こんにちは、なおじです。
朝食を食べながら妻に「昨日のべらぼう、冒頭1分で泣いちゃったよ」と言ったら、「またドラマで泣いたの?ティッシュ減るわね」と呆れられました。(ムぅ、涙もろいのは感性が豊かってことでしょう)
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第12週『曽我祭の変』、第46話が11月30日に放送されました。
いやぁ~、この回はもう、最初の1分で涙腺崩壊ですよ。
そして、ついに東洲斎写楽が世に出る瞬間が描かれ、さらに一橋治済(生田斗真)の恐ろしさが際立つ展開でしたね。

この記事でわかること
- 歌麿が耕書堂に戻りていの思いで蔦重が叫ぶシーン
- 東洲斎写楽の役者絵が江戸で評判になった経緯
- 曽我祭の歴史的背景と江戸時代の経済効果
- 松平定信の一橋治済追い落とし計画の全貌
- 治済が大崎を毒殺し蔦重に接触した衝撃の展開
【第46話の主な出来事(タイムライン)】
| 時系列 | 出来事 | 登場人物 |
|---|---|---|
| 冒頭 | 歌麿が蔦重のもとへ戻る | 歌麿、てい、蔦重 |
| 序盤 | 写楽プロジェクト始動・50人の役者絵制作 | 蔦重、歌麿、鶴屋 |
| 中盤 | 曽我祭で治済をおびき出す計画 | 定信、大崎、平蔵 |
| クライマックス | 治済が大崎らを毒殺 | 治済、大崎 |
| 終盤 | 蔦重が命を狙われ、治済そっくりの謎の男が接触 | 蔦重、謎の男 |
歌麿が耕書堂に戻ってきた──ていの思いと蔦重の叫び

冒頭、歌麿(染谷将太)がていを連れて蔦重(横浜流星)のもとへ戻ってくるシーン。
ていが再び出家したいと言ったと聞いたとき、蔦重は驚きましたよね。
でも、歌麿が伝えたていの言葉が、もう本当にすごかったんです。
「好きだからさ。あんたが好きで、あんたのために仏のご加護が欲しいからなんだってさ。そういう風に役に立ちたいんだってさ」
そして、歌麿のセリフはさらに畳みかける。
「何遍もおていさんに同じことをさせんなよ。世の中好かれたくて、役に立ちたくて、自分を投げ出す奴がいんだよ。そういう尽くし方をしちまう奴がいんだよ。いい加減わかれよ。このベラボーが」
書いてても、またなんだか涙が出てくる。
いや、いいセリフだなぁ。
教師時代、バスケ部でAくんという生徒がいました。
いつも仲間のために自分を犠牲にして、最後は心身ともに疲れ果ててしまった。
そのとき、なおじは「お前、もっと自分を大事にしろよ」としか言えなかったんですよねぇ〜。
でも、歌麿のこのセリフは、蔦重へ、そしてていへの愛情と彼女の純粋さへの理解が込められていて、言葉の重みが違うわけ。
👉関連記事:きよ実在 べらぼう38話 歌麿妻と大首絵誕生の史実検証
話は違うんだけど『このときの蔦重(横浜流星君)の目の下のクマ』がなんだか気になった。
体調壊してんのか。
それとも、役?
横浜流星さん、本当にお疲れさまです。(ちょっと心配)
東洲斎写楽、ついに世に出る──50人の役者絵を創るプロジェクト

そして、いよいよ東洲斎写楽の誕生、ワクワクしますよね。
歌麿が耕書堂に戻った。
蔦重と二人にしか生み出せない絵を見てみたいというていの思いに突き動かされたわけですね。
これで、完成形チーム写楽が動き出します。
蔦重たちは、50人の役者絵を創ることにしました。
蔦重の計略で、平賀源内が生きているように見せかける偽装工作もスタート。
歌麿を含むチーム写楽は、鶴屋(風間俊介)も一味に加え芝居小屋の稽古場を訪れ、役者たちを写生を始めます。
胸がすく展開じゃないですか。
おもしれー。
エンターテイメントだよねー。
👉関連記事:写楽の正体は誰?べらぼう45話しゃらくさいの意味
写楽の絵は、平賀源内が描いたと噂させる大プロジェクト。
このあたり、史実はどうだったんでしょう。
探ってみたいですよね。
もしかすると、本当に東洲斎写楽は、平賀源内だったと言う説もあったのかもしれない。
(史実については、最後のQ&Aで解説してます。)
史実では、東洲斎写楽の正体は能役者の斎藤十郎兵衛が有力とされていますが、「べらぼう」では写楽は一人の絵師ではなく、蔦重が仕掛けたプロジェクトの名前として描かれています。
👉関連記事:べらぼう『空飛ぶ源内』源内生存説と傀儡の恐怖を読み解く
平賀源内生存説を広め、一橋治済をおびき出すための策として生まれたわけです。
曽我祭とは何か──江戸の芝居町が最も華やいだ祭礼

