1941年、「笠置シズ子(この時は、シズ子)とその楽団」を結成。だが、わずか3年数か月の1944年に、楽団のマネジャー中島信が笠置に無断で楽団を他の興行師へ転売してしまう。その結果「笠置シズ子とその楽団」は解散し、笠置は場当たり的な興行生活を余儀なくされることになった。ブギウギの五木ひろき(村上新悟)マネジャーのモデルは、当然この中島信。だが、実はもう一人の大物マネージャーもモデルの1人だと思われる。そのマネージャーとは、山内義富。このブログでは、笠置の二人のマネージャーについて追求する。
中島信マネージャーについて
五木ひろきのモデルとされる一人は、笠置の最初のマネージャー中島信。
この人物は、淡谷の紹介で雇ったマネージャー。
松竹を退団した後、笠置が自分の楽団を立ち上げるにあたり、淡谷のり子の世話で中島信はマネージャーとして雇われている。
中島マネージャーのもとで、笠置と淡谷の二枚看板による「タンゴ・ジャズ合戦」が邦楽座で開かれている。
だがこの公演のすぐ後、笠置に「適性歌手」のレッテルが貼られ、笠置の楽団は東京で仕事ができなくなってしまう。
仕方なく地方巡業などで戦時中を凌ぐが、楽団としてはとても苦しい状態に追い込まれていた。
この時期ジャズが歌えないので、東南アジアを舞台に服部良一が作詞・作曲した「アイレ可愛や」を持ち歌とし、その他かに「大空の弟」など、数曲の軍歌のみで巡業をこなした。
戦局が悪化した1944年、マネージャーの中島が『笠置に無断で楽団を他の興業主に売却』してしまう、という事件が起こる。
これにより、笠置の楽団は解散。
この後、歌手としての笠置は長い不遇の時期を過ごすことになる。
中島信マネージャーは、金を持ち逃げしたわけではない
ここまで見てきたように、中島マネージャーは勝手に笠置の楽団を他の興行主に売り飛ばしてしまった。
しかし、笠置の金を持ち逃げしたわけではない。
では、笠置の金を持ち逃げしたマネージャーは誰なのだろうか。
もう一人のモデル、山内義富マネージャー
山内義富マネージャーは、淡谷のり子が、「笠置は、作曲家とマネージャーに恵まれた人はいない」と述べた。
山内義富は、それほどのマネージャーだった。
確かに、力があるマネージャーで一時期は、笠置を大変によくサポートしていた。
ブギウギでは、山下達夫(近藤芳正)が山内義富の直接的なモデルだと思われる。
山内義富は、最愛の人「吉本穎右」が笠置につけたマネージャー
1945年5月、笠置の京都巡業中に東京大空襲が有里、三軒茶屋の自宅が消失してしまった。
笠置はこれにより、財産を無くし無一文状態に追い込まれた。
幸い同居していた父(義父)の音吉も無事だった。
だが、家がなくなってしまったので音吉は郷里香川に帰ることになった。
そして、1945年の年末まで、最愛の人吉本穎右と荻窪で同棲している。
8月終戦、12月に服部良一が上海から帰還。
戦後の復興を目指す1946年、穎右は早稲田を中退し、吉本興業(東京支社)の仕事に専念するため二人は別々に住むことになる。
笠置は、服部良一の2階に仮住まいをする。
この年、エノケンこと榎本健一と初共演。歌手笠置がやっと動き出した。
活動し出した笠置に、穎右はコロンビアから吉本に入社していた山内義富をマネージャーに付けた。
山内義富は、穎右に見込まれたマネージャーだったのだ。
笠置も、山内を「おじさん」と呼び、全福の信頼を寄せた。
46年の5月には、笠置と穎右と山内と三人で箱根に旅行している。
この旅行で、笠置は妊娠。
笠置の最も幸福な時期だった。
だが1947年になると、穎右の病状は悪化した。
病気治療のため、西宮へ帰郷することになった穎右を笠置は東京駅で見送る。
この時笠置は、よく年2月の公演を最後に引退し穎右の元に行く決心を固めていた。
だが、それはかなわなかった。
穎右は1948年の5月に西宮の実家で死去してしまう。
享年わずかに24歳。
悲しみにくれる笠置だったが、穎右の死から1か月後の6月1日に愛娘「ヱイ子」が誕生する。
そしてこの年1948年の9月10日「東京ブギウギ」が発表された。
何とも劇的な生涯。
悲しみのどん底で、笠置は子を産み、歌を産む
希望に燃える前向きな歌詞の歌だった。
山内義富が、笠置を窮地に追い込む
山内義富は、確かに凄腕のマネージャーとして笠置をよく支えていた。
笠置も、山内を頼り切り、感謝と信頼の心で、一切のマネジメントを山内に任せていた。
ところが、山内義富は賭け麻雀狂だった。
賭けがもとで、笠置の金を350万円使い込んでしまう。
この金は、笠置が新居建設のために準備していた金だった。
現在の貨幣価値に直すと、1億数千万になるだろうか。
まとめ:五木ひろきマネージャーのモデルは二人
淡谷のり子は、「笠置はマネージャーに恵まれていて羨ましい」と語ったが、実際は二人のマネージャーに裏切られている。
最初のマネージャーの中島信(ブギウギの五木ひろき)に、自分の楽団を無断で売られた。
また、穎右の肝煎りで笠置につけてくれた剛腕マネージャーの山内義富(ブギウギの山下達夫)にも、笠置の金を使い込まれてしまう。
大スター笠置シヅ子の人生は、一皮むこと苦労・苦難の連続だった。
ブギウギ五木ひろきマネージャーのモデルは、「中島信」と「山内義富」のやったことを混ぜて描いていると思われる。
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