2022年11月– date –
- 日本らしさ
「倭」は「日本」なのか
中国の書『旧唐書』に「倭」と「日本」の関係が書かれている。でも支離滅裂。サンドイッチマンではないが『ちょっと、何言ってるか分からない』と言いたくなる。中国人には「倭」と「日本」は同じ国、という万世一系が理解できなかった。 - 日本らしさ
「日本」の呼称、「にっぽん」と「にほん」どちらがより古いか
「日本」の読み方は「にっぽん」「にほん」両方可。ではどちらがより古い時代からある読み方か。実は「にっぽん」が古い。もう一つ、漢音では「ジッポン」で、ここから「ジャパン」になる。さらに、大和言葉では「日本」は「やまと」と読まれた。 - 日本らしさ
剣の達人たちの心『平常心』 塚原卜伝・宮本武蔵・反町無格
三男に剣を捨てよと言い渡す塚原卜伝・足下の蟻を見よと言った宮本武蔵・目で見ず心で見ると悟った反町無格、3人の剣豪の心髄は、どこかで『平常心』を保つことにつながっているようだ。 - 日本らしさ
『運が悪くて負けるのではない』 武田信玄語録より
勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し、とは松浦清山の言葉を元に野村監督が好んだ言葉。そして信玄も「負けない態勢を作るのは自分の問題。こちらが勝てる隙を作るのは敵の問題。」と述べた。 - 日本らしさ
忍城主 老中阿部忠秋は 癇癪持ちの3代将軍家光をどうやって諭したか
武蔵の国現在の埼玉県、 八万石の藩主だった阿倍忠秋(1602~1675)、3代将軍徳川家光と4代家綱を補佐した老中で、温厚な人物として知られている。その忠秋の逸話『湯殿坊主久庵の処罰の顛末』で語る「短期は、損気」 - 日本らしさ
逆境を耐え忍んだ黒田家四代(重隆・職隆・官兵衛・長政)
黒田家4代の例話。黒田重隆(しげたか)は黒田官兵衛(如水)の祖父である。重隆は家勢が傾いた黒田家を立て直す。農家に間借りするほど落ちぶれた黒田家を、目薬屋として財を成し、その財をもとに小寺政職に仕える。黒田家は、その後官兵衛孝高、長政と歴史に名を遺していく。 - 歴史雑感
自分に勝つ 源義経と平維盛の差
富士川の戦いで平維盛は、自らの心に負ける。対して一ノ谷の鵯越で義経は次のように言う。「敵に勝つためには、先ず味方に勝たねばならない。味方に勝つというのは、自分に勝つと言うことだ」と。日本の心を学び守ろうとする者は、義経の言葉を心に留めて置きたい。 - 歴史雑感
日本人の美意識
佗茶は戦国時代村田珠光(じゅんこう)によって起こる。簡素で簡略化された空間の中に、日本的なわび・さびの精神を重んじる。珠光は、茶の湯は心の修養であると述べる。さらに武野紹鴎(じょうおう)が佗茶の芸術性を高め、千利休が完成させる。 「常に今が勝負の時」研ぎ澄まされた心をもつが、客にそれを感じさせず、客は、主人の感じさせない心遣いを感じ取る。 - 戦国時代
斎藤道三が学んだ中国の兵法書「六韜」
斎藤道三は、中国の軍学書「六韜」を愛読した。その中でも特に「虎韜」中の「武力に依らず敵を倒す12の法」を実践に用いて美濃一国を手中にした。自分が使うためと言うより、人にだまされないために虎韜の12か条を知っていて損はない。 - 新聞雑感
米軍は中国に勝てるのか
米軍が弱体化し、「このままでは中国に負ける」という冷徹な現実を突きつけられている、と述べる黒田氏。戦えばほぼ勝と述べる桜井氏、どちらが正しく、日本はどうすれば良いのか。
12