社会科教師としては、曽我祭りとはなにかを解説したい。
**曽我祭(そがまつり)**とは、江戸の歌舞伎劇場において、曽我兄弟の仇討ちを題材にした「曽我狂言」が正月から5月まで継続興行した年に、曽我兄弟の討ち入りがあった5月28日を中心に催された祭礼行事のことです。
起源は宝暦3年(1753年)、中村座での初春興行が大成功を収めた際に、初めて舞台上でこの祭礼を披露したことで注目を集め、以後は江戸三座(中村座・市村座・森田座)において恒例行事となり、文政期(1818~1830年)ごろまで続けられました。
【曽我祭の基本情報】
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 起源 | 曽我兄弟の仇討ち(建久4年・1193年5月28日) |
| 開催時期 | 5月28日を中心に開催 |
| 開催劇場 | 江戸三座(中村座・市村座・森田座) |
| 歴史 | 宝暦3年(1753年)~文政期(1818~1830年)まで継続 |
| 演目 | 曽我狂言(正月から5月まで継続興行) |
| 経済効果 | 1日で数万人の観客、芝居小屋の収入は通常の3倍 |
曽我兄弟の仇討ちとは、建久4年(1193年)5月28日、源頼朝の富士の巻狩り中、曽我祐成(22歳)と時致(20歳)が、父・河津祐泰の仇である工藤祐経を討った事件です。
この物語は、江戸時代に歌舞伎化され、曽我祭の原動力となりました。
祭りは経済効果も大きく、推定1日で数万人の観客が酒食を消費し、芝居小屋の収入は通常の3倍だったそうです。
江戸の芝居町が一年でもっとも華やぐ瞬間——それが「曽我祭」だったわけですね。
松平定信たちの壮大な一橋追い落とし計画

松平定信(井上祐貴)たちの壮大な一橋追い落とし計画が始まります。
大崎(映美くらら)を取り込んで、計画は良い方向に着々と進んでいるように見えました。
将軍になるはずだった家基の死の真相に薄々気付いている徳川家斉は気弱な様子、裏で糸を引く一橋治済は怜悧。
定信らは黒幕の一橋治済を追い詰める計画を立てるわけです。
その一手が蘇我祭。
ここに治済をおびき出そうという計画でした。
大崎が「平賀源内とおぼしき男がいる」と報告し、曽我祭の日に一橋治済とともに確認したいと申し出たのです。
👉関連記事:べらぼう29話の裏側|田沼政治崩壊の真実と江戸出版界の闇を読み解く
大名は基本的に警護が厚く、普段はなかなか隙を見せません。
ですが、祭礼や見物の日だけは街に出やすく、人混みに紛れやすい。
その”盲点”を突くのは、時代劇として王道の面白さがありますね。
治済はさらに上を行く──大崎を毒殺し、蔦重に接触する恐怖

しかし、治済はさらに上を行く。
定信たちの企みに気づいた治済は、大崎らを毒殺するという衝撃の展開になりました。
生田斗真さん、こわー。
終盤では蔦重までが命を狙われることに。
謝罪する長谷川平蔵に武家でもない自分たちはどうやって身を守ればいいのか、と激しく憤る蔦重の前に1人の男が姿を現るところで今回のエピソードは終了します。
定信らとともにその場に潜んでいた男は治済そっくり、しかし姿は治済と瓜二つだが表情や視線が全く違う。
この謎の男について、視聴者からは「本人を始末して影武者と入れ替えるつもりだったとか?」という声も上がっています。
治済が蔦重に接触する意味は何なのか。次回以降の展開が気になりますね。
なおじの洞察──江戸の「考察班」と現代の共通点

江戸時代にも「考察班」っているんだな、って思いましたね。
写楽の正体を予想する江戸っ子たちの姿に、視聴者から共感の声も上がっています。
これって、現代のSNSで「このドラマの犯人は誰だ?」って盛り上がるのと同じじゃないですか。(なおじもXで毎週予想してますけどね)
人間って、いつの時代も謎解きが好きなんだなぁ。
情報が限られてる江戸時代の方が、かえって想像力が膨らんで楽しかったかもしれませんね。
そして、治済の恐ろしさ。
定信たちが仕掛けた罠を、まんまと出し抜く。
生田斗真さんの演技が本当に怖い。
教師時代、生徒たちに**「歴史の権力者は、常に一手先、二手先を読んでいた」**って教えてきましたけど、治済はまさにその典型ですね。
曽我祭 配り饅頭 笑み消える
本日の主な登場人物(役者名)
- 蔦屋重三郎(演:横浜流星):主人公。耕書堂の版元で、東洲斎写楽プロジェクトの仕掛け人
- 喜多川歌麿(演:染谷将太):天才浮世絵師。耕書堂に戻り、写楽の役者絵を描く
- てい(演:橋本愛):蔦重の妻。蔦重と歌麿の絵を見たいと願う
- 一橋治済(演:生田斗真):黒幕。定信たちの企みを出し抜き、大崎を毒殺
- 大崎(演:映美くらら):治済に仕える女性。定信に協力するが毒殺される
- 松平定信(演:井上祐貴):老中首座。治済を追い詰める計画を立てる
- 長谷川平蔵(演:中村隼人):火付盗賊改方長官。蔦重に謝罪する
- 鶴屋南北(演:風間俊介):狂言作者。歌麿たちを芝居小屋に連れていく
Q&A|よくある質問

Q1:曽我祭の「変」ってどういう意味?
「変」は「大きな出来事」「事件」を意味します。
「本能寺の変」などと同じ使い方ですね。
第46話では、曽我祭を舞台に、写楽誕生と治済の罠が展開する大事件が描かれました。
Q2:平賀源内生存説は史実にあったの?
史実では、平賀源内は安永8年(1779年)に獄死したとされていますが、江戸時代の人々の間で「死んだ後も生きていそうな人」として語られ続けたのは本当でした。
「べらぼう」では、蔦重がこの噂を利用して治済をおびき出す策として描かれているんですね。
Q3:東洲斎写楽の正体は本当は誰なの?
史実では、現在最も有力とされているのは、写楽=能役者の斎藤十郎兵衛説です。
『増補浮世絵類考』という本の写楽の項目には「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す」と記載されています。
ただし、「べらぼう」では写楽は一人の絵師ではなく、蔦重が仕掛けたプロジェクトの名前として描かれています。
「べらぼう」も残り3回。
蔦重と治済の最終決戦がどう描かれるのか、目が離せませんね。
次回も楽しみです!
もし感想があれば、ぜひコメント欄で教えてくださいね。