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牧野富太郎の真実の人生【朝井まかでさん作の評伝小説『ボタニカ』から】

ボタニカは、朝井まかでさん作の評伝小説。この小説に描かれる日本の植物学の父である牧野富太郎博士は、文久2年(1862)、土佐佐川の造り酒屋、岸屋の一人息子としてこの世に生を受けた。「岸屋」は、造り酒屋を生業とし、維新前は、藩の御用を務め苗字帯刀を許される大店だった。酒のほかに、桶にたらい、ざるやほうき、手ぬぐいや葉タバコ、女性の口紅なども商なう。そんな岸屋で育つ富太郎は、少年時代「なんで、なんで」を口癖とする、風変わりな少年だった。この富太郎が、どういう歴史をたどって、「日本の植物学の父」と言われる学者になったのか。富太郎の歴史をたどり、富太郎博士が、どうやって「日本植物学の父」と言われるようになったのかを小説『ボタニカ』から探る。

目次

富太郎は、どのような幼年時代を過ごしたのか

岸屋の一人息子

富太郎は二親を知らない。3歳で父親、5歳で母親を亡くしている。物心ついた時には、二親はすでに仏壇の中だった。

身寄りはただ一人、ばあ様の「浪子(なみこ)」だけ。
この頃の友達は…、草花。

例えば、グルグル。
「グルグル、おまんも出てきたか」
グルグルというのは、富太郎が勝手に名付けた草花。

春先に芽を出した当初は、赤茶けたひげに覆われ、渦を巻いて威張ったように見える植物だという。
暖かくなるにつけ、かたく渦を巻いた姿が、手品師の仕業でもあるように、その渦をほどき、細長い歯を左右に律儀に並べ、整然と葉を並べる。

触れるとふわふわとし、葉の裏を見ると、赤茶のつぶつぶを付けている。

「おまん、まるで獣のようじゃの」

富太郎にすれば、野山は友達でいっぱいだった。

病弱だった富太郎の幼年時代人間の友達は、一人もいない。他の子の健康についていけなかったのだろう。
周りは噂する。
「ああ、あの子は変わり者じゃ。」
「変わり者の、岸屋の孫じゃ」

「よい着物を、着せてもろうちょらあ。じゃけんど、えろう痩せて顔色もよおない。頭も、ちょいとネジがとんじょらあ。」

「まあ、そう言うなや。あの子には、父ちゃんも母ちゃんもおらん。お婆さまの浪様も、あの子がふびんなんじゃろう。あの子を一度も叱ったことがないらしい。」

「そんな、育て方をしちょったら、ろくなオトナにならんのう。」
富太郎の幼年時代は、このような様子だ。

富太郎をかわいがって育てているのは、たった一人の家族、岸屋の大女将で祖母の「浪子」だった。富太郎の生まれは、文久2年(1862)。明治維新を迎える6年前のこと。造り酒屋を営む「岸屋」に生まれた。

岸屋は、佐川を治める深尾の殿様の御用を務め、名字帯刀を許されていた。
造り酒屋の他に、荒物、小間物なども商う大店だった。

牧野家の家系

尚爺作成

富太郎と、ばあさまの浪子に血のつながりは無い。
浪子は、富太郎の祖父「牧野小左衛門」の後添え。

富太郎の母の「久壽(くす)」と、猶の母の「政(まさ)」はどちらも小左衛門の先妻の子。
つまり、富太郎だけでなく、猶も浪子とは血のつながりが無い。

久壽の入り婿の「佐平(富太郎の父)」も小左衛門も無くなった後、牧野家に残されたのは、血のつながりの無い3人だった。
それでも浪は、富太郎も猶も愛情豊かに育て上げる。

伊藤蘭林に学ぶ

NHKらんまんの蘭林先生

明治6年(1873)、富太郎数えで12歳。目細谷の伊藤蘭林先生の塾で学んでいた。

富太郎は、蘭林先生から「この子は、ようできる」と褒められる。
だが、時たま他の子が蘭林先生から褒められると、「負けて、なるか」と闘志をもやす負けず嫌いな一面もあった。

この頃になると健康を取り戻し、塾の帰りには仲間と一緒に、相撲や木登り、戦ごっこをして遊ぶ元気な子どもに成長していた。

富太郎は、塾でのできが抜きん出ているので、戦ごっこではいつでも大将だった。
負けず嫌いで、誰からも指図されるのが大嫌い。遊びでも親分にならなければ気が済まない。

たまに、「わしも大将をやってみたい」と誰かが言い出すと、
「やれるものなら、やってみい」と譲りはする。

だが、言った者に大将をやらせて指揮を執らせると、敵方に何人を捉えられ、ぼろ負けをする。
結局、みんなが富太郎に助けを求め、大将の座に復帰する。

富太郎の鼻は、ますます高くなっていった。

富太郎が学ぶ伊藤蘭林先生は、「佐川山分に、学者あり」と讃えられる名高い学者だった。当時60歳前後だったらしい。
『四書に始まり、五経、日本外史、日本政記を高ずる口調も穏やか。
塾生の数は20人ほどで、ほとんどが上組と呼ばれる武士の子弟だった。町人の子は下組、下組は富太郎を含め、二人しかいなかった。

蘭林先生は、書物を拝むようにしてから開く。
ある日「漢書」を講じられた。漢書とは前漢のことを記した歴史書。

「古人言うあり」
古人とは、董仲舒(とうちゅうじょ)という儒学者のこと。

「淵に臨んで魚を羨まんよりは、退いて網を結ぶに如かず」
「これは、どういう意味だ。解釈してみなさい。」と、蘭林先生が問う。

ある塾生が答える。
「これは、勇無き仕業を戒める言葉にございます」
「淵の際に立ちながら魚を獲るのを怖がって、己の家でただ網を編んでいるだけの腰抜けではいけません」という教えだと思います。

