こんにちは、なおじです。
2026年3月24日放送、NHK朝ドラ「ばけばけ」122話。
後3話を残したところで、ヘブンさんが逝きました。
主題歌もなし。台詞もなし。
トキの肩に頭を乗せたまま、静かに。
最終話で逝くもんだとばかり思ってたなおじ、完全に油断してました。

🖊️この記事でわかること
- 後3話でヘブンが逝った3つの伏線と、主題歌なし演出が持つ深い意味
- 「ケシテ、ナク、イケマセン」がトキの涙を封じた仕組み
- 小泉八雲が史実で亡くなった年(1904年)との比較
残り3話で逝く──死を告げた3つの伏線

最終話だと思ってた、完全に
なおじは正直に言います。
ヘブンさんが亡くなるのは最終話だとばかり思い込んでいました。
あと3話というタイミングで——です。
「まだ最終週だから大丈夫」という油断を、さらっと崩してくれる。
ふじき脚本、こういうことするんですよね(苦笑)。
「えっ、もう?」ってなった視聴者、なおじだけじゃないはずです。
返り咲きの桜が告げていたもの

庭に咲いた返り咲きの桜。
「不吉なことがなければよいか」と気遣うクマ。
ヘブンが「(桜の花に)会えてうれしい」と言い、突風で桜が散る。
このモチーフの美しさと恐ろしさ、やばくないですか。
「返り咲きの桜=不吉」という民間信仰は、明治の庶民感覚にリアルに根ざしています。
35年間社会科を教えてきたなおじ、このあたりの時代感覚、つい熱くなります。
朝食の「大きい痛み」と糸こんにゃく

日常の朝食風景、なんですよ。
でもヘブンは「さっき大きい痛みが、また来た」とトキにだけ聞こえるように告げた。
この「トキにだけ」という演出が効いていましたね。
みんなには悟らせない。トキにだけ預ける。ヘブンの覚悟。
そして「糸こんにゃくが食べてみたい」というヘブン。
「おクマに言っておきます。明日にでも」とトキ。
この「明日」が来ないことを、視聴者はのちに知ることになる。
残酷な伏線でしたね。
🖊桜散る 死を知りながら 笑う夫
縁側の別れ──「有難う」たった一言に詰まるもの
「オサキ、ヤスマセテ、イタダキマス」

西向きの縁側。夕陽。
ヘブンが「失礼ながら、お先、休ませて、いただきます」と言い、トキが「おやすみくだされ」と返す。
そして「有難う」とヘブン——笑い合う二人。
ヘブンがトキの肩に頭を乗せた。
この「有難う」の一言、なおじには深く刺さりました。
病いの日々、異国での晩年、子どもたち、トキ——そのすべてへの感謝がたった一言に。
言葉が少ないからこそ、重いんです。
「ケシテ、ナク、イケマセン」が伝えたこと
「ワタシ、死んだとき、ケシテ、ナク、イケマセン」と改めてヘブンが言います。
トキはすぐ「子ども達とカルタします。カルタが終わったらスキップします」と返しました。
この会話の軽さと深さ、すごいと思いません?
「泣くな」って言うのは簡単です。
でもヘブンは「泣くな」のかわりに「次に何をするか」を一緒に決めた。
なおじも35年教壇に立って、「悲しいときの立ち直り方」を伝えることが大事だとずっと思ってきました。
でも、こんなに美しい形で伝えた人を、なおじは見たことがない。
ヘブンは最期まで、教育者でした。
逆説的に言えば——「泣くな」という言霊が、トキを一番苦しめることになる。
愛情と呪縛は、紙一重なんですよね。
👉関連記事:ばけばけ119話│手紙まさかの全部ノー!トキの一言が怪談を生む
主題歌が消えた理由──沈黙こそが最大の演出だった

「欠落」が喪失感を作る仕組み
122話は主題歌なしという異例の構成で放送されました。
終盤にタイトルバックが流れるのみ。
「笑ったり転んだり」がない——その「欠落」そのものが、喪失の感覚を作り出していた。
音楽で感情を誘導するのではなく、沈黙と映像だけで視聴者を泣かせる。
これ、逆にすごくないですか。
「泣かせる音楽をあえて使わない」という判断が、結果的に一番泣ける。
演出の逆説。
見事!
台詞なしのカットが語ること
ヘブンが逝った後、台詞のないカットが続く。
次のカットは、ガラス瓶に入れられた遺骨。
「言葉で語らない」というのが、このドラマの一貫したスタイルなんですね。
その集大成がこの回。
庄田たちが松江から墓参りに駆けつけ、勝田の手には錦織のハット。
小道具一つで、どれだけのことを語っているか。
「セリフを書かない勇気」って、脚本家として相当な覚悟がいると思うんですよ。
なおじ、ふじき脚本を改めて尊敬しました。
えっと、なおじも授業でたまに「黒板に何も書かない」スタイルを試したことあるんですが——生徒に「先生、今日の板書どうしたの?」って言われて終わりましたけどね(笑)。
沈黙の演出、難しいです。
👉関連記事:ばけばけ120話「怪談の絵本」怪談誕生と小泉八雲の史実
泣けない妻の深層──史実の小泉八雲と重ねて

