水戸学– tag –
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【書評と考察】「吉田松陰と松下村塾のすべて」 幕末維新の真髄を読む
読み応えのある本でした。 そして、表題にあるように吉田松陰について、複数の専門家が詳細に調べこんだ内容に満足感を持ちました。 その反面、知識をある程度持っている人には良書だが、入門書としては手ごわいかもしれないとも感じました。 まず、この本... -
「え!?」草薙剣とは別の剣を三種の神器としたって本当
「昼御座(ひのおまし)の剣」を宝剣の代用、寿永2年(1183年)に伊勢神宮の祭主大中臣親俊(おおなかとみのちかとし)が後白河に贈った剣を宝剣としたのでした。この剣は「神宮御剣」 -
朱子学から見る水戸学の形成:儒教思想が生んだ日本独自の学問体系
江戸時代、日本の思想界において朱子学は幕府公認の学問として大きな影響を与えました。 その中でも、水戸藩で発展した「水戸学」は、朱子学を基盤としながらも、日本独自の歴史観や政治思想を融合させた特異な学問体系です。 本記事では、朱子学と水戸学... -
南北朝時代の正統性と水戸学:三種の神器から見る皇位継承の歴史
水戸学は南朝を正統とします。それは三種の神器を南朝が所有していたことが根拠です。しかし,北朝は三種の神器が無くても践祚できるという理屈を創り上げました。どのような理屈でしょうか。 -
水戸の攘夷論は『方便』、なんと日本で一番最初に開国を主張したのは徳川斉昭だった!
「幕末期の日本で、最初に開国を唱えたのは、水戸の斉昭なんだって。」と言われたら、多くの人が「そんなはずはない。」と答えるでしょう。 水戸学と徳川斉昭に関する一般的な認識は、「尊皇攘夷を唱えた水戸学、攘夷派の旗印が水戸の斉昭」と思われている... -
朱子学における山崎闇斎の功績:水戸学と会津の教えへの影響
朱子学が広まったのは、実は江戸時代の後期。「神儒一致」を説いた山崎闇斎の朱子学は、水戸学や会津の教えにも強い影響を与えた。 -
水戸を徳川御三家の一つとした 水戸光圀は 神となって祀られているというのは本当か
水戸は、もともとは御三家ではなかった。それを御三家の位置に押し上げたのは水戸光圀。天下の副将軍という役職はない。それでも人々から副将軍と呼ばれた光圀。光國ではなく光圀と改めたのは何故か。死後は神となったというのは本当か。そして、水戸学とは何か。 -
神皇正統記の著者 北畠親房の息子、南朝の支柱北畠顕家,石津の戦いで 死す
北畠親房の子、北畠顕家の動向を中心に延元年間中の1336から1338の南北朝の戦いの様子について -
北畠親房、「こいつはやばい奴だ」と尊氏をののしる
畠山親房は安倍晋三元首相と同じ67年の生涯を送りました。そのうち6年間を常陸で過ごしています。親房はなぜ常陸に来て、なぜ神皇正統記を書いたのでしょうか。 -
維新の源流としての水戸学NO10(弘道館記述義について)
弘道館記は、491文字の簡素な文章でしたので、斉昭は、「これを詳しく解説せよ」と藤田東湖に命じました。東湖は、再三辞退しましたが最終的に承諾し、十年の年月をかけ「弘道館記述義」を完成させます。
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