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豊臣兄弟第5話感想|嘘から出た実・秀吉の本音が動かした心と史実の境界線

こんにちは、なおじです。

2月1日放送の豊臣兄弟第5話「嘘から出た実(まこと)」、見ていて胸が熱くなりました。

妻と一緒に見ていたのですが、秀吉が大沢次郎左衛門に本音を語るシーン、妻が「これよね」とつぶやいたんです。

「嘘」で始まった駆け引きが、最後には「本当の心」で相手を動かす。

この展開、リアルな戦国時代を生徒たちに何度も教えてきた私でも、ドラマとして心に響きました。

この記事でわかること

  • **御前試合で小一郎が仕掛けた「こざかしい策略」**と、信長がそれをどう評価したか
  • 松平元康の「人を動かすのは最後はここだ」という言葉が、秀吉にどう影響したか
  • 大沢次郎左衛門という武将の人物像と、妻思いという側面が調略を左右した理由
  • 秀吉が「本音」で語った瞬間に、なぜ相手の心が動いたのか
  • 前田利家「槍の又左(またざ)」の由来と、御前試合での役割
  • 「真心の調略」は本当にあったのかという、史実と創作の境界線
  • 大沢次郎左衛門のその後:織田に降った後、彼はどうなったのか
目次

御前試合の駆け引き|小一郎の策略が見抜かれた瞬間

小牧山での同盟と御前試合の始まり

小牧山に拠点を移した信長は、松平元康との同盟を成立させます。

そして、武芸を競う御前試合が開催されることになります。

ここで登場するのが、前田利家(犬千代)と木下藤吉郎(秀吉)です。

社会科教師として35年教えてきた私からすると、こうした「御前試合」が本当にあったか気になり調べてみました。

しかし、史料的に確認できませんでした。

でも、ドラマとしては本当に面白い演出でしたね。

前田利家「槍の又左」とは?

前田利家は、**「槍の又左(やりのまたざ)」**という異名で知られる武将です。

「又左」とは「又左衛門(またざえもん‘)」から来ており、元服後に「前田又左衛門利家」と名乗ったことに由来します。

槍術に卓越し、織田家の中でも勇猛な武人として一目置かれていました。

この異名があるからこそ、御前試合で秀吉と戦わせる設定に説得力が生まれるんですね。

ここ、「槍の達人」という背景を知っていると、小一郎の策略の狡猾さがより際立ちませんか?

小一郎が仕組んだ「こざかしい策略」

小一郎は、ひそかに組み合わせを操作していました。

前田犬千代(利家)には強い相手を連続してぶつけ、疲弊させる作戦を実行したのです。

一方、秀吉には弱い相手をあてがい、有利に勝ち進ませようとしました。

武田なんとかという武士が、小一郎の指示で動いていたシーンは、見ていて「これは信長にばれるぞ」と冷や冷やしました。

案の定、信長は全部見抜いていたんですね。

この「詰めの甘さ」が、次の展開への伏線になっていくんです。

👉関連記事:豊臣兄弟第1回の出来事を解説|秀長の才能が光る

秀吉の「だまし討ち」と元康の教え

元康の言葉と秀吉の反応

決勝戦では、秀吉が前田利家に対してだまし討ちまで仕掛けます。

しかし、結果は秀吉の負け。

松平元康が別れ際に言った言葉とは、まったく裏腹の行動をした秀吉。

**「人を動かすのは最後はここだ」**と胸いた叩く元康。

それを聞いた秀吉は、真剣な表情で「わしもそう思っていた」と返したんです。

ところが、元康は大笑いして**「反対のことを言ってやった」**と告げるのでした。

これぞ戦国時代。騙される方が悪い世界。

元康の言葉を、さも真面目そうに聞いていた秀吉も、実は全くそう思っていなかった…。

「嘘と誠」の境界線

秀吉は、真剣に元康の言葉を聞くふりをしていたものの、実際の行動はだまし討ちという真逆のことをしていましたね。

この構造が、戦国時代の「だましだまされ」という価値観を象徴しています。

社会科の授業で戦国時代を教えるとき、生徒たちに必ず伝えるのが「下剋上の時代」という言葉です。

身分や秩序が揺らぎ、「実力」と「策略」がものを言う時代でした。

この時代背景を知っていると、秀吉の行動が単なる「悪事」ではなく、「生き残りの知恵」として見えてくるんです。

ここ、見ていてどう感じましたか?

