こんにちは、なおじです。
NHK朝ドラ「ばけばけ」が第95話まで放映されましたね。(2月13日・第19週)
トキとヘブンの物語、いよいよ佳境です。
ドラマをもっと深く楽しむために、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻セツの史実を知りたくなりました。
この記事では、松江での暮らしや「怪談」誕生の背景を元社会科教師の視点から詳しく解説します。
なおじの「ばけばけ」感想記事もたっぷりご紹介しますね。

【この記事でわかること】
- 小泉八雲と妻セツの出会いから結婚までの史実
- 松江での生活と『怪談』誕生の背景
- ばけばけのトキとヘブンのモデルとなった実話
- ドラマと史実の違いを元教師が検証
- なおじの「ばけばけ」各話感想記事へのリンク集
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻セツの出会いの真実

没落士族の娘セツが選んだ道
1890年(明治23年)、ラフカディオ・ハーンが松江にやってきました。
島根県尋常中学校の英語教師として赴任したんです。
このとき、没落士族の娘・小泉セツ(当時22歳)が八雲の住み込み女中として働き始めます。
当時の日本では、西洋人相手の「洋妾(ラシャメン)」は社会的に蔑まれていたそうです。
普通の士族の娘が外国人のもとへ行くなんて、異例中の異例でした。
でもセツは、世間体や常識を気にしないおおらかな性格だったみたいなんです。
だから八雲のもとに行くことを受け入れたんですって。
なおじが35年間教師をやってきて思うのは、明治という激動の時代に旧来の身分意識にとらわれず新しい選択をしたセツの勇気は本当にすごいってこと。
ドラマ「ばけばけ」では、ヒロイン・松野トキがこの決断に至るまでの家族の葛藤が丁寧に描かれてますよね。
👉関連記事:ばけばけ第1話感想|様子見継続の3つの理由
言葉の壁を越えた夫婦の絆
女中として住み始めてから約半年後、八雲はセツを稲佐の浜へ呼び寄せたそうです。
その後、友人に結婚を知らせる手紙を送ってます。
ここで興味深いのは、八雲は生涯日本語を流暢に話せなかったってこと。
セツも英語を解さなかったんですって。
二人の意思疎通は片言の日本語によってなされたそうです。
それでも深い夫婦愛を育んだっていうのは、言葉を超えた心の通じ合いがあったからでしょうね。
なおじが思うに、コミュニケーションの本質は言語の正確さじゃないんです。
相手を理解しようとする姿勢なんですよね。
ドラマでも、ヘブンとトキが言葉の壁に苦しみながらも心を通わせるシーンが随所に描かれてます。
👉関連記事:ばけばけ92話感想|ヘブンの松江サムイに込められた本音
👉関連記事:ばけばけ90話感想~ヘブン決断の理由とおトキの傷跡
松江での生活と「怪談」誕生の背景

松江での約1年3カ月の暮らし
八雲とセツは、松江城北の堀に面した旧松江藩の武家屋敷に移り住んだそうです。
八雲が松江にいた約1年3カ月のうち最後の約5カ月をそこで過ごしました。
八雲は風趣に富んだ枯山水庭園や蓮池のある庭を大変気に入ったんですって。
居間や書斎から四季折々の景観を楽しんだそうです。
この松江での暮らしが、後に名作『知られぬ日本の面影』を生み出す原点となったんですね。
明治という急速な西洋化の時代にあって、松江には日本古来の生活文化が色濃く残ってたみたいです。
八雲はその魅力に深く感銘を受けたとされています。
ドラマでは松江の美しい風景が丁寧に映し出されてますよね。
なおじも毎回その映像美に魅了されてます。
👉関連記事:ばけばけ92話感想|ヘブンの松江サムイに込められた本音

セツが語った物語が名作『怪談』に
八雲の代表作『怪談』に収録された「耳なし芳一」「雪女」「むじな」「ろくろ首」。
これらの名作は、実はセツが語った日本各地の民話や伝承がもとになってるんですって。
八雲は口承されてきた怪談や幽霊話、民話、伝説を、セツの語りを通じて世に出したそうです。
つまり、『怪談』は八雲一人の作品じゃなかったんですね。
セツとの共同作業によって生まれた文化的成果だったんです。
でもこの事実、長く知られなかったんですって。
歴史家の長谷川洋二氏が2014年に刊行した『八雲の妻 小泉セツの生涯』で初めてセツの功績が明らかにされました。
なおじが教師時代に教科書で『怪談』を扱ったとき、セツの貢献については触れられてなかったんです。
歴史の陰に隠れた人物にスポットを当てるって、本当に大事なことだと思います。
ドラマでも、トキが怪談話を語るシーンが印象的ですよね。

