朝ドラ『ブギウギ』もいよいよ最終版を迎えようとしています。来週はスズ子の「歌手廃業」のエピソードが描かれるのだと思います。
おそらく『ブギウギ』では、羽鳥善一もスズ子の「歌手廃業」の決断を後押ししてきれいに終わることになるでしょう。
しかし、真実はどうだったのでしょうか。
このブログでは、笠置シズ子と服部良一の真実の「笠置の歌手廃業」のエピソードにせまります。
彼らの音楽への情熱と葛藤が織りなす真実をどうぞ、ご期待ください。
笠置シヅ子の引退決意にまつわる美空ひばりの存在
笠置シヅ子がなぜ引退を決意したのか、を考えるとき、美空ひばりの存在を抜きにして語ることは出来ません。
笠置は確かに、一時代を席巻した天才的なブギの女王でした。
彼女の声はいわゆる美声では在りません。
お顔も、美人と言うより、どちらかというと「愛嬌のあるお顔」
チョット聞くだけなら、その声は町中にいるようなおばちゃん声ですが、ガラガラ声でビブラートするその不思議な歌声をひとたび聞けば、印象は一遍です。
さりげなく出てくるレビューダンサーのとしての実力、身の軽さ、すらっと伸びる指先足先、素早く七変化する表情…、
彼女の歌を聞く者・見る者は、いつの間にか彼女の全身から発する陽気に引き込まれていきます。
歌ウマの美空ひばりとは全然違っていました。
時代は、新しいスターを求めていた
1950年代(昭和30年代)になると、メディアは笠置シヅ子と美空ひばりのことを「大ブギ小ブギ」とか、「ブギの女王と、ブギの豆女王」などと、比較するようになっていきました。
まるで、笠置が悪役で、美空が正義の味方のような印象を人々に与えているかに見えました。
やがてどこかで「二人の人気が逆転する瞬間がくる」
「人々は、その時を待っている」そう、思わせる雰囲気をつくっていました。
『スターは、スターを踏み台にして誕生する』
時代が大きく動くことを、人々も望んでいたのかもしれません。
仕掛け人は、美空ひばりのマネージャー
ブギウギでは、美空ひばりとおぼしき、水城アユミのマネージャーは実のお父さん(股野)でした。
しかし、史実の美空のマネージャーは美空のお父さんではありません。
このひばりのマネージャーが「笠置シヅ子の子供版」と、世間に猛アピールをして、まだ無名の美空の名前を売りまくりました。
当時ひばりは、まだ11歳。
「ベビー笠置」の名が、よく似合う超歌ウマ少女でした。
おまけに、このマネージャは、笠置の悪口を書いたり言ったりして、笠置の評判を落とす策もしています。
さらに、追い風に乗って笠置の悪口を書きまくる売れっ子評論家なる人物も出現します。彼はひばりを崇拝する ”反骨のルポライターとして世間を賑わわせ、笠置の旗色を悪くすることに後見しました。
笠置の引退を決定づけた、紅白歌合戦
1957年(昭和32年)の年明け早々、笠置は「歌手を廃業し、これからは女優業に専念したい」と公表しました。
前年1956年(昭和31年)の紅白歌合戦で、トリを飾って歌ったにもかかわらずです。
このあたりの様子は、「ブギウギ」でも描かれていました。
おそらく、自分の歌を歌う美空ひばりの歌唱力、自分とは違った歌い方の魅力を認めたのだと思います。
笠置は、なぜ引退を決意したのか
歌手廃業の理由を、笠置自身はこう述べています。
「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない。」
とてもきれいな理由だと思います。
いかにも笠置シヅ子らしい、とも言えるでしょうか。
笠置は、一度決めたら切り替えが恐ろしく早い人でした。
しかも、頑固者です。
世間の人が「あらら」と思う間に、笠置は、スポットライトが当たる場から消えて忌ました。
フェイドアウトと言うか、気がついたら消えていた、という鮮やかさでした。
笠置は、晩年になって改めて歌手廃業の理由について、次のように語っています。
自分が太ってきて踊れなくなったからだ
と述べています。
笠置の歌は、肉体と一体あり踊ることと切り離せないものでした。
踊れない笠置シズ子は「笠置シズ子」ではない、と感じてしまったのだそうです。
(歌手としての笠置なので、「シズ子」としました。)
ちなみに、笠置が引退した57年(昭和32年)の時に、笠置は40歳を過ぎていました。
確かに、若いときのように足も上げられないし、動きの切れも無くなっています。
おまけに、高音の出にくくなっていました。
そう感じて、歌手廃業をスパっと決めた笠置の決断は、「かっこよい」とも思えます。
笠置の歌手廃業のこの年、昭和32年の紅白歌合戦の大トリは、美空ひばりが務めました。
時代が、本当に動いたわけです。
笠置の歌手廃業に対して、服部良一はどのように反応したか
笠置の引退について、生涯の師・服部良一は次のように語っています。
段々高い声が出にくくなって来たので、よく音程を下げて楽譜を書き直ししていた事はあったが、これは年を取れば当然の事で、誰でも歌手ならやっている事である。
しかし彼女の場合は或る日突然歌を止めてしまったので驚いた。
はたから見た限りでは全然変わらないのに、彼女は自分自身の限界をさとってしまったのか、
~(略)常に妥協を許さないきびしい人で、うっかり冗談もいえない人だったが、ほとんど最盛期といってもよい時期に、ファンに最高の思い出を残して音の世界から消えてしまったのである。
全く美事というほかはない。
(『文藝春秋J 一九八五年六月号、「回想の笠置シヅ子」より)
これを読むと、服部も笠置の歌手廃業を「見事」と言っているように思えます。
しかし、ブギウギのカツオのモデル作曲家の服部克久さんは、意外なことを話していました。
「おやじは怒っていましたよ。俺の作った歌を葬り去るつもりか、と。たしかにブギは笠置さんのために書いた。でもそれは彼女一人のものではない。服部良一にも相談せず、笠置さんは勝手にやめた。作曲家は歌手が歌ってくれないと、せっかく作った歌がこの世から消えてしまうことになる。もう踊れないからなんて、言い訳にはなりません。歌手は声が出る限り、死ぬまで歌い続けないといけないんです」
そうでしょうよねえ。
人の心は美辞麗句のみでは語れません。
服部良一のこの怒りこそ、真実ではないでしょうか。
ブギウギでも、羽鳥善一は最初はスズ子の決断を聞いて「縁を切る」とまで発言するようです。
しかし、史実に従って最終的には「スズ子(シヅ子)の決定」を認めるようです。
そうして、スズ子は役者笠置シヅ子となっていくようです。
ブギウギは、このあたりで幕を閉じるのでしょうね。
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