笠置シヅ子と美空ひばりの確執とは?
美空ひばりがデビューしたての子どもの頃、彼女は笠置シヅ子の持ち歌を歌って天才歌手だと注目されていました。美空がハワイ公演で歌うとき、作曲家の服部良一は、「自分が作詞した楽曲を、ひばりはハワイ公演で歌うな」と差し止めたと言います。
それは『笠置の嫌がらせだった』と、戦後長くささやかれてきました。ブギの流行が去り落ち目になっていた笠置シヅ子が、新進気鋭の若き天才に嫉妬して『嫌がらせをしている』という構図で語られたわけです。
また、美空ひばりの母親である加藤喜美枝氏が、二人の確執を背景に『笠置は、後援会長に縁もゆかりも無い東大総長を据えた(嫌らしいやつ)』というような意味を込めて、笠置の後援会と後援会長を批難したことも『笠置と美空の確執』を助長しました。
こう見ると、笠置が一方的に悪者に見えますが、この確執の本質・原因は何だったのでしょうか。
確執の原因は何だったのか?
笠置と美空のアメリカ公演
笠置シヅ子と美空ひばりは、それぞれ別々ですが戦後間もない1949年~1950年にかけてアメリカ公演を行っています。当時、多くの芸能人がアメリカに旅立ち、日米交流ブームが起こっていました。笠置は本場アメリカでブギを歌い、四か月かけて歌手としての見聞を広めました。
一方、ひばりは前年にメジャーデビューしたばかりで、少々強引という印象もなくはないのですが、笠置と同じようにアメリカ公演を仕掛けたのです。
しかも、ひばりの公演は5月。笠置の公演は、1か月遅れの6月の予定でした。二人が同じような歌を歌うとなると、アメリカ人にとっては、ひばりが本家で笠置は二番煎じの歌手と映ってしまいかねません。
当然、笠置側は良い気持ちはしません。
ひばり側からすれば、ひばりの公演はロシア系二世部隊第百大隊記念塔建設基金募集興行という大義名分がありました。さらに、帰国後公開される映画『東京キッド』の撮影も兼ねるので、「笠置より先行する日程は譲れない」という理由がありました。
ところが、二人のアメリカ公演には裏がありました。
ひばりと笠置のマネージャーたちの存在が絡んでいたのです。
笠置のホノルル、本土西海岸公演は松尾興行(政治家から暴力団まで人脈をもつ)が、マネジメントを仕切っていました。
一方、ひばりのハワイ、アメリカ西海岸での興行は日米キネマがマネジメントを担当しました。
この頃、笠置のマネジャー山内義富(ブギウギ・山下達夫)が大金を使い込んでいたことが発覚します。
そして、笠置のマネージャー山内義富が、「ひばりの渡米計画の一月先行」にからんでいたと考えられています。
笠置のマネージャー山内義富とひばりのマネージャー福島博の画策により、ひばり側は笠置が6月に渡米することを知っていたのに、笠置自身はひばりが5月に渡米することを直前まで知らなかったのです。
では、笠置の金を使い込んだマネージャー山内義富に何があったのでしょうか。
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