の授業で歴史の人物を教えてきて感じること。
「偉人」の後ろには、必ず支えた人がいる——ということです。
授業では表に出ないけれど、セツという人物こそが、怪談文学の「もうひとりの著者」だったように感じるんです。
ドラマのトキが、ヘブンに民話を語る場面。
あの場面の重さが、この史実を知るとさらに増して見えてきませんか。
ヘブンの「才能がない」と八雲の熊本時代

ばけばけ99話と史実が重なる瞬間
ばけばけ99話でヘブンは、熊本の絶景を前にしながら「書いたら分厚い本が必要になる。でも自分にはその才能がない」と語りました。
史実の八雲も、熊本赴任直後は「感性に合わない」と感じていたとされています。
でも3年間、嫌いな街で書き続けた。
この事実は、なおじにはとても重く響きます。
👉関連記事:ばけばけは史実と何が違う?全話感想と人物モデル一覧
「書けない」と言い出したとき、人は変わる
元教師として35年間、「自分にはできない」と言い出した生徒を何人も知っています。
でも、そう言い出した子の多くが、実は大事なスタートラインに立ったときだったように感じるんです。
「書けない」と気づくこと自体が、山の麓に立てた証拠なのかもしれない。
ある教え子は、テスト前に「もうムリ」と言うたびに、なぜか点数が上がっていました(笑)。
「ムリ」という言葉は、全力になれたサインだったんですよねえ。
ヘブンの物語がどう動いていくのか、史実を知っているからこそ、なおじは静かにエールを送りたくなります。
嫌いな街 原石拾う 作家の目
Q&A|小泉八雲の熊本と作品についてよくある疑問
八雲は熊本で何年間暮らしたの?
1891年(明治24年)11月から1894年(明治27年)10月まで、約3年間を熊本で過ごしました。
その後は神戸クロニクル社に勤め、1896年に東京帝国大学の講師となっています。
「知られぬ日本の面影」はいつ出版されたの?
1894年に出版されました。
松江時代の体験をもとに書かれていますが、熊本時代に執筆されたという点が面白いですよねえ。
「好きな場所のことを、離れた場所で書く」——創作の不思議さを感じます。
ばけばけのヘブンと史実の八雲はどこが違うの?
ドラマのヘブンは創作の苦悩をより前面に描いているように見えます。
史実の八雲も熊本を「感性に合わない」と感じていたとされていますが、書き続けたという点ではヘブンの苦悩と重なるのではないでしょうか。
詳しくはこちらの記事もどうぞ。
👉関連記事:小泉セツの生涯|八雲の妻として生きた明治女性の波瀾万丈
熊本時代の八雲を知るにはどこを見ればいい?
熊本市内には「小泉八雲熊本旧居」が現存しています。
ドラマの舞台を実際に訪れると、ヘブンとトキが歩いた場所の空気を感じられるかもしれません。
👉ばけばけ全話の史実まとめはこちら:ばけばけは史実と何が違う?全話感想と人物モデル一覧
あなたはヘブンの「才能がない」という言葉、どう感じましたか?
コメント欄で教えてもらえると嬉しいです。
筆者紹介|なおじ
なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。
退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。
社会科・歴史を長年教えてきたので、時代背景や史実との比較が得意分野です。
指導主事として授業研究にも携わり、教え子からは「歴史が面白くなる先生」と呼ばれていました。特に明治時代の文化史と人物研究は、なおじが最も力を入れてきた分野です。