鎌倉初期、『日本を創った思想家』を三人に絞るとすれば、『空海・親鸞・道元』であろう。道元は、「自分の教えは、民衆に受け入れられる必要はない。ごく少ない人数でよい。お釈迦様のなさった修行を、自らも行いたいという志をもった者だけが、修行を通して自力で自らを救う。」と、他力救済を説く親鸞とは、真逆の『自力救済思想』を示した。
道元の概要
道元の生きた時代は、1200年(正治2年)~1253年(建長5年)
「真実の仏法は、深山幽谷にあり」として、越前永平寺を開き、日本に曹洞宗をひろめた。
父は、久我通親(みちちか)とも、通具(みちとも)とも言われる。母は不詳だが、藤原基房(もとふさ)に関係した女性だったろうと言われている。
村上源氏久我流の名門一族に生まれた。しかし、幼少期に父母が亡くなり、その後、藤原基房の養子となる。
幼いときから、秀才の誉れ高く、四歳で李嶠百詠(りきょうひゃくえい)を読み、七歳で詩経や春秋左氏伝を読んだと伝えられる。
養父、藤原基房は、道元の才能を生かして、将来は朝廷に仕えさせようと考えていた。
しかし、道元自身が出家を望み、13歳から18歳にかけて比叡山で修行の日々を送った。
比叡山修業時代の大疑問
道元が、比叡山にいた時期は、13歳から18歳という多感な時期だった。道元が学んだころの比叡山の基本思想は、本覚法門(法門とは仏の教え・「本学」という仏の教えのこと)。
道元は、この比叡山の根本思想である「本覚法門」に疑問をもった。
「生まれながらに仏」なら、なぜ修行する必要があるのか
「本覚」とは、
本来本法性、天然自性身
『人間は、生まれながらにして仏となる素質をそなえている。』という思想。
道元は、この教えに疑問をもつ。
おかしい!
人が、生まれながらにすでに仏なら、どうして修行する必要があるのだ。
道元は、この大疑問を比叡山の高僧たちに問う。
しかし、誰一人満足に答えることができなかった、というのが一般的な話。
しかし、比叡山には、すでにこの疑問に対する答えがあった。
本来、人は仏であるからこそ、修行が必要。
仏でないものが仏になるのではない。本来仏であるからこそ、修行によって仏になるのだ。
「このような答えが比叡山にあった」なら、道元は宋へ留学する必要性がなくなってしまう。
しかし、現実に道元は、宋へ行っている。なぜか?
堕落した仏教会に対する、道元の批判
「道元の大疑問に答えられる僧がいなかった」と語られてきた話が覆され、すでに比叡山にはその答えがあった。
この話が本当なら、どうして、道元は宋に渡海する必要があったのか。
この疑問について、角田泰隆氏は、著書道元入門で、次のように語っている。
当時の比叡山には、教義のみあって、肝心の修行がお座なりにされていたので、
道元入門より
「なぜ、みな、厳しい修行をしないのか」という、当時の堕落した仏教会に対する皮肉にも似た批判だったのではないか。
「比叡山の僧が答えられなかった」というより、「堕落説」の方が、真実に思われる。
如浄との出会い
宋に渡った道元は、天童山に上る。
そこには、如浄禅師(にょじょう)が居り、座禅修行を中心とした厳格な指導が行われていた。
如浄禅師(1163年~1227年)は、臨済宗・曹洞宗のいずれの宗にもくみせず、両宗派の宗旨を兼ね備え、独自の宗風を振るっていた。
如浄への入門は、簡単ではなかった。
このような逸話がある。
私は、各地で既に20年余り修行を行って参りました。
さらに如浄禅師の元で修行を積みたく参りました。
入門を、お許しください。
・・・・。
こちらの道場においていただければ、
何でもお役に立とうと思います。
真剣に仏法を求めるものでなければ、
いったい難の修行の必要があろう。
役に立とうと思うような者は、
かえって皆を騒がせる。
あなたのような者は、
わしの道場で学ぶ必要は無い。
帰りなさい!
