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皇祖神のアマテラス大御神を宮中にお祀りせずに、なぜ伊勢まで参拝にお出かけになるのか

「皇室の方々が、わざわざ伊勢神宮まで参拝されるのは、なぜか?」「皇室の方が、わざわざ遠出して参拝するのは面倒ではないのか?」「なんならもっと東京から近いところに、伊勢神宮を移転させたらよいのでは?」
この質問に対し、
『伊勢神宮は日本国民の総氏神とされていて、氏子代表が天皇家』『伊勢とか、天照大御神を祭神として勧請している所も多くあるが、それらは支店と同じ。各家庭に神棚を設けて神様をお祀りしているのと変わらない。本店に行ってご挨拶しなくてはならない。』
とあった。なるほど。
だが、もともとは、天照大御神は宮中に祀られていたが、わざわざ外に出した。その後転々として、伊勢に落ち着いた。さらに、天皇が伊勢を訪れたのは、古代から近世を通して持統天皇だけだった。やっと明治になって明治天皇が参拝するまで、歴代天皇は一度も伊勢を訪れることは無かった。わざわざ皇室から遠いとこりに祀り、天皇は伊勢を訪れない。どういう事情があったのだろうか。

目次

天照大御神は、もともとは宮中に祀られていた

 伊勢神宮の内宮には、皇祖神であるアマテラス大御神が祀られている。古事記では「天照大御神」と表記され、日本書紀では「天照大神」と表記されている。また、日本書紀には別名として「オオヒルメノムチ(大日孁貴神)」ともある。

 お生まれについても、「古事記」では、イザナギの左目からお生まれになったとある。日本書紀では「古事記と同じお生まれの仕方」とともに、「(人間と同じように、)イザナミとイザナギから大日孁貴が生まれた」という話も載せられている。

🔶アマテラス大御神は、皇祖神

 アマテラスは、男神であるイザナギの左目から生まれた。そのとき右目からは、月読(つくよみ)が生まれ、鼻からは、スサノオが生まれた。【古事記より】

 このスサノオが、アマテラスのいる高天原を訪れたとき、「自分には、高天原を侵略する意図はありませんよ」ということを証明するために、アマテラスと誓約(うけひ)を行う。

 アマテラスが持っていた勾玉と珠を受け取り、スサノオがそれをかみ砕き、「フー」と吹き出すと、スサノオの息の霧から「オシホミミ正勝吾勝々速日天之忍穂耳命)」が生まれる。

 オシホミミ(忍穂耳)は、ヨロズバタトヨアキツシヒメ(萬幡豊秋津師比売命:別名「栲幡千千姫命:タクハタチヂヒメ」)と結婚し、ニニギ(瓊瓊杵尊・邇邇芸命)を生む。

 やがて、ニニギは地上に降臨する。地上で、山の神の娘(コノハナサクヤヒメ:木花之佐久夜毘売)と結婚し、山幸彦として有名なホオリ(火遠理命)を生む。

 ホオリは、海の神の娘であるトヨタマヒメ豊玉毘売)と結婚し、ウガヤフキアエズ(鸕鶿草葺不合尊)を生む。
 そして、ウガヤフキアエズも海の神の娘でトヨタマヒメの妹の、タマヨリビメ玉依毘売)と結婚し、初代天皇イワレビコ神倭伊波礼毘古命)、つまり神武天皇が生まれた。

 このように神武天皇は、天照大神の5世の孫であたる天孫であった。

🔶「日本書紀」に残る伊勢神宮 創建にかかわる話

「日本書紀」によると、ニニギノミコト(邇邇芸命)が地上に降臨するときに、アマテラスは自分の魂を宿した八咫鏡(やたのかがみ)を授けた。

 この鏡は、同じように高天原からニニギがもたらした剣と玉と一緒に、神武天皇やそれ以後の皇室に伝えられ、「三種の神器と呼ばれる。

 この八咫鏡、つまりアマテラスは天皇が住む宮殿に、倭大国魂(大国主か?:ただし本居宣長は否定)と一緒に祀られていた。

 だが、第10代崇神天皇の6年の条に

「是より先に、天照大神、倭大国魂の二神を、天皇の大殿の内に並べて祭る。しかれどもその神の勢いを畏りて、共に住み給うに安からず、故、天照大神をもってトヨスキイリビメノミコト豊鍬入姫命)に託け(あずけ)まつりて、倭の笠縫邑(かさぬいむら)に祭る。」

