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意外と知らない日本の神社の謎と、太古の神々

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オオクニヌシを祀る出雲大社

出雲大社と言えば、縁結びの神。
祭神は、オオクニヌシ。

出雲大社の存在は、『大和と出雲』、『天神と国神』、『大和族と出雲族』など、大和との対比の捉え方を生んでいる。

多くの名前をもつ『オオクニヌシノミコト』

オオクニヌシが、多くの別名を持つことを先に触れた。

「日本書紀」では、
アシハラノシコオ(葦原醜男)
ヤチホコノカミ(八千戈神)
オオナムチノカミ(大己貴神)

などなど…。

醜男とは、「醜い男」という意味になる。
対して、「ムチノカミ(貴神)」は、貴い神の意味。

同じ神なのに、対照的な名前がつけれていることから考えると、この神は、元々は単一の神ではなく、複数の神が複数回習合し、多くの神が入り交じった存在なのだと思われる。

もともとは、出雲の地そのもの、つまり出雲の大地の神、または大地の実りを支える農耕の神だっただろう。
そこに、さまざまな神が習合して、
大いなる国(出雲)を主宰する神としての、オオクニヌシ(大国主)と呼ばれるようになったと考えられる。

さらに、もともとはインドの神の大黒様(大黒天)とも習合し、福の神ともなる。

数々の試練に直面するオオクニヌシ

オオクニヌシは、兄弟を含め多くの神々からいじめられる。
一時は、命までも奪われてしまう壮絶ないじめだった。

なんとか復活を果たすも、大いなる存在のスサノオからもいじめられる。
命からがら、スサノオからも逃げ出すことに成功し、大国主として、国を束ねる存在となる。

その後、スクナビコナ(少名毘古那神)と共に、農業を興し、医薬や禁厭(いやくきんえん・「禁厭とは・まじない」)を行い人々にそれを伝えて国を経営繁栄させた。

古代においては、酒も医薬やまじないの手段として用いたので、スクナビコナは薬の神・酒の神でもある。
私の地元には、磯前神社(いそさきじんじゃ)という神社があるが、その祭神はオオクニヌシとスクナビコナだ。

オオクニヌシの最大の試練は、国譲りだろう。
国土を天孫のニニギノミコト(「瓊瓊杵尊・古事記」「邇邇芸命・日本書紀」)に譲る。

このような国を譲る神話は、日本以外他国には存在しない。
国譲りを果たしたオオクニヌシは、出雲大社に祀られることになった。

古事記の中のオオクニヌシと、日本書紀の中のオオクニヌシ

「古事記」に描かれるオオクニヌシ

「古事記」では、スサノオの6世後の孫がオオクニヌシ
オオクニヌシには、多くの兄弟神がいた(八十神・やそかみ)。

オオクニヌシと、兄弟の八十神の話で一番有名な話が、『稲葉(因幡)の素兎(しろうさぎ)』の話。

この話の中では、オオクニヌシは優しい神として描かれている。
ただし、この話の中では、オオクニヌシではなくオオナムチ(大己貴神)という名で登場する。

オオナムチ(オオクニヌシ)の死

次にオオクニヌシが、八十神に殺される話が出てくる。

八十神が、「赤いイノシシを山から追い落とすから、下にいてそれを捕まえろ」と命令する。
八十神が、赤いイノシシと言ったのは、実はイノシシの形に似た大きな石を赤く熱したものだった。

崖下で、灼熱の大石を受け止めたオオナムチは、体を焼かれ死んでしまう。

日本のような多神教の神は、死ぬことがある。
この点は、一神教の神の世界とは違う。

生き返るオオナムチ(オオクニヌシ)

オオナムチは、一度死んだが、母親によって生き返る。
母親は、高天原に上り、カミムスヒに息子の命を助けてくれるように懇願した。

カミムスヒは母の願いを聞き入れ、オオナムチを生き返らせる。
生き返ったオオナムチは、
「この国に、このままいるのは危険」と判断し、スサノオが治める『根堅州国(ねのかたすくに)』に逃げた。