このような有様だった。
しかし、道元については、すんなりと入門を許されたという。
道元には、『学びたい』という気迫が漂っていたのだろう。
道元の言う『自力』とは
『正法眼蔵』
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)とは、
釈迦の修行の追体験をすることを指している。
仏祖であるお釈迦様の成仏体験に返り、他の一再を捨て去り、仏祖釈迦牟尼と一対一で向き合い、仏祖と心を通わす実践こそ禅の修行である。
『修行至上』
他の宗派との共存も闘争も避ける。
出家・修行至上主義。
仏祖の成仏体験(正法)を報じる信者だけが、修行をして自らを救う。
よって、修行する者は、少なければ少ないほどよい。
『身心解脱』
人間は、元々仏性をもっている。実は人は、そのまま仏である。
悟ろう、悟ろうとしても無駄だ。
自我意識を崩そうとするのではなく、『あれ、今自分は仏の心の中にあった。』『仏の心に自然と溶け込んでいる。』と、向こうからやってきて、自然と感じる。
自己をはこびて万法を修証(しゅしょう)するを迷いとす。
万法すすみて、自己を修証するは、悟りなり。
「自分の方から、宇宙の真理を悟ろう」などと考えている間は、
『迷い』だ。
『宇宙の真理の方から働きかけてもらって、自分を悟らせてもらえる』
そういう瞬間に、人は悟らせていただくことができるのだなあ。
仏道をならうことは、自己をならうことだ。
正法眼蔵より
自己をならうことは、自己を忘れることだ。
自己を忘れることは、宇宙の真理に目覚めさせられることだ。
宇宙の真理に目覚めさせられることは、
自分の心身と、他人の心身を、
解脱させることである。
「迷い」と「悟り」
現実世界の諸物を、仏の教えをもって眺めるなら、すなわち仏道修行の観点から見れば、そこには迷いと悟りがあり、修行があり、生(しょう)があり、死があり、諸仏があり、衆生(しゅじょう)がある。
正法眼蔵より
現実世界を『われ』という立場を離れて眺めるとき、すなわち身心解脱したのちには、迷いもなく悟りもなく、諸仏なく衆生なく、生もなく滅もない。
人間には、「迷い」がある。
人は、その迷いから解放されたいと願う。
しかし、道元は言う。
迷ってよいのだ。迷わないのは仏様だけ。
人は、迷う。
だから、『きちっと、迷う』ことこそが大切だ。
修行とは何か
ある老典座との出会い
老典座(てんぞ)との出会いの話は、道元の逸話を語る上で外せない。典座とは、いわゆる食事係のこと。
年老いて、食事係をしているある僧の逸話。
あるとき、道元の乗る船に、シイタケを買うために老典座がやってきた。年齢は61歳。道元はその老典座が気になって話しかける。道元は、老典座に「食事を提供するので、泊まっていってください。」と、誘う。
しかし老典座は、忙しげで道元の誘いを拒む。
お寺には、あなたの他にも炊事係はいるでしょう。あなた一人くらい不在でも、困らないでしょう。
「泊まっていきなよ」と、道元。
私は、老年で典座となった。どうして修行を他の人に譲ることができましょう。
あなたはそれなりのお年なのですから、どうして食事係などをお引き受けになり、一生懸命に働いておいでなのですか?
典座は、大笑いした。
あなたは未だ弁道(修行)とは何かと言うことが分かっていない。文字(言葉)とは何か、ということもご存じないようだ。
・道元は、
修行とは?
言葉とは?
と尋ねる。
老典座の答え
そのときは、忙しかったので、老典座は、後日道元に答えた。
言葉とは何でしょう。
「一二三四五」です。
「・・・・・。」
では、修行とはどういうものでしょうか。
遍界(へんがい)かつて蔵(かく)さず。
解説
如何是文字
老典座が言った、「一二三四五」という言葉は、『趙州録』という書の中に出てくる。
南泉普願(なんぜんふがん)という師匠と、趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)という弟子の話。
ある時、趙州は師匠の南泉をだましてやろうと思い、井戸を覆う櫓の上に上り、下を通った南泉先生に、「先生助けてください。降りられません。」と叫んだ。
趙州の叫び声を聞いた南泉先生は、「待っておれ」と声をかけ、はしごをもってきた。そして、櫓にはしごをかけ、「一、二、三、四、五」と声を出す。
『あはは、師匠をだましてやったぞ。』
と、趙州は内心ほくそ笑む。
しかし、一向に南泉師匠ははしごを登ってこない。趙州が下を確認すると、師匠はかけ声だけかけて、そのまま行ってしまっていた。
言葉とは、そういうものにすぎない。言葉に出しても実際に実行が伴わなければ、言葉はタダの言葉である。
「如何是文字」(言葉とは何ですか?)と、いう質問は同時に
『如何なるものも、みな文字である」とも読める。
つまり、質問の中に既に答えがある。
言葉を美辞麗句で飾ろうとも、優れた知識を言葉で学んだといっても
実行が伴わねば、それは何の価値もない。
だから、修行が大切なのだ。
では、修行についての
遍界(へんがい)かつて蔵(かく)さず、の意味は何ですか。
「世界はかくすことなく現れている。」という意味じゃよ。
この世に、修行でないことなどないのじゃ。一切が修行。
道元さんは、私が『61歳にもなって、なんで典座なんてやっているのか』と思ったようじゃが、典座の仕事は61歳の私が、仏様からいただいた修行だ。
言葉ではなく、実行することで修行が成る。
この修行を、どうして誰かに代わってもらおうなどと思える?
そんなことは、出来ないということが、今はおわかりじゃろう。
『雑用』という言葉がある。
行い・仕事そのものに、つまらない仕事も、尊い仕事もない。
「この仕事はつまらない。」「価値がない。」と、判断するのは、私たちの心のあり方による、と老典座は語っている。
道元の自力と、親鸞の他力
道元の「自力」は『猿の道』、親鸞の「他力」は『猫の道』
道元の仏教思想は、『猿の道』であるという。
人間は、生まれながらに仏性をもつ。しかし、そこに近づくには、あたかも子猿が、母猿の腹にしがみつくかのように、自らの力(自力による修行)を要する。
対して、親鸞の「他力」は、『猫の道』であるという。
自らは、ありのままでいて良い。善人だろうが、悪人だろうが、仏が救ってくれる。あたかも、母猫が子猫を救いに運んでくれるかのようにだ。ただただ、母猫に感謝し(他力)、「南無阿弥陀仏」と唱えれば良い。
ただし、注意しなければならないのは、「猿の道」で母猿が運ぶ先は、人間レベルでの「悟り」だ。「悟る」ために、「大いに悩め」と言う。
対して、「猫の道」で母猫が運ぶ先は、「極楽浄土(救い)」だ。悟りは、極楽浄土に行ってからの課題であり、衆生の課題ではない。
そもそも、目的地が違うか?
それぞれ学ぶに値する思想家たちの叡智であろう。
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