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「らんまん」藤丸次郎と波多野泰久のモデルは誰か|史実を解説

らんまん

令和8年10月6日 最終更新

朝ドラ『らんまん』の藤丸次郎と波多野泰久について、NHKは個別の実在モデルを公表していません。

ただ、報道では、藤丸次郎には田中延次郎(旧姓・市川延次郎)、波多野泰久には池野成一郎や染谷徳五郎の要素が重なるとみられています。

1887年、牧野富太郎は市川延次郎と染谷徳五郎とともに『植物学雑誌』の創刊に関わりました。のちに牧野が研究を続ける道を支えたのが、植物学者の池野成一郎です。

藤丸と波多野を、誰か一人の写し絵と決めるより、近代植物学を動かした仲間たちの仕事が、二人の中にどう集められているのかを見る。その方が、『らんまん』の二人はずっと面白くなります。

らんまん
ドラマの人物関連する史実上の人物確認できる史実ドラマを読む手がかり
藤丸次郎田中延次郎(旧姓・市川延次郎)牧野富太郎、染谷徳五郎と『植物学雑誌』創刊に関わった研究と雑誌づくりをともにする若い仲間
藤丸次郎の背景を考える人物藤井健次郎東京大学植物学教室の教授。細胞学の研究を進め、国際細胞学雑誌『キトロギア』を創刊した植物学が分類から細胞研究へ広がる時代
波多野泰久池野成一郎牧野が研究を続けられるよう支援し、ソテツ精子発見でも知られる研究者を静かに支える友
波多野泰久の背景を考える人物染谷徳五郎市川延次郎、牧野富太郎と『植物学雑誌』創刊に関わった研究を発表する場をつくる仲間
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目次

藤丸次郎と波多野泰久に「公式モデル」はいるのか

NHKは『らんまん』を、植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにしたオリジナルストーリーとして紹介しています。藤丸次郎や波多野泰久について、特定の実在人物が公式モデルだと示したわけではありません。

だから、藤丸を田中延次郎そのもの、波多野を池野成一郎そのものと決めるのは少し違うでしょう。

ただ、牧野のそばには、雑誌をつくった市川延次郎と染谷徳五郎がいた。研究を続ける道をつないだ池野成一郎もいた。その史実を知ってから画面を見ると、藤丸と波多野の立ち位置に、別の重みが生まれます。

NHKが示す『らんまん』の位置づけ

『らんまん』は、牧野富太郎の人生を土台にしたドラマです。主人公の万太郎は牧野その人ではなく、史実をもとに作られた槙野万太郎として描かれました。

脇を固める藤丸や波多野も同じです。

実在した研究者たちは、それぞれ違う年に、違う場所で、牧野と関わりました。ドラマでは、その複雑な人間関係が、万太郎のそばにいる二人の仲間へ集められているように見えます。

なおじは、そこが『らんまん』らしいと思うんです。植物の名前を覚えるだけでは見えない、研究者どうしの手触りが残るからです。

藤丸次郎と田中延次郎(旧姓・市川延次郎)の重なる点

藤丸次郎
「藤丸次郎」

1887年、牧野富太郎は市川延次郎、染谷徳五郎と『植物学雑誌』の創刊に関わりました。

藤丸が万太郎の近くで研究と雑誌づくりに加わる姿を見ると、この市川延次郎の足取りを思い出す人が多いのも自然です。

市川延次郎は、のちに田中延次郎と名を改めました。藤丸を考えるときは、市川と田中が同じ人物であることを押さえておくと、資料を追いやすくなります。

牧野富太郎と『植物学雑誌』を創刊した仲間

高知県立牧野植物園の年譜には、1887年に牧野富太郎が市川延次郎、染谷徳五郎と『植物学雑誌』創刊に関わったことが記されています。

雑誌は、研究を発表する場所です。

採集した植物を見つめ、名前を考え、標本を残す。そこで終わらず、文章と図にして仲間へ渡す。そのための器が『植物学雑誌』でした。

万太郎の研究が、机の上だけで終わらず、人へ届いていく。藤丸のそばには、そんな雑誌づくりの仲間の役割が重なって見えます。

菌類研究者としての田中延次郎

田中延次郎は、田中長嶺とともに『日本菌類図説』を残した菌類研究者です。変形菌に関する研究でも名が見られ、市川延次郎と田中延次郎が同一人物であることは、変形菌の文献にも記録されています。

