第3話の概要と注目ポイント
TBS系日曜劇場『御上先生』第3話では、物語が大きく動き出しました。
御上孝(松坂桃李)の兄・宏太の悲劇的な過去が明らかになり、隠された不正を示唆する謎のFAX「倭建命」が登場。
さらに、「平川門」という象徴的な言葉が物語に深みを与えています。
この記事では、第3話の重要なシーンを振り返りながら、伏線や謎を徹底考察します。
特に、「倭建命FAX」と「平川門」が何を意味するのか、独自視点で解説します。
第3話のあらすじ
物語は、御上が拘置所で真山弓弦(堀田真由)と面会する場面から始まります。
真山は殺人犯として服役中ですが、彼女の言葉には教育現場への鋭い批判が込められていました。
一方、隣徳学院では謎のFAXが届きます。その文面にはこう書かれていました。
「隣徳はくにのまほろば。このくにに平川門より入りし者たち数多あり。」
さらに、「お前の不正を私は観ている 倭建命」と続きます。
このメッセージは学院内外に波紋を呼びます。
そして、御上の兄・宏太が22年前に学校で声明文を放送した後、自ら命を絶った過去が語られました。
宏太の死と隣徳学院で起きている問題はどこかで繋がっているのでしょうか?
必ずつながっている。
兄・宏太は隣徳の生徒だった?
倭建命FAXの謎:送り主とその意図
FAXの内容とは?
FAXには、「隣徳はくにのまほろば」というフレーズが含まれています。
これは古事記に登場する「大和は国のまほろば」に由来していると考えられます。
「まほろば」は理想郷や素晴らしい場所を意味しますが、ここでは皮肉として使われている可能性があります。
さらに、「平川門より入りし者たち数多あり」という表現も注目ポイントです。
これは江戸城の「平川門」が罪人や死者を運び出すために使われた歴史的背景から、不正や不浄な存在を暗示しているようです。
倭建命のファックスは、御上先生の兄・宏太が自死の前に出したメッセージ?
「大和は国のまほろば」という和歌は、『古事記』に記されている倭建命(ヤマトタケルノミコト)が詠んだ辞世の歌です。
この歌は、倭建命が東国平定の帰路で病に倒れ、故郷である大和への望郷の念を込めて詠まれたものとされています。
詠まれた背景
倭建命は第12代景行天皇の皇子であり、九州や東国の平定を命じられた英雄として知られています。
しかし、その過酷な戦いと旅路で心身ともに疲弊し、伊吹山で神の怒りを買って病を得ます。
その後、現在の三重県亀山市能煩野(のぼの)に辿り着き、臨終の間際にこの歌を詠みました。
え!、御上の兄・宏太の死の間際と
情景が重なるじゃない。
歌の内容
和歌は以下のように記されています:
「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 大和しうるわし」
意味
- 「大和は国の中で最も素晴らしい場所だ」
- 「幾重にも重なり合った青い垣根のような山々に囲まれた大和は、本当に美しい」
この歌には、大和という土地が持つ自然美と故郷への愛情が込められています。
隣徳は、本来は理想郷的な場所だ。
それにもかかわらず平川門から入ってきた者たちが
この場所をけがしている。
私は、死しておまえたちの不正を見ているからな。
こういう意味と重ならないか。
辞世の歌としての意義
倭建命がこの歌を詠んだ時期は、彼が死を目前にしていた状況でした。
戦いや旅路で離れざるを得なかった故郷への強い思いが、この短い歌に凝縮されています。
また、「まほろば」という言葉には「理想郷」や「素晴らしい場所」という意味があり、大和を称賛するだけでなく、自身が帰ることのできない地への無念さも表現されています。
その後
倭建命はこの地で亡くなり、その魂は白鳥となって故郷へ飛び立ったと伝えられています。
この物語は、日本神話における英雄譚としてだけでなく、人間的な悲哀や望郷の念を伝えるものとしても広く知られています。
このように、「大和は国のまほろば」は倭建命がその生涯を閉じる瞬間に詠んだ歌であり、日本人の故郷への思いや自然賛美を象徴する一首として後世に伝えられているのです。
送り主は誰か?
この歌の背景を知った上で、改めて倭建命とはだれなのでしょうか。
- 候補1: 御上孝自身
御上が自分への戒めとして送った可能性があります。「倭建命」は英雄的な存在であり、改革者としての自分を投影しているとも考えられます。
◇ - 候補2: 内部告発者
隣徳学院内部で不正を目撃した人物が告発した可能性もあります。この場合、「倭建命」は正義を象徴する仮名として使われているのでしょう。
◇ - 候補3: 御上孝の兄・宏太との繋がり
宏太が22年前に残したメッセージや行動が現在に影響している可能性も否定できません。
もしかすると、御上と敵対しているように見える同僚の槙野恭介(演・岡田将生)の可能性も。
槙野が、宏太の意思を継いでいるとか…。
ウルトラCとして、「宏太は死んでいなかった」という設定もありでしょうか。
平川門とは何を意味するのか?
