引退を目前にした穂高教授に花束を渡すことを拒絶し、会場から逃げ出してしまった寅子。
なぜ寅子はあんなにも烈しく穂高教授に対して怒りを爆発させたのでしょうか。
はっきり言って、その理由がよく分かりませんでした。
ここで、一度立ち止まり『寅子の穂高教授に対する怒りの理由』について考えてみたいと思います。
寅子は、わがままな性格なのか?
結局私は、大岩に落ちた雨だれの一滴に過ぎなかった。
私は老いすぎた。
諸君、後のことはよろしく頼む。
この挨拶のどこが変なのか。
変な所は微塵もないですよね。
『(私の業績などは、もちろん皆様の業績に比べても)大岩に落ちた雨だれの一滴に過ぎなかった~』
という表現は、日本人らしい謙譲の美徳に溢れ、穂高教授が立派な人格の持ち主であることを示す、よい挨拶だったと思います。
それにもかかわらず、寅子は穂高教授に花束を渡すことを拒否し、
さらには、
穂高先生が女子部をつくり、女性弁護士を産んだ。
その女子部の我々に、報われなくても一滴のあまだれでいろ(と強いるのか。)
(先生は)記録に残らない、雨だれを無数に生み出した(んですよ。)
(そうやって私にも、『記録に残らない、雨だれの一滴でいろと強いるのですか。』)
寅子の怒りは、こういう論理のようです。
でも寅子さん、この理屈はどうなのでしょう。
そもそも、『雨だれの一滴』とは、穂高教授自身が、自身の業績に対する悔恨の情として述べた言葉です。
とりわけ、『尊属殺の重罰規定』に関して、『努力はしたが、改正できなかった』という烈しい自分自身への怒り、悔恨の情がありました。
その「力不足の自分への怒り」を、人格者として謙虚に『自分は雨だれの一滴』に過ぎなかった、と言ったまでです。
決して、寅子たちに「お前達も、雨だれの一滴であれ」と、強いているわけではありません。
寅子の言葉、そして怒りは言いがかりであり、はっきり言って「わがまま」ですよね。
寅子さんが、ちょっと嫌いになりそうでした…。
寅子の怒りは、穂高教授への愛情の裏返し
しかし、どうにも納得がいきません。
穂高教授には、海より深い恩義があるはずです。
そして、「穂高教授への怒りは、理不尽」で、寅子の論理に賛同できた人の方が少ないでしょう。
「穂高教授は、記録にも残らないような、雨だれを無数に生み出した。」
そんなバカな。
これ、穂高教授が責められることですか。
ましてや、お別れの会です。
もうすぐ死を迎える恩師に対して、こんなことを言うか❗。
『寅子の言動』に、悲しさがこみ上げてきますが…。
本当に寅子は、こんな理不尽な理由で恩師に怒りを示したのでしょうか。
もしかして、寅子の怒りの裏には『隠れた思い』があったのではないでしょうか。
いや、絶対にあったはずです。
穂高教授への愛情の裏返し:寅子は、穂高教授が好きで好きで仕方なかった
穂高教授に暴言を吐いた寅子。
寅子が一瞬、嫌いになりかけましたが、よくよく考えてみると…、
寅子の口から出た言葉は、あまりにも理不尽でした。
ですが、寅子の穂高教授への思いには、隠れた本心があるのではないかと思えてきました。
寅子は、本当は『穂高教授が、好きで好きで仕方がなかった』のではないでしょうか。
その教授の引退という現実を目の当たりにしても、その現実を受け止められなかったのではないか、と。
『もっと法曹界に残ってほしい。もっと自分を導いてほしい。』
先生は、偉大な方です。
その先生が自分自身を『雨だれの一滴』などとおっしゃる。
先生は自分を卑下してはいけない尊い存在です。
どうして、自分を卑下するようなことをおっしゃるのですか…。
寅子は、このような『やり場のない怒り』のようなものがこみ上げ、結局優しい穂高教授に、その怒りをぶつけてしまった、そう思えてきました。
伊藤沙莉さんの受け止めと、監督の言葉
実は、寅子を演じる伊藤沙莉さんも、『なぜ寅子がこれほど烈しく穂高教授に怒りをぶつけるのか』意味がよく飲み込めず、監督に質問したのだそうです。
すると監督は、
表現は怒りだが、この怒りは、寅子が穂高教授に愛情を伝えるシーンなんです。
と言ったそうです。
やはりな。
寅子の怒りは、『愛情表現』だったのです。
愛情が深すぎるために『わがまま』を言ってしまう寅子、
監督は、そういうシーンにしたかったようですね。
最後が近いことを意識して、寅子をわざわざ訪ねてくれた穂高先生。穂高先生は、やはり人格者です。まるで、父親のような包容力。
最後に、二人が和解できて良かったです。
それにしても、寅子の感情わかりにくい。
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