ところが…。

👉関連記事:豊臣兄弟4話感想桶狭間|秀吉誕生と兄弟の絆

信長の評価と鵜沼城調略の命令

信長は怒らず、褒めた

試合後、信長は秀吉と小一郎を呼び出しました。

小一郎のこざかしい仕掛けが、信長にすべてばれていたのです。

「これは叱られるぞ」と思ったのですが、信長は叱るどころか逆に褒めました。

**「戦は戦わずして勝つが最上の策」**という信長の言葉。

これは『孫子』の兵法「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」に通じる考え方です。

信長は、策略そのものを評価しつつ、詰めの甘さを指摘しました。

そして、その穴埋めとして、鵜沼城の城主・大沢次郎左衛門を調略せよと命じたのです。

この「失敗を責めず、次の課題を与える」という信長の姿勢、教育現場でも見習いたいと思いました。

大沢次郎左衛門という男|妻思いの荒武者

巨漢で「34人力」の武将

大沢次郎左衛門は、美濃国の鵜沼城城主であり、斎藤義龍・龍興に仕えていました。

身長2メートルを超える巨漢で、**「34人力」**ともうたわれた剛の者です。

ドラマでは、石礫撃ちの名人で荒武者として描かれます。

そして、妻思いという人間的な側面も強調されていました。

道三に見出され、龍興に疑われる

大沢次郎左衛門は、斎藤道三に見出された武将でした。

そのため、龍興((たつおき)は彼を疑っていたのです。

龍興は妻を稲葉山城に連れて来いと命じます。

これは事実上の人質要求でした。

この背景を知っていると、大沢次郎左衛門が秀吉たちの調略に対して慎重になる理由がよくわかります。

妻を守りたい。でも、主君に疑われている。この板挟みの苦しさ、見ていて胸が痛みました。

👉関連記事:豊臣秀長が大河ドラマ主役の理由|歴史的役割を解説【2026年】

秀吉の調略|嘘から本音へ

最初は「歯の浮くようなセリフ」

鵜沼城調略のため、秀吉と小一郎は奔走しました。

最初は御前試合のように、歯の浮くような美辞麗句を並べて騙そうとします。

秀吉は姉・妹の婿たちにも協力を命じ、調略の網を広げました。

しかし、大沢次郎左衛門は秀吉たちの書状を破り捨ててしまいます。

この「嘘は通じない」という展開が、ドラマのタイトル「嘘から出た実」への伏線になっているんですね。

小一郎のたくらみがばれた瞬間

小一郎が理詰めで説得を試みますが、弥助が捕まって引っ立てられてきました。

小一郎のたくらみがばれてしまったのです。

大沢次郎左衛門が秀吉と小一郎を切ろうとした瞬間、秀吉は小一郎をかばいました。

このシーン、見ていて「ここで秀吉が逃げたら終わりだ」と思いました。

でも、秀吉は逃げなかったんです。

心が人を動かした瞬間|秀吉の本音

寧々への思いを語る

秀吉は、本音を熱く語り始めました。

寧々とのことを真剣に話し、妻への思いを包み隠さず伝えたのです。

それを聞いて、妻思いの大沢次郎左衛門の心が動きました。

**「心が人を動かす」**という、元康が示唆していたテーマが、ここで結実するんです。

妻と一緒に見ていて、妻が「これよね」とつぶやいたのは、このシーンでした。

策略や駆け引きではなく、本音で語る姿が、相手の心を動かす。

社会科の授業で、私は生徒たちに「歴史は人間が動かす」と言い続けてきました。

制度や戦略だけでなく、一人ひとりの心の動きが、歴史を動かすんだと。

このシーンは、まさにそれを体現していました。

「わしは去らぬ」という覚悟

大沢次郎左衛門は「わしの気が変わらぬうちに、ここを去れ」と言いました。

しかし、秀吉は「わしは去らぬ」と言い切ります。

自分の命を預けるとまで言ってのける秀吉の姿勢が、ついに大沢次郎左衛門の心を動かしました。

秀吉は鵜沼城に残ることを自ら選んだのです。

小一郎も、**「最後はここじゃ」**と胸をたたきました。

この「覚悟」が、相手に伝わったんですね。

ここ、見ていてどう感じましたか?