富太郎は、その答えを聞いて、『逆だ!』と呟く。

蘭林先生は、富太郎の方を見て、「牧野、おぬしはどう解釈する」と改めて問う。

富太郎は、答える。
「浜辺に立って、ただ『魚が欲しいよ』と思っているだけでは、魚は手に入りません。魚が欲しいなら、まずは魚を捕まえる網を結うことが必要だ」という意味だと解釈しました。

「ほう、それはどういう意味だ」と蘭林先生。

「『自分の望みを叶えようとする者は、そのための努力を惜しんではならない。努力もせずに、ただ欲しがるのは愚かだ。』という意味だと思います。」

蘭林先生の顔に、笑みが広がる。

お猶

NHKらんまんの綾(万太郎の姉という設定)もちろんモデルは「猶」さん

猶は、慶応元年(1865)生まれ。富太郎より3歳年下。
富太郎の母、久壽の姉「政」の子。

猶も、富太郎と同じように幼い頃に二親とも亡くしている。
それを、浪が引き取り、牧野家で育てていた。

ちなみに、祖母「浪」は、牧野家の祖父小左衛門の後妻である。つまり、富太郎とも、猶とも血のつながりの無い祖母だった。

その祖母浪子のもとで育つ富太郎と猶は、従兄妹同士。

だが富太郎と猶は、一緒に遊ぶということがなかった。同じ家に育ちながら、朝夕の膳の時にしか顔を合わせない。
さらに猶は、ひどく無口な少女だった。

許嫁(いいなずけ)

富太郎は、名教義塾(めいこうぎじゅく)に通っていた。
名教義塾とは、深尾の殿様が開いた名教館の流れを汲む。

伊藤塾の蘭林先生に勧められ、富太郎は名教館に通うようになる。
名教館は廃藩置県に伴い、一次休校になる。しかし、地域の有志により、名教義塾として再開した。

それに合わせ、庶民にも門戸が開かれ、富太郎も通うことになる。蘭林先生は、そこでも教授を行っていた。

名教義塾では、国学や漢学だけではなく、西洋の算術や万国地理学、詩文、和歌、武術、馬術、さらには英語の授業も行われていた。

富太郎の学問は、岸屋にしてみれば道楽にすぎない。
浪子は、この学問道楽の富太郎に、しっかり者の猶を娶せることを考えていた。

『従兄妹(いとこ)同士の富太郎と猶が夫婦になれば、牧野家は盤石』
そう、考えていた。

NHKらんまんのタキ(モデルは浪子)

小学校中退

明治5年(1872)、学制が発布された。
それに伴い、明治7年(1874)に名教義塾は閉じられ、施設はそのまま小学校として使われるようになった。

国の方針として学問の目的は、「立身出世」と定められている。
裏を返すと、国家や立身のためにならない学問は排除する、とも受け取れた。

学制は、フランスの制度を真似た。下等小学と上等小学に別れ、終業年月は、それぞれが4年ずつ。
富太郎は、小学校開校と同時に入学した。だが、授業を受けるたびに失望が増す。

何しろ、数えで14歳になる。今で言えば中学2年。
小学校の学習内容は、既にもう知っていることばかり。

「こんな無駄なことはやっていられない」
天才牧野博士でなくとも、そう思ったことだろう。

さらに、「立身出世のために学べ」と言われても、岸屋は富太郎がいなくとも安泰。
「なんで、立身出世のために学ばなければいけない。好きなことを学んで、なぜいけない」と思ってしまう富太郎だった。

ただ一つだけ、小学校に通って良かったと思えることがある。
それは、1枚ものの植物図との出会い。先生が、柱にその図を掛けたとき、富太郎は思わず教場の前に飛び出していた。

目にも鮮やかな彩色画で、様々な植物の葉や根そして花が描かれている。

葉の形で分別され、植物群として楕円で示され、「グミ」と書かれている。くさび形で示された所には、「コブシ」と。

その植物群に示された名前の横には、英語も記されていた。「ヤツデ」は「パルメイト」と読める。

「こんなものがあるんですか」と先生に問うと、
「『植学』の入門用の教具だ」と、先生が教えてくれた。

NHKらんまんの万太郎の子供時代(モデルは富太郎)

「『植学』そんなものがあるのか。」

富太郎は、退屈な小学校の授業時間の間、植物図を我流で描くようになった。
息もつかずに、手を動かす。

そうこうするうちに、小学校でつまらなすぎる授業を、聞いているだけの時間が耐えられなくなった。
明治9年(1876)の2月の朝、富太郎は、ばあさまの浪子に告げる。

「ばあさま、わしも15になったき、小学校を退校することに決めた。これからは、植学を志します。」

富太郎は、去年の冬から既に小学校には行っていない。密かに小学校の隣の伝習所に通っていたのだ。
伝習所というのは、小学校の教授であった先生が、小学校の教員たちに学問を授けている場所だった。

岸屋の番頭たちは、「小学校を止めるなら、もういい加減学問は止めて、家業に専念して欲しい」と、富太郎に申し出る。

だが、富太郎は、聞く耳を持たない。

番頭が、大女将の浪子に
「坊ちゃまに家業に専念しろと、ガツンと言ってください」
と、迫る。

だが、大女将の浪子も、「本人にその気が無いのに、無理強いしたら、店の者が困るだけじゃ」
と、富太郎の意思を尊重する構えだ。

こうして富太郎は、小学校を中退し独学を始めた。

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