平川門の歴史的背景
江戸城に存在した「平川門」は、不浄門として知られています。
罪人や死者など、本来その場にふさわしくないものが通る門でした。
この歴史的背景から、「平川門」という言葉は象徴的な意味合いを持ちます。
ドラマ内での解釈
「平川門より入りし者」という表現は、隣徳学院や教育現場に潜む不正関係者を象徴している可能性があります。
この言葉は、江戸城の「平川門」が罪人や死者を運び出すための「不浄門」として使われた歴史的背景から、不正や場にふさわしくない存在を暗示していると考えられます。
この視点を踏まえると、候補となる人物は複数挙げられます。
まず、文科省総合教育政策局局長の塚田幸村(及川光博)です。
塚田は御上を隣徳学院に派遣した張本人であり、教育改革を推進する立場に見えますが、その裏には何か隠された意図がある可能性があります。
彼が学院に不正な影響を及ぼしているとすれば、「平川門より入りし者」として該当するかもしれません。
次に、隣徳学院理事長の古代真秀(北村一輝)も有力な候補です。
彼は学院を県内トップの進学校に育て上げた実績がありますが、その過程で裏口入学や進学操作などの不正行為があった可能性が示唆されています。
学院運営の中心人物であることから、不正の中心にいる可能性は否定できません。
また、学年主任の溝端完(迫田孝也)も注目すべき人物です。
溝端は国家公務員試験に落ちた過去を持ち、エリート官僚である御上に対して強い敵意を抱いています。
その背景から、不正行為への関与や隠蔽の可能性も考えられます。
さらに、「平川門より入りし者」が学生である可能性もあります。
例えば、特定の学生が裏口入学によって不正に学院へ入学したり、有力者の子息として特別扱いを受けている場合です。
また、成績操作や進学優遇といった問題が絡んでいる可能性もあります。
この場合、「平川門より入りし者」は教育現場での権力構造の歪みを象徴する存在として描かれるでしょう。
これらの候補たちは、それぞれ異なる視点から「平川門より入りし者」として物語に関与する可能性があります。
今後の展開で、この表現が誰を指すのか明らかになることが期待されます。
御上孝と兄・宏太:復讐か改革か?
兄・宏太の過去
22年前、御上孝の兄・宏太は学校放送で声明文を読み上げた後、自ら命を絶ちました。
その内容はまだ明確には語られていませんが、教育現場で何か重大な問題があったことを示唆しています。
御上孝の行動原理
御上孝は兄・宏太の死に深く影響されていることは確かです。
そのため、隣徳学院への赴任には兄・宏太の死にまつわる何かの解明、そしてその先に教育現場を変えたいという改革意識も含まれているようです。
第3話で張られた伏線と今後の展開予想
伏線一覧
- 槙野恭介との関係:表向き敵対しているようですが、実際には協力関係になる可能性。
- 真山弓弦との対話:社会問題への批判と教育改革との関連性。
- FAX送り主:「倭建命」の正体とその狙い。
次回以降への予想
隠された不正が明らかになるにつれ、御上と槙野が協力して真相を暴いていく展開になる気がします。
また、「倭建命」の送り主が誰なのかも次回以降で明かされる可能性があります。
教育改革というテーマ:ドラマ全体から見えるメッセージ
『御上先生』は単なる学園ドラマではありませんね。
それ以上に、日本社会全体への批判や提言とも捉えられる内容です。
特に、第3話では教育現場で根付いていないディベート文化や個性重視型教育について触れています。
もう、20年以上こういう教育にシフトを切ろうと文科省はしてきた。
でも、どうして根付かないのか。
おそらく、無知が根底にあるように思います。
教育とは何か。
何を狙いとするのか。
読者のみなさんは、「教育とは何だと思いますか。」
「教育のねらい・目標は、何だと思いますか。」
結論:第3話総括と感想
第3話では、「倭建命」という謎めいた存在や「平川門」の象徴的意味など、多くの伏線が張られました。
また、御上孝というキャラクターも複雑さを増し、人間ドラマとして深みが増しています。
次回以降も目が離せない展開となるでしょう。
このブログ記事では、第4話以降も引き続き考察記事を更新予定ですので、お楽しみに!
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