こんにちは、なおじです。
明治時代に、未婚の男女が二人きりで「ランデブー」するって、いったいどれくらい大胆な行動だったんでしょうか。
ばけばけ第50話では、小谷とおトキが怪談の聖地・清光院でランデブーをしますが、肝心の告白がウルトラ・スーパー級の大誤解に終わるという、笑えて泣ける展開になっていました。
なおじの感想としては、この一話の中に「明治の恋愛観」「怪談文化」「若者コミュニケーション」がぎゅっと詰め込まれていたわけだったのだと思います。

告白を 石段一段 手前まで
この記事でわかること
- 明治時代のランデブーと恋愛観のリアルな距離感
- 清光院と芸者・松風怪談、小泉八雲との文化的つながり
- 小谷の「無理です」とトキの「大好き」がすれ違った理由
- 元社会科教師目線で見る、若者の恋愛コミュニケーションの課題
第50話あらすじ|笑えて泣ける清光院ランデブー
松野家のシジミ汁事件と小谷登場
松野家では、おトキのランデブー目前、家族全員が妙にそわそわしていました。
朝ごはんのシジミ汁を3人そろってひっくり返してしまうシーンは、「トキの恋の行方が気になってしょうがない家族」の象徴のよう。半分は面白がりつつも、本気で応援している空気なんですよね。
ヘブン亭に向かう途中のトキの前に、小谷さんが現れ、「この前のお約束ですが」と改めてランデブーの確認をします。
すると、なぜか松野家の家族まで玄関先にわらわら出てきてしまう。昭和の見合い前みたいな空気で、「あれあれ、家族総出で送り出してどうするの」とツッコミを入れたくなる場面だったわけです。
ヘブン亭出発前のモヤモヤと対照的な二人
ヘブン亭では、おトキがきちんとヘブン先生に「小谷さんと出かけてきます」と報告してました。
ヘブン先生、頭抱えてるよ。
「自分の気持ちにうっすら気づき始めたかー。」
一方のおトキちゃんは、出かける準備万端で清光院行きにテンション高め。
画面は、「おトキちゃん大はしゃぎ」と「ヘブン先生のどんより」を交互に見せてきて、この対比が恋愛ドラマとしてウルトラ・スーパー級に効いていたね。
清光院での怪談ランデブーと「大好き」の大誤解

二人が向かった先は、怪談の聖地・清光院。
ここは、傳とトキ、銀二郎とトキのエピソードでも登場した場所で、おトキにとっては「怪談ホームグラウンド」とも言える舞台。
怪談好きのおトキちゃんは一気にテンションが上がり、芸者・松風の怪談を小谷に生き生きと語り始めます。
ところが小谷くん、ここで一線を越えちゃいました。
立ち入りが制限されていそうな場所にずんずん入り、あろうことか謡曲「松風」を口ずさみ始める。
「小谷くん、そこ入っちゃダメでしょう」「歌っちゃったよ…」と、なおじも思わずテレビの前でツッコミを入れてしまいました。
そして、問題の告白(未遂)シーンに入ります。
怪談の世界とおトキのテンションに圧倒された小谷さんは、「私、無理です」「私にはついていけません」「時間の無駄です」と、ついに口にしてしまいました。
本来は“怪談の世界にはついていけない”という意味だったのでしょうが、言葉だけ切り取ると完全におトキ本人を否定しているように聞こえてしまいます。
それに対しておトキは、「私は好きです。大好きじゃけん」と返したんですねー。
これはあくまで、清光院と怪談そのものへの「大好き」だったわけです。ところが小谷くんは、自分への恋愛感情を告白されたと早合点してしまう。
結果、「ごめんなさい」とトキから離れていくという、ウルトラ・スーパー級の大誤解シーンが完成しました。
「笑えるのに、あとからじわっと切なさがくる、授業で見せたくなる典型的なすれ違い」だったわけかーと、なおじ。
明治のランデブー文化と清光院の背景(ギュッと一まとめ)

