「らんまん」で、商売を始めることを決意した寿恵子(浜辺美波)は、当時は最下層の人々が流れ着く場所とされた渋谷へ向かう。
弘法湯で身を清めてお参りに行く人に出会ったり、茶屋で出されたボーロに感動したり、芸者たち(入山法子・実咲凜音)の話を聞いたりしながら、渋谷の町に魅了されていく。
そして、弘法湯の佐藤(井上順)や、隣の荒谷(芹澤興人)らを座敷に呼んだ寿恵子は、この町で人と人をつなぐ待合茶屋を開きたいと伝える。
「らんまん観るなら」無料トライアル実施中!<U-NEXT>入山法子が、らんまんで渋谷の芸者役で登場
寿恵子は、当時田舎だった渋谷で待合茶屋を開いても大丈夫かどうか、現地調査に出かける。
そこで、一流の柳橋芸者から落ちぶれて、最後に行き着く場所であった渋谷に流れ着いてきていた芸者と出会う。
寿恵子は、その芸者さんからも渋谷の町について調査をする。
そして、この町に待合茶屋を開くことを決意する。
寿恵子の開く待合茶屋の成功の鍵を握るのは、店に出る芸者さんだ。
今後、この芸者さんの存在が大きくなるだろう。この芸者さんを演じるのが入山法子さん。
芸者役の入山法子は、現在37歳。彼女は31歳の時に『きみはペット』で志尊淳と共演をしているのが面白い。
『きみはペッド』のヒロインは、高学歴かつ容姿端麗なキャリアウーマン・巌谷澄麗(スミレ)。彼女は、段ボールに入っていた謎のイケメン・モモと奇妙な共同生活を始めた。『きみはペッド』は、二人の共同生活を描いた異色のラブコメディだった。
2003年に初めて日本でドラマ化。2011年には韓国でも映画化され、いずれも大ヒットを記録した。ドラマ『イタズラなKiss2~Love in TOKYO』の製作陣によって再びドラマ化となった今作は、スミレ役にモデル・女優として幅広く活躍中の入山法子。“モモ”こと合田武志役が志尊淳。
「らんまん」では、この二人がニアミスした格好。芸者の入山法子らが、寿恵子の待合茶屋「山桃(やまもも)」で存在感を発揮するだろう。
1.入山法子の紹介
入山法子は多才なモデル兼女優で、芸能界でその名を知られるようになった。その印象的なルックスと紛れもない才能で、世界中の観客の心を魅了している。埼玉県出身の1985年8月1日生まれの法子は、大学入学時の2004年に週刊誌『週刊朝日』の表紙を飾り、モデルとして芸能界でのキャリアをスタートさせた。
2006年放送のドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』(日本テレビ)から本格的役者デビューを果たした。彼女の美貌と独特の魅力は多くの人の注目を集め、女優の世界で多くのチャンスを得ることになった。
大学は共立女子大学の家政学部生活美術学科に入学。そこでは、建築について学んでいる。
私生活では、2014年にロックバンド「THE BACK HORN」のベーシスト・岡峰光舟と結婚したが、2020年11月に離婚している。
2.入山法子が描く渋谷の芸者
「らんまん」では、入山法子が芸者の役を演じ、物語に深を添えている。伝統芸能と洗練された技術で知られる芸者は、長い間、日本の文化遺産として欠かせない存在だった。もとは、一流の柳橋芸者だったが、ある事情で落ちぶれて渋谷に流れ着いていた。
法子がどん底の渋谷芸者を演じることで、渋谷という街と、渋谷芸者に新たな視点がもたらされる。彼女の魅惑的な演技を通して、芸者の特徴である優雅さ、気品、独特の魅力をシームレスに体現できる。
法子の「らんまん」への陰の献身は明らかである。
3.入山法子 の役作り
「らんまん」で入山法子が存在感を示すのは、寿恵子が経営する「山桃(やまもも)」という茶屋である。
この待合茶屋は、「人と人とをぬなぐ場所」、安らぎ、慰めの場として機能した。
法子が演じる芸者は、この茶屋に神秘的な魅力を添えている。彼女の魅惑的な演技を通して、彼女は「山桃」を訪れる人々の生活に喜びと笑いと魔法のタッチをもたらす人として描かれるだろう。
法子のキャラクターは、寿恵子の店にとって欠かせない柱となり、「人と人をつなぐ場」に色を添えることになる。
4.寿恵子の 待合茶屋、『山桃(やまもも)』で入山法子が芸者として存在感を発揮
入山法子には妖艶さが宿っている。彼女の独特の魅力だ。
『らんまん』で演じる芸者としてぴったりの配役だろう。
女優としての彼女の多才さと、キャラクターに期待する。
彼女は物語に深みを添え、もしかすると、時に陰謀めいた隠し味を加え、その優雅さと気品で観客を魅了するだろう。寿恵子の店の渋谷芸者として、法子は物語の重要な一部となるはずだ。
渋谷区の「神泉」は、どのような町か
「らんまん」の寿恵子、史実の壽衛子さんが店を出した渋谷区の「神泉」といえば、「円山の花街」「日本一のラブホテル街」と言われる色街。
神泉にもほど近い円山には、かって「芸者の置屋」があり、円山の飲食街は、その当時の名残である。
近年になって、ラブホテルが乱立して、新たな色街の様相を呈している。
この神泉の華やかさの歴史の源は、弘法大師「空海」が大きくかかわっているという。
京王井の頭線の神泉駅付近は「神泉谷」といわれ、渋谷の繁華街である道玄坂、円山町、松涛の住宅地に囲まれた谷でだった。
ここにこんこんと湧き出る泉があった。弘法大師の弟子が神泉の湧き水を利用して浴室を建てた。湯治場として村人も利用するようになる。
やがて浴場は「弘法湯」といわれるようになる。
江戸時代には、神泉谷は道玄坂から大山詣でに向う道、さらに富士山詣での通り道として賑わった。
そのため弘法湯に立ち寄る人々が増えた。
いつしか、「弘法湯につかると霊験あらたか」といわれるようになる。
明治時代になると、渋谷の住人佐藤豊蔵氏が浴場の経営権を得て、二階に料亭を設けた。今のスーパー銭湯の原型のようだ。
その結果、芸者衆が集まり、神泉谷は歓楽街となっていく。
結論として、
『~渋谷芸者~』は、才能あふれる入山法子によって、寿恵子の待合茶屋に色を添え、渋谷の町そのものの発展にも貢献する話となっていくだろう。
史実でも、壽衛子さんの待合茶屋は、最初繁盛する。
その繁盛の裏には、渋谷芸者さんたちの活躍があったに違いない。
最下層の町、他に行くところが無くなった人たちが訪れる町だった渋谷神仙界隈が、弘法湯を中心とした歓楽街として発展し、最盛期には芸者さんたちの置屋が137軒、芸妓さんが最大420人、そして壽衛子さんが営んだような待合茶屋が96も軒(のき)を連ねる町に発展した。
渋谷の待合茶屋「山桃」の経営は、寿恵さんの才能の見せ場であった。
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