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紫式部と清少納言ライバルとされた二人の実名は?:本当に実在したのか?

紫式部と言えば「源氏物語」、そして清少納言と言えば「枕草子」。どちらも日本が誇る世界的女流文学家。紫式部は、2024年の大河ドラマの主人公にもなっています。ところで、紫式部の本当の名前は何と言うのでしょうか。また、清少納言の方はどうでしょうか。そもそも、このような優秀な女性が、平安時代に本当に実在していたのでしょうか。

目次

紫式部の実在の証拠

紫式部と言えば、今から約1000年前の政界最古の長編小説を書いた女流小説家。言わずとしれた『源氏物語』の作者です。

当然、教科書にも載り日本のすべての人が学生時代に学んでいる人物の一人です。

・彼女が藤原実資(さねすけ)の記した古い記録「小右記(しょうゆうき)」という一次資料に、「藤原為時(ためとき)の娘として登場します。

一次資料とは、『対象となる出来事と同じ時期に書かれた新聞記事、本、音声記録、写真、日記、絵画、映像、政府文書などの資料』を指すと説明されます。

「小右記」は、彼女が生きた平安時代の政府文書に匹敵する文書資料なので、信用できる一次資料とされます。

そこに、彼女が登場するので、「藤原為時の娘」いわゆる『紫式部』という女性は、確かに実在していたと確認できます。

清少納言 実在の証拠となる一次資料は無い

ところが、紫式部のライバルとされた「清少納言」の方には、実在を証明する一次資料が存在しません。

驚きですね、「本当のところ、『清少納言』が実在したかどうか」は、証明できないのです。

だとしたら、政界最古の随筆である『枕草子』は誰が書いたのか、実際の所は分からないと言うことなのでしょうか。

ライバルである『紫式部』の日記の中に登場

「清少納言が書いた「枕草紙」にきちっと自分(清少納言)が登場していますよ。」
という方がいるかも知れません。

ですが、『自分が書いたとされる文章に、自分が登場する』と言うのでは、歴史学的には一次資料として通用しません。

一次資料が無いのに、どうして教科書にも「清少納言」の名前が載っているのでしょうか。

それは、紫式部が書いた「紫式部日記」に登場するから、『おそらく実在した人物であろう』と考えられているのです。

ライバルとされる紫式部さん、「ナイスジョブ」です。

実名はわからない

さて、大河ドラマ『光る君へ』の中で、紫式部の幼名が「まひろ」となっていました。

この名前は、創作です。
ドラマの制作を統括されている「内田ゆき」さんが、「心に燃える何かを持っている個性的な主人公をイメージして、『まひろ』と名付けました」と語っています。

紫式部や清少納言という呼称も、史実としては正しくない

実は、大人になってからの呼称、「紫式部」や「清少納言」という教科書に載っている名前も、史実としては正しくありません。

彼女らは、自分が後世「紫式部」や「清少納言」と呼ばれることになるとは、死ぬまで知らなかっただろうと思われます。

紫式部は何と呼ばれていたか

清少納言の生まれた藤原為時の家の中では、「中の君」とでも呼ばれていただろうと予想できます。

また、長じて藤原彰子(しょうし)女房として出仕した後は、「藤式部」 (とうしきぶ)とでも呼ばれたのではないでしょうか。

」は、藤原の姓から。
式部」は、父の官職からきています。

清少納言は何と呼ばれていたか

清少納言の父は、清原姓だったとされています。
だとすれば、清原の「」を取り、「清少納言」と呼ばれていたことは、うなずけます。

まとめ

・紫式部の実在は証明できる。だが、清少納言の実在は、100%証明できていない
・清少納言の実在がかろうじて分かるのは、「紫式部の『紫式部日記』に登場するから」だ。

・紫式部や清少納言の実名は分からない
・「光る君へ」の中で紫式部の幼名を「まひろ」としているのは創作

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