社会科における見方・考え方とは
文部科学省では、社会科の見方・考え方について次のように説明しています。
【小学校】
・社会的事象の見方・考え方
社会的事象を,位置や空間的な広がり,時期や時間の経過,事象や人々の相互関係に着目して捉え,比較・分類したり総合したり,地域の人々や国民の生活と関連付けたりすること
(根拠:小学校学習指導要領解説 社会編)
【中学校】
・社会的事象の地理的な見方・考え方(地理的分野)
社会的事象を,位置や空間的な広がりに着目して捉え,地域の環境条件や地域間の結び付きなどの地域という枠組みの中で,人間の営みと関連付けること
・社会的事象の歴史的な見方・考え方(歴史的分野)
社会的事象を,時期,推移などに着目して捉え,類似や差違などを明確にし,事象同士を因果関係などで関連付けること
・現代社会の見方・考え方(公民的分野)
社会的事象を,政治,法,経済などに関わる多様な視点(概念や理論など)に着目して捉え,よりよい社会の構築に向けて,課題解決のための選択・判断に資する概念や理論などと関連付けること
(根拠:中学校学習指導要領解説 社会編)
中学校地理では、「どこに、どのようなものが、どのように広がっている。それはなぜか」これが見方・考え方の基礎・基本であると説明されます。
位置や空間的な広がりに着目して捉え(見方の基礎・基本),地域の環境条件や地域間の結び付きなどの地域という枠組みの中で,人間の営みと関連付けて考えます(考え方の基礎・基本)。
つまり、見方の基礎・基本は、現状把握をして、問いを把握する力。
そして、考え方の基礎・基本は、「それはなぜか」を考えていく力。
「学習問題(課題)を把握し、追究しながら考え、『意味・意義の把握』に行き着く
『社会科は、社会的事象の持つ「意味」を考え捉えることがねらいである』と言われます。では、「意味」とは何でしょうか。
「意味」とは「つながり」のことです。
「意味」と似た言葉で、「意義」があります。社会科では「意味・意義を考える」と「基礎・基本」と同じようにあまり厳密に分けずに使用します。
こだわれば、「意味」は「水平概念」で、周りの人々、他地域、他の組織など自分たちと同時期に存在する「人・もの・こと」とのかかわりを指し、「意義」は「垂直概念」で、他時代との比較から把握されるかかわりを指します。
しかし、あまり細かいことは気にせず、「意味・意義」とひとかたまりとして、「かかわり」と捉えてよいと思います。「意味・意義」がわかるとは、「つながりがわかる」ことです。
「社会的事象のもつ意味・意義がわかる」と言ったとき、社会的事象には、何かと何かの「かかわり」が存在しています。
教師の大きな仕事の一つは、社会的事象(社会科ではよくモノと表現されます)を準備することです。そのモノを通じて、子どもたちに、「何」と「何」の「かかわり」をつかませたいのかを意図していなければなりません。
例えば一杯のかけそばから、そば粉がどこで作られているか、醤油の原料となる大豆は、だしをとる昆布はなど、他地域とのつながり、他国とのつながりが見えるようにしよう、などと教師は事前に計画しておく必要があります。
- 「何かと何かのかかわり」を基にして、見たり考えたりすること
- 「何かと何かのかかわり」に気付くこと
「多面的・多角的」に追究し、考えるとは
例えば、『江戸時代はどうして260年間も平和が続いたのか』という学習課題を設定したとします。この課題を追究するのに、いくつかの観点を設定します。例えば「農業政策(経済)面」「大名統治政策面」「対外政策面」などの面の設定です。(多面的)
追究対象としての面が決まったら、その面をどのような立場から見るかが問題になります。農業政策を農民の目で見たら、統治者である大名の目で見たら、など視点の設定をします。(多角的)
もう一つ、「視座」の設定
多面的・多角的に追究するときに、「視点」が決まっても、それだけでは足りない場合があります。農民なら農民という視点から見ても、肯定的に見る場合と、否定的に見る場合があります。
そして最終的に学習課題は、多面的・多角的(多視座的も含め)に追究され、それらがどうかかわっているたかが判断されて「260年の平和」と「農業政策のもつ意味」「大名統制のもつ意味」等々が把握され、この時代が、前の時代や、次の時代と、どのようにかかわているかという「歴史的意義」が把握されます。
「多面的・多角的な追究」と、「主体的・対話的な学び」について
多面的・多角的に追究する授業を作ろうとした場合、学習形態は、必然的に「主体的・対話的な学び」となります。
いくつかの追究の面を設定し、「農業政策はA君担当」「大名統制はBさん担当」「対外政策は・・・」という風に分けるだけで、全体で発表する前に班内で発表する場が設けられ、対話的な学びが実現します。
形だけの「主体的・対話的学び」を真に価値ある学びに変えるものは何か
形式的な「主体的・対話的な学び」を真の「主体的・対話的な学び」に変えるのは、「調べる対象」です。
「調べ学習・追究学習」では、子どもたちは何を調べ、何を発表するのでしょうか。
多くの人が、「調べ学習・追究学習」は、「事実を調べ、事実を発表する学習」だと勘違いしています。「調べ学習・追究学習」とは、「事実+思い(考え)」を調べ、「事実+思い(考え)」を発表する学習なのです。
「調べ学習・追究学習」が、単なる事実調べ事実発表の学習から、思いや考えを発表できる学習になったとき、その学習は、真に深い学びとなっています。
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