歴史雑感– category –
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茨城県の読み方は、なぜ「いばらき」なのか:茨城の本当の意味は何?
どうして「茨城」は「イバラキ」と読むのでしょう。実は、「茨城」の古代の読み方「牟波良岐」に由来。『茨城』は「茨(イバラ)で造った城(キ)」のことだと言います。はたして本当でしょうか。「茨城」には、隠された別の意味があるのです。それは何? - ブギウギ
笠置シヅ子と穎右の母「吉本せい」との関係:死因・葬儀から考える
穎右の死のわずか3年後、吉本せいもこの世を去ってしまう。せいの死の原因は何だったのか。笠置シヅ子と、せい残されたわずか3年の間に、二人は和解することが出来たのか。「せい」の葬儀に笠置と穎右の忘れ形見「ヱイ子」は参列することができたのか。 - ブギウギ
ブギウギ:福来スズ子(笠置シヅ子)と茨田りつ子(淡谷のり子)の確執
スズ子(笠置シヅ子)とりつ子(淡谷のり子)の確執は、史実ではどうだったのだろうか。このブログでは、二人の仲の真実を追究する。 - ブギウギ
ブギウギ靴磨き少年達彦の親:親友タイ子(藤間爽子)の変貌
久しぶりに再会したスズ子に、切りつけるような鋭い視線を投げかけたタイ子。「いったいタイ子に何があった?」と劇中のタイ子を案じるとともに、タイ子を演じる藤間爽子の演技力に魅了された。このブログでは「激変したタイ子に何があったのか」を探るとともに、「役者・藤間爽子とは何者か」について追究する。 - ブギウギ
知っておきたい!ラクチョウのオミネのモデルは『お米』か、『お時』か
ラクチョウのオミネ(田中麗奈)のモデル「ラクチョウのお時」または「ラクチョウのお米」とは、どのような人物だったのだろうか。また、史実でも「ラクチョウの姐さんの殴り込み」は、あったのだろうか。 - 歴史雑感
『愛子様の天皇可能性を議論せずは、本質外し』の記事、本質がずれてる
「国民の76%が支持する『愛子様、天皇待望論』に従って、『女性天皇』『女系天皇』に目を向けないのは、本当に歴史の枝葉末節だけを見ていて、『本質を見ていない』」ときう主張は正しいのか。皇位継承の『本質論』』について追究する。 - ブギウギ
穎右の母「吉本せい」は、笠置と穎右の結婚、そして妊娠をいつ許したのか?
1943年(昭和18年)ごろ、笠置シヅ子こと亀井静子(ブギウギのスズ子)は運命の人吉本穎右と出会った。二人は翌年の1944年(昭和19年)には結婚する約束が出来ていた。このとき、吉本関係者、とりわけ穎右の母親『吉本せい』は、二人の結婚に反対したとされる。『吉本せい』は、最後まで二人の結婚に反対だったのだろうか。また穎右の子『ヱイ子』は、どうなったのだろうか。 - ブギウギ
美空ひばりデビューのために踏み台にされた悲運の歌姫、ブギウギの「笠置シヅ子」
朝ドラ「ブギウギ」で元気いっぱいの歌声を披露する花田鈴子。この鈴子のモデル笠置シヅ子は、ブギの女王と言われる。一斉を風靡した歌姫笠置シヅ子ではあったが、1957年(昭和32年)に、あっさりと歌手を引退している。シヅ子の引退の陰には「ベビー笠置... - ブギウギ
笠置シヅ子の夫:「吉本穎右との恋」と忘れ形見の 愛娘「ヱイ子」
笠置シヅ子(実名「亀井静子」・ブギウギの「花田鈴子・福来すず子」)の運命の人は、吉本興業の御曹司「吉本穎右(えいすけ)」。二人の間には女の子(ヱイ子)が生まれる。しかし、静子と穎右が一緒に暮らすことが出来たのは、ほんの数ヶ月。正式に結婚することは出来なかった。穎右は、娘のヱイ子が生まれる約一月前この世を去った。このブログでは、ブギウギ花田鈴子のモデル亀井静子(笠置シヅ子)と、吉本穎右の恋の顛末について追究する。 - 光る君へ
紫式部と清少納言ライバルとされた二人の実名は?:本当に実在したのか?
紫式部と言えば「源氏物語」、そして清少納言と言えば「枕草子」。どちらも日本が誇る世界的女流文学家。紫式部は、2024年の大河ドラマの主人公にもなっています。ところで、紫式部の本当の名前は何と言うのでしょうか。また、清少納言の方はどうでしょうか。そもそも、このような優秀な女性が平安時代に本当に実在していたのでしょうか。