花や木だけではありません。菌類や変形菌まで見つめていたところに、当時の植物学の広がりがあります。

田中延次郎の仕事を知ると、藤丸を単なる愛嬌のある友人役として見ていた目が少し変わります。万太郎のそばには、研究を面白がりながら、未知の対象へ踏み込んだ若い仲間たちがいたのです。

藤井健次郎は藤丸の背景を考える手がかりになる

藤井健次郎は、東京大学の植物学教室で教授を務めた植物学者です。1905年に助教授となり、1911年に教授へ就任。国際細胞学雑誌『キトロギア』も創刊しました。

牧野富太郎が植物を採集し、分類し、名を付けた時代。そのすぐそばで、植物を細胞の側から見つめる研究も進んでいました。

藤丸を藤井健次郎の直接モデルとする必要はありません。

ただ、藤丸のいる植物学の世界は、牧野の分類学だけで完結していない。藤井の存在を知ると、細胞学や遺伝学へ枝を伸ばしていく近代植物学の大きな森が見えてきます。

波多野泰久と池野成一郎・染谷徳五郎の重なる点

波多野泰久
秦野泰久

波多野泰久を読む手がかりは、池野成一郎と染谷徳五郎の二人にあります。

池野成一郎は、牧野富太郎の研究を支えた友人であり、ソテツ精子の発見でも知られる植物学者です。染谷徳五郎は、1887年に市川延次郎、牧野とともに『植物学雑誌』の創刊に加わりました。

同じ仲間でも、担った仕事は違う。一人は研究する人の背中を支え、もう一人は研究を世に出す場をつくりました。

その後、牧野が研究を続けられるよう力を貸したのが池野成一郎です。一方、染谷徳五郎は1887年に市川延次郎、牧野と『植物学雑誌』の創刊に関わりました。

池野と染谷は、同じ形で牧野を支えたわけではありません。

研究を続ける道を支えた池野。研究を世に出す場をつくった染谷。この二つの役割を知ると、波多野の静かな立ち位置が、ぐっと立体的になります。

人物牧野富太郎との関わり確認できる出来事波多野を考える手がかり
池野成一郎牧野の研究継続を支援1890年、牧野が植物学教室への出入りを禁じられた後、研究を続けられるよう援助したと日本植物学会が紹介している研究者として支える役割
染谷徳五郎『植物学雑誌』創刊の仲間1887年、市川延次郎・牧野富太郎と創刊に関わった研究を発表する場をつくる役割

池野成一郎は牧野富太郎をどう支えたか

池野成一郎は、ソテツ精子の発見で知られる植物学者です。

牧野が植物学教室への出入りを禁じられた後、池野は研究を続けられるよう援助の手を差し伸べたと、日本植物学会は紹介しています。その後、牧野は帝国大学の助手として採用されました。

新種の発見ほど目立つ場面ではありません。

けれど、研究者が机へ戻れるようにする手助けは、その後の仕事を左右します。なおじには、ここが池野成一郎の大きさに映ります。

波多野の落ち着いた姿を見るとき、前へ出て万太郎を引っ張るのではなく、研究の足場を守る人の存在を思い出すんです。

染谷徳五郎と『植物学雑誌』創刊

染谷徳五郎は、市川延次郎、牧野富太郎とともに『植物学雑誌』の創刊に関わりました。

1888年の『植物学雑誌』には、染谷徳五郎、池野成一郎、牧野富太郎の三人の名が並ぶ論文も掲載されています。

研究は、見つけるだけでは続きません。

標本を集めた人の仕事を、論文にする人がいる。雑誌として印刷し、次の研究者へ渡す人がいる。染谷の名は、その流れの入口に残っています。

波多野が万太郎のそばで見せる静かな働きを思うと、研究の場を支える仲間の存在が、あらためて大きく感じられます。

池野と染谷が担った二つの役割

池野の援助と、染谷らによる雑誌創刊は、同じ「支え」でも中身が違います。

池野は、牧野が研究を続ける道を後押しした。染谷は、研究を世に出す場づくりに加わった。

波多野を一人の実在人物へ固定するより、この二つの役割を知る方が、ドラマを見返す楽しみが増えます。

波多野の中には、研究を支える人と、研究を広げる人の仕事が重なっている。なおじには、そんなふうに見えるんです。

藤井健次郎と大賀一郎から見える植物学の系譜

大賀一郎は、古代ハス「大賀ハス」で知られる植物学者です。

東京帝国大学理科大学植物学科を卒業した大賀は、大学院で藤井健次郎に師事しました。牧野富太郎が植物の分類へ向かったのに対し、大賀はハスの受精現象などを手がかりに、別の道から植物を見つめていきます。

