- 水戸学
維新の源流としての水戸学NO8(会沢正志斎の新論)
新論は1825年に書かれています。出来上がった当時は、藩主斉脩(なりのぶ)によって、公刊を差し止められていました。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO7(藤田幽谷と東湖)
東湖は、幽谷の子であり後期水戸学を代表する、政治家にして詩人、そして思想家であるとともに行動家でありました 父、幽谷に負けず劣らずの秀才です。そして有言実行の人です。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO6『水戸学にとっての、立原翠軒と藤田幽谷』
1740年代から1800年の少し前ごろまで水戸学は衰退期に入っていました。再び水戸学に火をともし全国に名を知らしめたのが藤田幽谷でした。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO5『中期水戸学とは』
1740年頃~1790年代頃まで『大日本史』の編纂は停滞期に入ります。この停滞期を中期水戸学期と呼ぶ学者もいます。 - 水戸学
維新の源流としての水戸学NO4「前期水戸学とは、後期水戸学とは」
大日本史には「紀伝志表」の四つの範疇がある。 前期水戸学は「紀」と「伝」 後期水戸学は「志」と「表」 - 水戸学
宗教問題に苛烈に取り組んだ水戸学の祖 徳川光圀 水戸学NO2
光圀の時代も人々から多額の金を巻き上げる宗教団体がありました。光圀はそれらに苛烈に対処します。合理主義による苛烈な宗教対策は、やがて明治期の廃仏毀釈につながります。