「取り乱せんかった」という言葉の重さ
サワに「取り乱した?」と問われ、トキは答えました。
「最期があまりに静かで、あっけなくて、取り乱すひまがなかった」と。
視聴者も同じだったんじゃないでしょうか。
ヘブンの死があまりに穏やかで静かだったから、泣く間もなかった。
ヘブンの言霊「ケシテ、ナク、イケマセン」が、トキの涙を封じている。
愛されたがゆえに、泣けない。ちょっとかわいそうだと思いました。
泣けない悲しみって、一番深いやつです。
史実│小泉八雲は1904年に逝った

実在の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1904年(明治37年)9月26日、54歳で亡くなっています。
死因は心臓発作【狭心症による】。
ドラマのヘブンが「胸の大きい痛み」を訴え続けた描写は、この史実に基づいています。
なおじが気になるのは、八雲が亡くなった年が日露戦争(1904〜05年)の年と重なること。
異国から日本を愛し、日本が戦争に向かっていく時代の入り口で逝った人でもありました。
社会科教師としてこの時代を教え続けてきたなおじ、ここに来るとどうしても感慨深くなります。
友だちだけに見せた涙
「泣かない」
トキを縛る呪縛。
サワだけはその呪縛を見抜いていました。
「取り乱せちょる?」と言いながら肩を抱く場面。
なおじ、このサワの存在がとても好きです。
トキがヘブンとの約束を守り、「母親として」強くいられるのは、サワみたいな親友がいてこそ。
強い人の後ろには、必ず「支えている誰か」がいる——これ、教育現場でも同じです。
保護者対応で追い詰められた同僚教師を、何度も飲み込んだ先輩教師のAさん。
サワみたいな存在でした。
その人の前なら、泣ける‥。そんな存在、職員室にも必要なんですよ(笑)。
泣けぬ妻 友の言葉で やっと泣く
👉関連記事:ばけばけ121話│「骨を入れる小瓶」ヘブンは史実でいつ死ぬ?
122話をもっと深く│Q&A5問

Q1. 小泉八雲は史実でどうやって亡くなったのですか?
実在の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1904年(明治37年)9月26日、54歳で亡くなっています。
死因は心臓発作。
ドラマのヘブンが「胸の大きい痛み」を訴え続けた描写は、この史実に基づいています。
亡くなった年は日露戦争と同じ。
社会科教師として歴史を教えてきたなおじ、この重なりをいつも複雑な気持ちで眺めています。
Q2. なぜ主題歌がなかったのですか?
122話は異例の主題歌なし構成での放送でした。
通常は冒頭に「笑ったり転んだり」(ハンバートハンバート)が流れますが、この回は終盤のタイトルバックのみ。
NHK朝ドラでも非常に珍しい演出です。
「音楽による感情誘導をしない」という判断が、かえって深い喪失感を生み出しました。
Q3. 次回123話ではどうなりますか?
イライザ(シャーロット・ケイト・フォックス)がトキのもとを訪れてきましたね。
「怪談(KWAIDAN)」の売れ行きについて何か報告があるかもしれません。
丈が通訳を担う場面も期待できそうですね。
⚠️ これは予想です。確定情報ではありません。
👉関連記事:ばけばけ│イライザ役シャーロット・ケイト・フォックスの今とばけばけ
Q4. 庄田たちはなぜ松江からわざわざ来たのですか?
松江時代からヘブンと縁のある仲間たちです。
葬式には出られなかったが、勝田の手には錦織のハットがあった。
「駆けつける人たち」の描写が、このドラマの人間関係の厚みを感じさせます。
言葉ではなく小道具で語るふじき脚本、ここでも健在でした。
Q5. トミー・バストウさんはどんな俳優ですか?
ニュージーランド出身の俳優で、日本語も堪能。
ラフカディオ・ハーン(ヘブン)役は国際的にも注目される大役でした。
独特のリズムで日本語を語るヘブンの存在感が、作品に唯一無二の味を与えていました。
なおじは、最期の台詞「有難う」のトーンをしばらく忘れられそうにありません。
あなたは122話でどのシーンが一番印象に残りましたか。
なおじは「有難う」の一言が、一番胸に刺さりました。
コメント欄で教えてもらえると嬉しいです。
👉ばけばけ全話の感想・史実まとめはこちら:ばけばけは史実と何が違う?全話感想と人物モデル一覧
筆者紹介|なおじ
なおじは元社会科教師として教育現場に35年間携わり、指導主事を5年、校長を11年務めました。退職後もボランティアで子どもたちに学習を教えています。
社会科・歴史を長年教えてきたので、時代背景や史実との比較が得意分野です。小泉八雲は授業で何度も取り上げてきた、なおじにとって特別な人物のひとりです。