目次
『ほんまに離れとうない』…穎右の死
ブギウギのお話の中では、愛助が村山興行に入社してもスズ子との同棲生活が続いている。
だが、実際は戦後の1946年(昭和21年)、穎右は早稲田大学を中退し、吉本興業東京支社の社員として働くことになると、それに伴い二人の同棲生活は終わりを告げている。
笠置は46年の1月21日に、吉祥寺の服部良一(ブギウギ羽鳥善一のモデル)の家の二階に仮住まいすることになった。
さらにその年の4月には、服部の家を出て、目黒に知り合いの女性を頼って引っ越しをしている。
笠置の妊娠
二人は別々に住むようにはなったが、その間も愛は深まっていった。
その年(46年)の5月の末には、笠置と穎右と、穎右が笠置のために雇った笠置のマネージャーの三人で、箱根に旅行した。
そして46年(昭和21年)10月、笠置は自分が妊娠していることに気付く。
吉本穎右の病
47年(昭和22年)1月、笠置は、世田谷に一軒家を借りて引っ越した。
そこで、穎右が付けてくれたマネージャーと一緒に住む。
このころ、穎右の結核は次第に悪化していった。
笠置は、愛助と『ほんまに離れとうない』
と、心から願ったが、穎右の病状がそれを許さなかった。
穎右は、兵庫県西宮市の実家に戻って療養に専念することになる。
1947年の1月14日、笠置は東京駅で穎右を見送った。
そしてそれが、穎右との永遠の別れとなった。
穎右の死
穎右は、1947年5月19日にこの世を去った。
享年24歳だった。
コメント