どんでん返しの結末|秀吉の危機

従者の荷から暗殺用具が

信長と面会する大沢次郎左衛門でしたが、従者の荷物から暗殺用具が出てきました。

信長は「残念の極みじゃ。始末せよ」と命じます。

ここで物語は大きなどんでん返しを迎えました。

誰が大沢次郎左衛門の従者の荷に暗殺用具を忍ばせたのでしょうか。

そして、小一郎は秀吉をどう救うのか。

次回への期待が高まる、緊張感あふれる展開でした。

👉関連記事:豊臣秀長とは?生涯と功績を解説

史実と創作の境界線|教師の目で見る調略劇

「真心の調略」は本当にあったのか?

社会科教師として35年間、戦国時代の史料を読んできた私の目から見ると、「真心が人を動かす」という展開には正直なところ疑問符がつきます。

戦国時代、特に下剋上の世にあって、真心だけで敵将を寝返らせるなどということは、絶対とは言わないまでも、まずあり得なかっただろうと思うんです。

でも、ドラマとしては本当に心に響きました。

史料に残る「調略の記録」

ただし、秀吉が大沢次郎左衛門を調略したという大筋の事実は、複数の史料に記録されています。

『太閤記』には、永禄9年(1566年)12月、木下藤吉郎の調略によって大沢次郎左衛門が織田信長に降伏したとあります。

『豊臣記』には、秀吉が大沢を味方にしたことを信長が称賛したものの、変心を恐れて殺そうとしたという逸話も残っています。

しかし、これらはすべて江戸時代に編纂された軍記物や伝承であり、同時代史料(一次史料)ではないのです。

つまり、「秀吉が鵜沼城を調略で落とした」という大筋は事実でも、「どのように調略したか」という具体的な方法は、後世の創作や脚色が含まれている可能性が極めて高いんですね。

現代の視点で見えてくる「人間の心理」

しかし、現代心理学やトレンディードラマの視点で見ると、「こういうこともあり得たかも」と思えてしまうのも事実です。

なぜなら、現代の心理学では**「自己開示」**という概念があり、自分の本音や弱みをさらけ出すことで相手との信頼関係が深まるという効果が実証されているからです。

また、**「返報性の原理」**という心理効果も知られており、相手から誠意を受け取った人は、同じように誠意で返したくなるという傾向があります。

戦国時代にこうした心理学的知見があったわけではありませんが、人間の心理そのものは今も昔も変わらないとすれば、秀吉が意図的か無意識的か、こうした「心理的な駆け引き」を使った可能性はゼロではありません。

史実と創作を楽しむ視点

私は教師として、生徒たちに常に「史料批判の目」を持つことを教えてきました。

でも同時に、歴史ドラマの面白さは、史実と創作の「あわい」にあるとも思っています。

完全な史実だけでは味気ないし、完全な創作では歴史の重みが失われる。

その境界線を行き来しながら、「人間とは何か」を考えるのが、歴史ドラマの醍醐味ではないでしょうか。

第5話の調略劇、史実としては疑わしいけれど、人間ドラマとしては深く心に響く。

この二重の視点を持って楽しむことが、大河ドラマの正しい見方かもしれませんね。

大沢次郎左衛門のその後|降伏した武将の運命

信長に殺されかけた?