とある。つまり、天つ神のアマテラスと、国つ神の倭大国魂を、天皇のいる大殿に二柱並べて祭っていたら、良くないこと(疫病などの厄災)がたて続けに発生した。天皇は「これは、まずい」と思い、二柱の神を皇居の外に出すことにした、という訳だ。

 八咫鏡は、最初は奈良の笠縫村という所にだされたらしい。笠縫村は現在特定できていない。奈良県桜井市の大神神社の摂社の檜原神社あたりではないか、とは言われるがどうだろうか。

トヨスキイリビメノミコト豊鍬入姫命)からヤマトヒメ(倭姫命)へ バトンタッチ

八咫鏡(アマテラス大御神)は、笠縫村に安住できなかった。そこからさらに移動する。
同じ日本書紀によると、垂仁天皇の25年の3月の条に、

「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を回りて、伊勢国に至る」

と書かれている。
倭姫命は、垂仁天皇の皇女とも、舒明天皇の孫で、父親は古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)とも言われる。この倭姫命が、八咫鏡を鎮座させるべき場所を求めて、各地を巡った。

菟田(うだ)の篠幡(ささはた)というのは、奈良盆地東南部、桜井市の東隣。笠縫村のすぐ近くだ。さらに近江(滋賀県)へ移動する。
さらに、美濃(この場合の美濃は、現在の滋賀県南部あたりを指す)。最後に、現在の伊勢に落ち着く。

伊勢に落ち着くに当たっては、アマテラス大御神が、倭姫命に対し、

この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)の帰する国なり、傍国(かたくに)の可伶し国(うましくに)なり。この国に居らむと思う。

と述べたからだという。

このようにして、アマテラス大御神は伊勢の地に祀られることになった。
このような事情があるので、アマテラスの本拠地である神宮を、東京に新たに祀り直すことはできない。

古代天皇で、伊勢神宮に参拝したのは持統天皇だけ という謎

古代天皇は、どうして自分の居所から離れた伊勢の地にアマテラス大御神の霊を祀ったのか、という謎に加え、もう一つ大きな謎がある。それは、古代天皇で、伊勢に参拝したのは持統天皇だけだったという事実だ。他の天皇は、一切直接参拝していない。

これは近代まで続く。持統天皇以後初めて直接伊勢神宮を参拝したのは、明治天皇だった。

「では、なぜ持統天皇は伊勢神宮に参拝できたのか。」

🔶持統天皇は、古代、中世、近世を通じタブーとされた伊勢神社参拝を なぜ強硬できたのか

持統天皇は、持統天皇の6年(692年)に伊勢に行幸することを発表する。
すると、三輪朝臣高市麻呂など、家臣たちの強硬な反対にあう。

高市麻呂は、大神神社の神主の家柄で

「もし、伊勢神宮に天皇が行けば、農作物に影響し甚大な不作になる。」

と天皇を諫めた。

三輪氏は、大神比義の子孫。もともとは異国の神を祀る氏族。
さらに大神神社のご祭神は大物主命。つまり、国つ神であり、かつて崇神天皇の代まで大殿にアマテラス大御神の八咫鏡と共に祀られていた倭大国魂だ。(本居宣長は否定するが、同じ神と思われる)。

持統天皇は、国つ神を奉ずる三輪氏の言葉を振り切って、天つ神の神宮に参拝した。ここからは、なぜなのか、その理由については個々が想像するしか無い。
私自身は、国つ神の一族が力を持っていて、持統天皇はそれを牽制したかった。または、力の均衡を図りたかったからでは、と想像する。

古代史は、解明されていないことが多い。この天皇の伊勢参拝についてもその一つだ。
ともあれ持統天皇の参拝の後、約1200年天皇の伊勢参拝は無かった。

天皇の代理の皇室の女性【斎宮】が、伊勢神宮に奉仕した

なぜ天皇が、伊勢神宮を参拝しなかったのかは謎だ。だが、天皇の代わりに皇室の代表の女性である【斎宮:いつきのみや】が、神宮に奉仕する制度がある。

崇神天皇の命令によって、八咫鏡を宮中から外に出し祀り先を探したトヨスキイリビメ(豊鍬入姫命)やその後を引き継いだ、ヤマトヒメ(倭姫命)も斎宮だろうが、史実的に確実に存在していたとされるのは、天武天皇の娘オオクメノヒメミコ大来皇女)とされる。(「大来皇女」は、天武の娘ではあるが、持統天皇との間に生まれた子ではなく、持統天皇の実の姉と天武天皇の間に生まれた子)

これも推論にすぎないが、崇神天皇の代に八咫鏡を宮中から外に出したことの祟りをおそれ、歴代天皇は直接伊勢を訪れなかったのかもしれない。

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