明治の前半、日本社会に「恋愛」という考え方は、ようやく外から入ってきた“新しい舶来品”のような存在だったんですね。
結婚はまだ家どうしの結びつきが中心で、「好きな人と結婚したい」という発想は、都市部から少しずつ広がり始めた段階だったわけです。
とはいえ、未婚の男女が堂々と二人きりで街を歩くのは、まだ相当ハードルが高い行動だったはず。
近所の目、親族の目、職場の目と、現代のSNSよりある意味で厳しい“口コミネットワーク”が張り巡らされていたんですね。
そのため、男女が会う場所として選ばれたのは、町外れの川べりや堤防沿い、少し外れた森や林の細道、寺社の境内や裏手の静かな一角など、「人目から少し外れた場所」
要するに、“堂々とデートできるほど時代は進んでいないけれど、こっそり二人で会いたい”という、過渡期ならではのねじれた状況だったわけです。
清光院は、島根県松江市に実在する寺院で、「松風」という芸者の怪談が伝わる場所として知られています。
江戸の終わりごろ、人気芸者・松風が若侍に追われ、清光院の石段で命を落とした、という筋で語られ、「謡曲『松風』を口ずさむと霊が出る」というバリエーションまである。
小泉八雲が暮らした松江の怪談の一つとしても語られ、「怖さ」と同時に、人の情念や叶わなかった恋を象徴するような舞台になっているんですね。
なおじの感想としては、「明治の恋」は心だけ先に文明開化して、足もとはまだ石段一段手前で止まっていたのかもしれません。そこに、小谷の告白未遂が重なって見えるわけです。
教師目線で見る「大好き」とコミュニケーション
小谷とトキのすれ違いを、現代の日本語教育の視点から見ると、「同じ言葉でも、文脈次第で意味が大きく変わる」典型例になっています。
「好き」という言葉は、食べ物や趣味、人柄への好意、恋愛感情まで、もともと幅広い意味を持っています。
そこに、西洋から入ってきた「ラブ」「ロマンティック」のニュアンスが混ざり始め、意味の幅がさらに広がっていきました。
今回のトキの「私は好きです。大好きじゃけん」は、文脈から見れば明らかに「怪談と清光院そのもの」に向けられた言葉でしたが、小谷くんは自分への告白だと受け取ってしまう。
なおじが教師として生徒どうしのトラブルを仲裁したとき、「そんなつもりで言ったんじゃない」「相手は本気だと思った」というズレは、何度も見てきました。
自分の発言の“聞こえ方”をイメージする力が育ちきっていないとき、こうした誤解は簡単に起きてしまいます。
トキと小谷の関係も、まさにその典型例のように見えた。
小谷くんは、自分の気持ちを伝えるどころか逆方向の言葉を口にし、相手の「大好き」を都合よく解釈してしまう。一方のおトキは、自分の好きな世界についてまっすぐに話しているつもりで、相手の期待までは想像できていない。
なおじの見解としては、この失敗をきっかけに、二人が今後どんな言葉を選び、どこまで相手の受け止め方を想像できるようになるのかが、このドラマの教育的な見どころの一つになっていくのだろうと思います。
明治の若者たちの物語でありながら、現代の教室にもそのまま持ち込める“コミュニケーション教材”としても、非常に優秀なシーンだったと感じる、教師目線。
本日の主な登場人物
おトキ(髙石あかり)
怪談好きで、清光院では終始テンション高め。
松風の怪談を生き生きと語り、「私は好きです。大好きじゃけん」という一言が、大きな誤解を招くきっかけになりました。
小谷(下川恭平)
ヘブンの教え子で、おトキへの恋心をこじらせ気味の青年です。
清光院で想いを伝えようとするものの、「私、無理です」「ついていけません」「時間の無駄です」と言葉選びを盛大に誤り、自らチャンスをつぶしてしまいました。
ヘブン先生(トミー・バストウ)
おトキの外出を許可しつつも、内心穏やかではありません。
おトキの恋模様が動き出したことで、自分の気持ちにも向き合わざるを得なくなり、「シジミさん、…何でもない」と言葉を飲み込む姿に、恋のはじまりの戸惑いがにじんでいました。
Q&A|よくある質問
Q1 明治時代に「デート」はあった?
A:「デート」という外来語が一般に広がるのは大正期以降ですが、明治期にも「ランデブー」という言い方は少しずつ使われ始めていました。
ただし、未婚の男女が堂々と二人きりで出歩くのはまだ珍しく、人目から離れた場所を選ぶのが普通だったと考えられます。
Q2 清光院の松風怪談は実話?
A:清光院に伝わる芸者・松風の怪談は、松江の地元で語り継がれてきた物語で、江戸末期の芸者文化や武士との関係を背景に持つとされています。
現在も「松江の怪談スポット」として紹介されることが多く、ドラマでも“情念のこもった場所”としてうまく使われていました。
Q3 トキの「大好き」はなぜ誤解された?
A:明治時代、日本語で感情を直接言い表すこと自体がまだ新しい文化でした。
「好き」という語が多義的で、恋愛に限らない使われ方をしていたうえに、小谷が自分への告白を期待していたことで、誤解が拡大したと考えられます。