ドラマでは、大沢次郎左衛門が信長に降伏しようとしたところ、従者の荷から暗殺用具が出てきて危機を迎えます。

実は、史料にも似たような話が残っているんです。

『太閤記』によれば、永禄10年(1567年)1月5日、大沢次郎左衛門は秀吉に同道して清須城へ赴きました。

ところが、信長は降伏した大沢を殺そうとしたとされています。

理由は「変心して裏切ることを恐れた」ためです。

しかし、秀吉の機転でその場を逃れ、美濃へ戻ったと伝えられています。

空白の18年間

ここで不思議なことがあります。

降伏後、大沢次郎左衛門が織田家の家臣として活躍したという記録は、ほとんど残っていません。

次に大沢次郎左衛門の名が史料に現れるのは、信長の死後である天正10年(1582年)8月24日のこと。

この間、約18年間の空白があるんです。

彼がどこで何をしていたのか、史料は沈黙しています。

これは、実際には信長に仕えなかったか、極めて低い地位に置かれていたことを示唆しています。

信長の死後、柴田氏に仕える

天正10年(1582年)8月24日、北近江の支配者となった柴田勝豊(柴田勝家の甥で養子)から、大沢次郎左衛門は阿閉貞大の旧領と浅井郡の地を与えられています。

つまり、信長の死後、大沢次郎左衛門は柴田氏に仕えることになりました。

その後、大沢次郎左衛門は豊臣秀吉に仕え、さらに豊臣秀次に仕えました。

天正18年(1590年)、豊臣秀次から尾張国長興寺村など600石を加増され、総知行は2,600石となりました。

当時としては中堅クラスの武将としての地位です。

秀次事件で浪人へ、そして小田原で隠居

文禄4年(1595年)、豊臣秀次が謀反の疑いで切腹させられる「秀次事件」が起きました。

秀次の家臣たちは処分されたり、浪人になったりしましたが、大沢次郎左衛門も浪人の身となりました。

その後、大沢次郎左衛門は小田原で隠居したと伝えられています。

享年75歳(一説には76歳)とされています。

教師の視点:史料の空白が語ること

ここでも教師の目でちょこっと解説。

確実な史料は「1582年8月、柴田勝豊から所領を与えられた」という記録だけです。

それ以外は江戸時代の軍記物や伝承に基づいており、どこまで史実かは分かりません。

ただし、「18年間の空白」という事実は、何かしらの理由で織田家の中心からは遠ざけられていた可能性を示唆しています。

史料の沈黙こそが、歴史の真実を語っているのかもしれませんね。

なおじ川柳|第5話の心象風景

本音語る 胸を叩いて 命預け

秀吉が大沢次郎左衛門に本音を語り、命を預けた瞬間を詠みました。

「胸を叩く」という具体的な所作に、覚悟と誠意がにじみます。

Q&Aで振り返る第5話

Q1:御前試合で小一郎が仕掛けた策略は、なぜ信長に見抜かれたのですか?

信長は、策略そのものは評価しつつ、詰めの甘さを指摘しました。

武田なんとかという武士が動いていた時点で、信長には筒抜けだったのでしょう。

戦国大名にとって、家臣の動きを見抜く力は生命線でした。

Q2:秀吉が大沢次郎左衛門の心を動かせたのは、なぜですか?

秀吉が本音で語ったからです。

寧々への思いを真剣に話し、妻思いの大沢次郎左衛門に共感を呼びました。

策略ではなく、誠の心が相手を動かしたんですね。

ただし、これは江戸時代の軍記物に基づく話で、実際にどう調略したかは史料からは分かりません。

Q3:大沢次郎左衛門は、織田に降った後どうなったのですか?

史料によれば、信長に殺されかけたものの秀吉の機転で逃れたとされています。

ただし、その後18年間、史料に彼の名前は現れません。

信長の死後、柴田勝豊に仕え、その後秀吉、秀次に仕え、最後は小田原で隠居したと伝えられています。

場面比較表|第5話の心の変化

場面秀吉の状態大沢の反応使った手法結果
書状送付歯の浮くようなセリフ書状を破る美辞麗句失敗
小一郎の理詰め策略を練る警戒を強める理論説得失敗
たくらみ発覚小一郎をかばう切ろうとする覚悟を見せる一時中断
本音を語る寧々への思いを語る心が動く誠の心成功
命を預ける鵜沼城に残ると宣言秀吉を信じる覚悟の表明調略成功

なおじ総評|嘘と誠の境界線を味わう

第5話は、戦国の「騙し合い」という価値観と、「誠の心」という人間的価値のせめぎ合いが描かれた回でした。

最初は嘘と策略で相手を動かそうとした秀吉が、最後には本音で語ることで相手の心を動かします。

これは、単なる勧善懲悪ではなく、状況によって使い分けるしたたかさをも示しているのではないでしょうか。

社会科教師として戦国時代を数え切れないほど教えてきた私も、こうした人間ドラマの積み重ねが歴史を動かしてきた場面も、きっとあると感じます。

史実としては疑わしい部分もあるけれど、人間ドラマとしては深く心に響く。

この二重の視点を持って楽しむことが、大河ドラマの醍醐味ですね。

やっぱり、豊臣兄弟はおもしろいです。

次回第6話も、楽しみに見ます。

筆者紹介|なおじ

社会科教師として35年間教壇に立ち、戦国時代を数え切れないほど生徒たちに教えてきました。

現在は8つのブログ(ドラマ芸能政治歴史スポーツ学び書評)を運営しています。

ドラマ記事では、「心の揺れ」をていねいに「感受」しつつ、社会科教師として培った歴史背景や史料批判の視点でシーンの奥行きを解説するスタイルを大切にしています。

大沢次郎座衛門

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