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斎藤道三が学んだ中国の兵法書「六韜」
斎藤道三は、中国の軍学書「六韜」を愛読した。その中でも特に「虎韜」中の「武力に依らず敵を倒す12の法」を実践に用いて美濃一国を手中にした。自分が使うためと言うより、人にだまされないために虎韜の12か条を知っていて損はない。 -
米軍は中国に勝てるのか
米軍が弱体化し、「このままでは中国に負ける」という冷徹な現実を突きつけられている、と述べる黒田氏。戦えばほぼ勝と述べる桜井氏、どちらが正しく、日本はどうすれば良いのか。 -
美しき勁き国へ 櫻井よしこ氏の『政治主導国防費純増を』
米シンクタンクの戦略国際問題研究所が台湾をめぐって米中戦争が2026年に戦争が起こるとしてシュミレーションし、結果ほとんどの戦いで米台側が勝利する予想がでた。しかし、米国の国際社会における地位は損なわれる。当然、日本も同様の状況に国力が著しく低下する。国を守るためどうすべきか、議論を避けるべきではない。 -
北条早雲 家訓21か条
北条早雲は、自らは北条姓を名乗ったことは無く、伊勢宗瑞など「伊勢氏」を名乗り続けた。「北条」を名乗るのは、子の氏綱の代になってからだった。 現在一般的に「北条早雲」という名で知られるが、自らは伊勢新九郎盛時、伊勢宗瑞、早雲庵宗瑞を名乗った。その早雲の遺した21か条の家訓とは。 -
家康、江戸を建てる 伊奈家3代、4人の物語
利根川の流れを変え、江戸を創った伊奈家3代(4人の男たち)の物語。伊奈家の男たちは、実に60年、3代にわたる長い時をかけ、江戸湾に注ぎ込んでいた利根川の流れを現在の流れに変えた。「臆病で良いのです」緻密に、堅実に、粘り強く取り組む信念が人々の暮らしを変える。読後感の爽やかな物語。 -
江戸を創った悲劇の武将太田道灌の素性
悲劇の武将といわれる太田道灌とは、どのような武将だったのか。江戸城に招かれた僧、万里集九は「文も武も備えた人物」と称した。まるで水戸学の「文武不岐」を地でいく人物だ。 -
上杉禅秀の乱・永享の乱・享徳の乱の中、100年間佐竹宗家と戦った山入氏は、どのように滅んだか
山入氏義に金砂山城を攻められた佐竹宗家の義舜は、天が味方したか雷雨に救われて氏義を破りました。そして、永正元年(1504)山入氏義から太田城を奪還。100年にわたる山入氏の乱の終結です。 -
享徳の乱「公方成氏と幕府・管領との争い」が戦国時代の幕を開ける
享徳の乱は、荒く言えば15世紀中盤に28年にわたって行こなわれた『公方と管領の争い』です。この乱後、鎌倉府は全く機能しなくなり、領土問題が生じたら自力解決することになります。大義名分などお構いなしの戦国乱世の時代の到来です。 -
日本人とはどのような民族か:「太陽の民」恩を感じて生きる民族
日本人は、太陽の恵みを2千年も前から自覚していた。古代人は太陽のことを「お陰様」とも言っている。「我々は太陽のお陰様で生きている」と。 命の原因は太陽だということを、我々の先祖はすごく大事にしてきた。そこから「日の本」という言葉が生まれる。「日の本」は「日が本」でありそれが「日本」という国名。 -
水戸学と、会津の日新館の教えはどう違うのか
政治家など人の上に立つ者が、私利私欲だけで動いたら国は成り立たない。エリートがエリートであるためには、人格的にも高潔で優れている必要がある。 江戸期、武士は当時の人口の約7%程度だった。そして多くの武士は人間として洗練されていた。それは当時の教育に負うところが大きい。 会津の「什の掟」も当時の高潔な人間を育てる貴重な掟、そして教えだった。