根堅州国は、「根の国」とも言われ、地下深くとも、海の彼方ともいわれる世界のこと。
黄泉国(よみのくに・「死の国」)と同義とも考えられる。

スサノオの娘、スセリビメ(須勢理毘売命)との結婚

オオナムチ(オオクニヌシ)が、根堅州国に降りていくと、そこにはスサノオの娘のスセリビメがいた。
オオクニヌシは、一目惚れをしてスセリビメと結婚の約束をする。

スセリビメが父のスサノオに、オオナムチのことを報告すると、スサノオはオオナムチを「アシハラシコオ」と言う。

さて、このシコオだが、「日本書紀」では、「醜男」と表記され、「みにくい男」だが、
「古事記」では「色許男」と書いて「シコオ」と書かれている。

古事記のシコオ(色許男)は、「力強い男」という意味。
日本書紀の「葦原醜男」
古事記の「葦原色許男」
では、全く違った意味になる。

スサノオは、娘との結婚を許す条件としてオオナムチに試練を与えた。
蛇の部屋で寝泊まりをする試練。
ムカデと蜂の部屋に泊まる試練。
野原で、火を放たれる試練。
スサノオの頭のシラミを噛み砕く試練。

これらの試練を乗り越え、最後はスサノオの寝ている隙をついてスセリビメとともに逃げ出すことに成功する。

「古事記」に見られる国づくり神話

無事に逃げ出すことに成功して見せたオオナムチは、スサノオからスセリビメとの結婚を認められ、名をオオクニヌシに改める。

その後は、オオクニヌシによる国づくりの話になっていく。
ただし、古事記の話は、多くの話を一つにまとめているので、筋がつながっていなかったり、矛盾する記述になっていたりする部分がある。

大筋に関係ない話をあえて無視すれば、「古事記」には、根堅州国から戻ったオオクニヌシは、その後国づくりを行ったことが書かれている、と言って良いだろう。

オオクニヌシは、「出雲の神なので出雲の国づくりをした」、と言いたいが、「出雲の国づくりではなく、日本全体の国づくり」のように読める、とも言える。

オオクニヌシが創り上げた国のは、日本全体を指すのかもしれない。

スクナビコナとの出会い

国づくりを進めるオオクニヌシは、スクナビコナ(少名毘古那神)と出会う。

あるとき、御大(みほ)の御前(みさき)に、海の彼方から船に乗って神が現れる。
「御大の御前」とは、現在の島根県松江市美保関町を指す。

オオクニヌシが名前を尋ねるが、返事が返ってこない。
オオクニヌシは、付き従う神々に名を知るものはいるかと問うが、
だれも「知らない」と言う。

そこに、ヒキガエルが現れ、「案山子だったら名前を知っているはずだ」と言った。

オオクニヌシは、その助言に従い案山子に名前を尋ねると
「カミムスヒの子のスクナヒコナだ。」と教えた。

スクナビコナは、自分の名も名乗れないほどの無口な神と描かれている。
スクナビコナとともに、国づくりを進めていたのだが、あるときスクナビコナは消えてしまう。

国づくりの途中でスクナビコナは失踪し、常世の国へ行ってしまったのだ。

ところで、スクナビコナの父であるカミムスヒは、「古事記」の冒頭で、アメノミナカヌシの次に現れ、そのまま消えてしまった神として描かれている。

それにもかかわらず、消えてしまったはずのタカミムスヒの神はその後複数現れる。
別名のタカギノカミ(高木神)としては、天孫降臨にもかかわる重要な神として描かれてもいる。

消えたはずの神がなぜその後も登場するのか、と合理的に考えると訳が分からなくなる。
だが「古事記」や「日本書紀」の記述は、こういうものなのだと割り切るしか無い。

ともかく、オオクニヌシにかかわる話では、
「オオクニヌシを生き返らせた神」、「オオクニヌシとともに国づくりを進めることを、我が子のスクバビコナに命じた父神」として登場している。

オオモノヌシとの出会い

相棒のスクナビコナがいなくなって困っていると、
海を照らしながらこちらにやってくる神が現れる。

その神の名は、『オオモノヌシ』。
オオモノヌシは、「自分を祀ってくれたら国づくりに協力しましょう」と言う。

オオクニヌシは喜び、「どこに祀れば良いか」と尋ねる。

すると、オオモノヌシは、「倭の拾遺を巡る山々の、東の山の上に祀ってください」と答えた。
これにより、大神神社(おおがみじんじゃ)の祭神がオオモノヌシ(大物主神)となった。

なぜ、出雲の神であるオオモノヌシが、「倭(大和)の地に自分を祀ってくれ」と言ったのかは、考えると変だ。
もしかすると、出雲族はもともと大和にいて、出雲に移ったのかもしれない。

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