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徳川家光(竹千代)ってどんな人:【三代将軍、家光の評価】

生まれながらの将軍

将軍3代

家光が将軍になったとき、諸大名を前に宣言した。
「祖父家康は、そちたちの協力により天下を統一し将軍になった。2代秀忠は、そちたちとは同僚であった。われ(家光)は、生まれながらの将軍である。」

この逸話が真実かどうかは分からない。だが、確かに家光は生まれながらの将軍だった。
そして、家光は、強権的な政治を推し進める。

例えば、大名の改易に強健性を発揮している。
弟の忠長をはじめ、徳川一門が20家、外様大名は29家を改易した。

この数字は、初代家康や二代秀忠を上回り、生まれながらの将軍として改易政策を断行したのだった。

さらに、家光の「力の政治」を象徴するものとして、もう一つ挙げたい。

家光が作成させた絵図

家光の力の政治を象徴するのが、正保元年(1644)から始まる諸国郡絵図正保国絵図正保城絵図の作成命令だ。
この各種絵図作成により、幕府による全国の支配権強化が著しく進んだ。

国ごとの全ての土地の所有権が、将軍にあることが確認された。

特に城絵図作成命令は、将軍の権力が顕著に表れている。
本来は、秘密にしたい自分の城の細部までを将軍に明らかにしなければならない。

各種絵図の作成により、諸大名は家光に完全に屈服させられたことになった。

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