マネージャー山内義富とは
山内義富は、笠置の最愛の人(愛娘ヱイ子の父)である吉本穎右(えいすけ)が、笠置のために付けたマネージャーでした。
笠置が心より信頼をしていた山内うマネジャーに、笠置は住宅資金を使い込まれてしまったのです。その金額は、現在の貨幣価値に直すと億に匹敵する金額だったといわれます。
マネージャーとしては有能だった山内ですが、彼はヒロポン中毒でギャンブルに溺れてしまっていました。
薬とギャンブルで金に困った山内は、笠置のライバルである美空ひばりの一月早い渡米を画策し、代償としてヒバリのマネージャーの福島から金を受け取ったという噂があります。
笠置は、山内の裏切りにショックを受けます。
心より信頼し、穎右が自分に残したマネージャーの裏切りです。
普通の人間なら立ち直れないでしょう。
笠置シヅ子 復活
笠置は心から山内に頼っていたので、精神的なショックは計り知れません。
山内をクビにせざるを得なく、心に穴がぽっかり空いてしまいました。
ですが笠置は、愛娘ヱイ子のために再び歌い始めたのでした。
どん底にたたき落とされたのは、これで何度目でしょう。
それでも笠置は、歌うのでした。
笠置の苦労は相当の物だったでしょう。
高額納税者となっていたため、税金や借金の返済に苦しみました。しかし、笠置は、不死鳥のように今度も復活します。
「愛娘ヱイ子を女手一つで育てていく」
その覚悟が、彼女を支えたのでしょう。
笠置は、この後も映画や舞台に立ち続けました。
美空ひばりに自分の曲を歌わせなかった服部良一
ひばりの、笠置よりも先の渡米は、もはや避けられません。。
渡米直前に、笠置をプロモートする松尾興行から
「ひばりが一足先にブギを歌って回り、その後で同じ曲目で笠置が回るのでは興行価値が低下する。なんとかしてほしい。」
と、服部良一の所に話が入りました。
服部は、著作権協会を通じて「ひばりに自分の歌を歌うことを許可しない」と通知したのでした。笠置にとっても、ひばりに咲きに歌われてしまっては死活問題です。
恩師の服部が、笠置を援護した格好になりました。
ひばりのアメリカ公演の成果
服部良一の言葉により、ひばりはアメリカ公演で服部の楽曲を歌えませんでした。アメリカ本土のロサンゼルスでは公演場所が全部お寺の本堂で、客の入りもよくなかったといいます。
ですが、当時は「アメリカに行ってきた」ということがステータスになる時代です。
ひばりは帰国後、映画一本のギャラが三百万円に跳ね上がり、スターダムに上がっていったのでした。
笠置とひばりの共演
帰国後、ひばりのマネージャーの福島が、新聞記者に「『笠置と服部にブギを歌うな』と言われた」と話したため、世間がザワつきます。
そこで、「笠置とひばりの仲直り」をメディアは画策したようです。
51年2月、笠置とひばりがNHKラジオの人気番組「歌の明星」で共演することになりました。二人の共演を企画したのは当時の番組スタッフとされています。今となっては詳しいいきさつは不明です。
ですが、ひばりのマネージャーの福島によって進められたと推察できます。
ひばり側としては、少なからず笠置に負い目を感じていたと思います。出来れば穏便に手打ちが成立することを願ったでしょう。
この共演は、「ブギの流行が去り、落ち目の笠置に対して、アメリカ帰りで上り調子のひばり」という構図が出来上がりつつあった時期ですので、福島マネージャーに取っては願ったり叶ったりだったでしょう。
共演の様子
2月11日、笠置シヅ子と美空ひばりは、はじめて正式に紹介し合いました。
一緒のマイクで歌っているのは大ブギの女王といわれる笠置シヅ子と、小ブギの女王美空ひばりです。
これを聴いた多くの聴取者が、どうして今まで二人が一緒に舞台や映画、放送に出なかったのだろうと不思議に思ったといいます。
この番組の実現は、ひばりのマネージャー福島は吉祥寺の服部良一を訪問し、今まで行き違いになっていたいきさつと、謝罪を告げたことにあります。福島の謝罪を受けて服部は、「今までのすべてを白紙に帰す」と、回答をしたといいます。
共演後の反応
それまでのいきさつを含め、この日曜日の宵の「歌の明星」は近来にない豪華番組として、当時、聴取者のすべてを魅了しました。
共演後、笠置とひばりのいるスタジオは和やかな歌声と話し声で満ちたといいます。
51年には、前年まで圏外だったひばりが歌手の人気投票で3位になりました。一方、笠置は10位に落ちてしまいます。
このあと、二人のキャリアはそれぞれの方向に進んでいったのでした。
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