金華山の頂上に建つ岐阜城。
城下町として発展した岐阜のシンボルである。岐阜駅からは、車とロープーウェイなどで25分ほど。
戦国大名織田信長の本拠地であり、日本100名城にもその名を連ねる。
この城が最初に建てられたのは、1201年と言われる。
時代は、鎌倉時代。
鎌倉幕府の執事である二階堂行政(にかいどうゆきまさ)が中心となって築城したと伝わる。
その後、土岐氏から美濃のマムシ斎藤道三、そして織田信長の居城となった。
荘厳な城「岐阜城」を訪れる前に、このブログを読んでおけば、充実した岐阜城観光ができるはず。
ぜひ、ご一読を。
目次
岐阜城の荘厳な美を解き明かす:岐阜城の歴代城主
岐阜城の歴史
岐阜城は、標高300mを超える金華山の頂上に建っている。
戦国時代「難攻不落の城」と言われ、「美濃を制すものは天下を制す」と言われた山城である。
戦国時代は、稲葉山城と言われ長井新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう)の子とされる斎藤道三の居城となる。
そして1567年に、戦国の三英傑の一人織田信長がこの城を落とし、自らの居城とした。
このとき信長は、地名を「井の口」から「岐阜」と改名したのだった。
岐阜城歴代城主
歴代 | 西暦・和暦 | 城主 | メモ |
1 | 1201年〜1204年・建仁年間 | 二階堂行政 | 二階堂氏の祖。鎌倉幕府の軍事目的のために稲葉山に砦を築き京都への押さえとした。 |
2 | 佐藤朝光 | 二階堂行政の娘婿。 | |
3 | 伊賀光宗 | 佐藤朝光の次男。伊賀氏の変の結果、北条政子により信濃国に流される。 | |
4 | 稲葉光資 | 伊賀光宗の弟。稲葉に改姓。稲葉山城と名付ける。 | |
5 | 1259年〜1260年・正元年間 | 二階堂行藤 | 二階堂行有の子。岐阜県関市付近に領地をもち、当地に新長谷寺を再興する。 |
6 | 1394年〜1428年・応永年間 | 斎藤利永 | 守護土岐氏の守護代で、二階堂行藤が去ったあと長く城郭が失われていた稲葉山城を修築して居城とした。1445年(文安2年)に加納城に移る。禅武一致の武人と称えられる。 |
7 | 斎藤妙椿 | 斎藤利永の弟。応仁の乱における主力の一人。鷲林山常在寺や瑞龍寺を建立した。持是院と号し、歌人としても有名。 | |
8 | 斎藤利藤 | 斎藤利永の嫡男。母違いの弟で妙椿の養子、利国と争い最終的に敗北した。 | |
9 | 斎藤利茂 | 斎藤利藤の養子の息子。斎藤利安(長井長弘)に破れ、稲葉山城を追われた。(落城1回目) | |
10 | 長井新左衛門尉 | 斎藤利安の家臣。元は京都妙覚寺出身の僧。後に利安を殺害した。道三の父親との説が有力説になりつつある。 | |
11 | 天文8年・1539年 | 斎藤道三 | 美濃のマムシこと斎藤道三が稲葉山山頂の城を本拠地とした。 |
11 | 1549年・天文18年 | 斎藤道三 | 長井新左衛門尉の嫡男。稲葉山城を大改築し、井之口城下町をつくる。1554年(天文23年)家督を子の義龍に譲り、鷺山城に移る。1556年(弘治2年)「長良川の戦い」に敗れ戦死。享年63。 |
12 | 1554年・天文23年 | 斎藤義龍 | 斎藤道三の嫡男。道三を破り、信長を何度も撃退したが、1561年(永禄4年)5月、急死。享年35。 |
13 | 1561年・永禄4年 | 斎藤龍興 | 斎藤義龍の嫡男。若年で跡を継ぐが、1564年(永禄7年)2月、竹中半兵衛重治らによって城を奪われ一時占拠される。のち返還されるも、1567年(永禄10年)8月、織田信長によって再び落城。龍興自身は「刀禰坂の戦い」で戦死。享年26。(落城2回目および3回目) |
14 | 安藤守就 | 斎藤龍興の家臣。西美濃三人衆。半年間、稲葉山城を占拠した。「本能寺の変」で自害。享年80。 | |
15 | 1567年・永禄10年 | 織田信長 | 斎藤道三の娘婿。この地の名前を岐阜と改めた。1576年(天正4年)に安土城に移る。1582年(天正10年)6月2日、京都本能寺で自害。享年49。 |
16 | 1576年・天正4年 | 織田信忠 | 織田信長の嫡男。父信長の跡を継いで、岐阜城下町の繁栄に尽くす。1582年(天正10年)6月2日に起きた「本能寺の変」で明智光秀に攻められ、二条新御所で戦死。享年26。 |
17 | 1582年・天正10年 | 斎藤利堯 | 織田信忠の家臣。「本能寺の変」の際に城を乗っ取るが、織田信孝に破れ降伏。(落城4回目) |
18 | 1582年・天正10年 | 織田信孝 | 織田信長の三男。清洲会議において織田氏の後継者が三法師に決まると、その後見役として伊勢神戸城から移る。1582年(天正10年)2月、秀吉に攻められ開城し、三法師を秀吉に引き渡す。1583年(天正11年)に「賤ヶ岳の戦い」が起きると挙兵するも、兄・信雄によって包囲され降伏。尾張知多郡内海で自害。享年26。(落城5回目および6回目) |
19 | 1583年・天正11年 | 池田元助 | 大垣城主・池田恒興の嫡男。岐阜城下の加納に楽市楽座令を出す。1584年(天正12年)の「小牧・長久手の戦い」において父子ともに討死。享年26。 |
20 | 1585年・天正13年 | 池田輝政 | 池田恒興の次男。天守や櫓を造営して城を強固にした。1590年(天正18年)9月、三河吉田城に移り、のちに姫路城主となる。姫路宰相百万石と評され、姫路城を修築した。姫路で死去。享年50。 |
21 | 1591年・天正19年 | 豊臣秀勝 | 豊臣秀吉の甥。秀吉の姉(日秀尼)の子。1592年(文禄元年)、総大将として朝鮮に出陣したが、巨済島にて病死。享年23。 |
22 | 1592年・文禄元年 | 織田秀信 | 織田信忠の嫡男。信長の孫。幼名は三法師。最後の岐阜城主。安土城から移り、1600年(慶長5年)8月、東軍(徳川方)に攻められ開城。いったんは高野山に入るも、のちに追放され、紀州向副村で死亡。享年26。(落城7回目) |
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