藤丸や波多野の人物対応よりも、近代植物学がどんな人たちへ受け継がれたのかを知るうえで、大賀一郎は外せない名前です。

大賀一郎はハス研究で知られる植物学者

大賀一郎といえば、大賀ハスです。

約2000年前の古代ハスの種子を発芽させ、花を咲かせた植物学者として広く知られています。けれど、その歩みの出発点には、藤井健次郎のもとで植物の細胞や受精現象を学んだ時期がありました。

小さな種子から、長い時間を越えて花が開く。

大賀一郎の仕事には、牧野富太郎の標本や図鑑とはまた違う、植物学の時間が流れています。

藤井健次郎に師事した大賀一郎

藤井健次郎の研究室からは、大賀一郎をはじめ、多くの研究者が育ちました。

藤井は、植物形態学、細胞学、遺伝学へと研究領域を広げた人物です。大賀は、その学びを受けてハスの研究へ進み、のちに多くの人が知る大賀ハスへたどり着きました。

牧野富太郎、池野成一郎、藤井健次郎、大賀一郎は、同じ研究をしていたわけではありません。

それでも、大学、研究室、標本、雑誌という場を通じて、植物学が次の人へ渡されていった。そのつながりをたどると、『らんまん』の世界が、万太郎一人の物語よりずっと広く見えてきます。

牧野富太郎の周りにいた仲間たち

1887年の『植物学雑誌』創刊には、牧野富太郎、市川延次郎、染谷徳五郎の名があります。

市川延次郎と染谷徳五郎は、牧野とともに雑誌をつくりました。池野成一郎は、牧野の研究を支えた友でした。藤井健次郎のもとからは、大賀一郎のように別の道へ進む研究者も出ました。

二つの出来事を並べると、牧野の歩みが一人だけで進んだものではなかったと分かります。

藤丸と波多野は、こうした仲間たちの人生をそのまま再現した人物ではないでしょう。けれど、万太郎のそばで研究を支え、言葉を交わし、次の一歩をつくる姿には、史実に名を残した人たちの仕事が透けて見えます。

雑誌をつくる人、研究を支える人

市川延次郎と染谷徳五郎は、牧野とともに雑誌をつくった。

池野成一郎は、牧野が研究を続ける道を支えた。

藤井健次郎のもとからは、大賀一郎のように別の研究へ進む人が出た。

なおじには、『らんまん』の藤丸と波多野は、こうした名前の残る仲間たちを思い出させる存在に見えます。

植物を見つけた人だけが歴史をつくるのではない。記録する人、発表する人、背中を押す人、次へ渡す人がいる。その連なりまで見えてくるところに、この二人を史実から読む面白さがあります。

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よくある質問

藤丸次郎と波多野泰久のモデルは、NHKから公式発表されていますか?

NHKは『らんまん』を牧野富太郎の人生をモデルにしたオリジナルストーリーとして紹介しています。藤丸次郎と波多野泰久について、個別の実在モデルは公式に示されていません。

藤丸次郎は田中延次郎そのものですか?

藤丸次郎は田中延次郎そのものではありません。

田中延次郎は旧姓を市川延次郎といい、牧野富太郎、染谷徳五郎と『植物学雑誌』創刊に関わりました。その役割が、藤丸を読むための大きな手がかりになります。

波多野泰久は池野成一郎そのものですか?

波多野泰久を池野成一郎そのものと決めることはできません。

池野は牧野の研究継続を支え、染谷は雑誌創刊に加わりました。波多野には、二人が担った異なる役割を思わせるところがあります。

大賀一郎は何で有名ですか?

大賀一郎は、古代ハス「大賀ハス」を発芽・開花させた植物学者として知られています。

大学院では藤井健次郎に師事し、のちにハスの研究を続けました。『らんまん』の人物モデルとしてではなく、近代植物学の研究者の系譜を知る人物として押さえると分かりやすいでしょう。

筆者紹介|なおじ

なおじ

ドラマの人物像や史実とのつながりを、熱量をもって読み解くコラムニストです。

教育現場で35年、史料と向き合ってきた経験を土台に、作品の細かな伏線や登場人物の心理を、やさしくも鋭く掘り下げます。

ただ筋を追うだけではなく、「なぜそう描かれたのか」「何が伝わるのか」を大切にしながら、物語の奥にある人間の温度まですくい上げるのが持ち味です。現在は複数のブログで、ドラマ・歴史・教育・書評など幅広く発信しています。

現在は8つのブログでドラマ・芸能・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評を書いています。

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