小泉八雲の帰化と家族を守る決断
1896年の正式な結婚と日本国籍取得
八雲とセツは当初、法的には正式な夫婦じゃなかったそうです。
でも家族を持った八雲は、セツとともに帰化手続きのために奔走したんですって。
1896年2月、セツの戸籍に入夫する形で正式に結婚しました。
このとき、日本人「小泉八雲」となったんです。
当時の国際結婚は法的にも社会的にも複雑な手続きが必要だったんですね。
でも八雲は妻子を守るために勇気ある行動をとったわけです。
不幸な幼少期を繰り返さないために
なぜ八雲は英国籍を捨ててまで日本国籍を取得したんでしょうか。
それは八雲自身の不幸な幼少期が関係してるんです。
八雲はギリシャ西部のレフカダ島で生まれました。
幼少期をアイルランドで過ごしたんですが、家庭環境に恵まれなかったそうです。
愛する妻子を守り、自分と同じ不幸を繰り返させないっていう強い意志。
それが帰化という決断につながったんでしょうね。
明治時代の家父長制のもとでは、「家」が社会の基本単位でした。
戸籍に入ることで法的にも家族としての権利が保障されたんです。
なおじが教師時代、家族の大切さを生徒に教えるとき、この八雲の決断を例に出したこともあるんですよ。
懐かしい‥。
👉関連記事:明治時代の男性と恋愛 沈黙に隠された本音と家父長制を解説
👉関連記事:ばけばけ94話感想|トキ熊本行き決断おじじ様の深い愛と家族
ばけばけと史実の違い|脚色されたポイント

ドラマのトキと史実のセツの性格
NHK朝ドラ「ばけばけ」の主人公・松野トキがセツのモデルとされてますが、あくまでフィクションです。
ドラマでは、トキが熊本へ行くか松江に残るかっていう選択に悩む場面が描かれてますよね。
第94話ではついに熊本行きを決断する重要な展開がありました。
でも史実のセツは松江から東京、そして神奈川へと八雲とともに移り住んでるんです。
熊本への転居は史実とは異なるフィクション設定なんですね。
史実のセツは「世間体を気にしないおおらかな性格」と評されてます。
でもドラマのトキはより感情豊かに描かれてますよね。
現代の視聴者に共感されやすいキャラクターに脚色されてるんです。
👉関連記事:ばけばけ94話感想|トキ熊本行き決断おじじ様の深い愛と家族
👉関連記事:ばけばけ91話感想|熊本行きと家族の幸せをめぐるトキの揺れ
時代背景と家族構成の違い
ドラマでは明治の激動の時代を背景に、没落士族の苦悩や西洋化への抵抗が強調されてます。
史実でも、セツの父・小泉湊は松江藩士だったそうです。
母のチエは松江藩家老職の塩見家の娘っていう士族の家系でした。
でもドラマほどドラマチックな展開じゃなかったみたいです。
実際のセツと八雲の生活は比較的穏やかなものだったとされてます。
また、八雲とセツの間には4人の子どもが生まれました。
ドラマではこの部分がどう描かれるか、今後の展開が楽しみですね。
登場人物のモデルとなった実在人物
ドラマには様々な魅力的なキャラクターが登場しますよね。
その多くに実在のモデルが存在するんです。
- レフカダ・ヘブン(トミー・バストウ) – 小泉八雲がモデル
- 松野トキ(高石あかり) – 小泉セツがモデル
- 錦織友一(吉沢亮) – 西田千太郎(八雲の親友・同僚)がモデル
銀二郎が、第64話で牡丹灯籠にちなんだプロポーズでトキに迫るシーンが話題になりましたよね。
西田千太郎は島根県尋常中学校の教頭で、ハーンのよき理解者・友人でした。
八雲が「日本人中第一の友」と評したほど、公私にわたって深い親交があったそうです。
👉関連記事:銀二郎牡丹灯籠プロポーズの真意|ばけばけ64話トキの答えは
ばけばけ各話感想記事一覧|史実と照らし合わせて楽しむ

なおじはこれまで「ばけばけ」の各話感想を多数執筆してきました。
史実を踏まえてドラマを深く味わいたい方は、ぜひ以下の記事もご覧くださいね。
【第90話台の感想記事】
👉**ばけばけ94話感想|トキ熊本行き決断おじじ様の深い愛と家族**
第94話では、トキが熊本行きを決断する感動回でした。
おじじ様の決意、タエの成長、錦織の切ない表情を元教師が分析してます。
👉**ばけばけ92話感想|ヘブンの松江サムイに込められた本音**
ヘブンが書いた「松江サムイ」っていう言葉に込められた本音を読み解いてます。
👉**ばけばけ91話感想|熊本行きと家族の幸せをめぐるトキの揺れ**
熊本行きに揺れるトキと家族の決断を元教師が味わってます。
👉**ばけばけ90話感想~ヘブン決断の理由とおトキの傷跡**
ヘブンが松江を離れる決断をした理由と、おトキの額の傷跡に込められた意味を考察してます。
【第60話台の感想記事】
👉**銀二郎牡丹灯籠プロポーズの真意|ばけばけ64話トキの答えは**
錦織銀二郎が牡丹灯籠にちなんでトキにプロポーズしたシーン。
あの真意と史実のモデルを検証してます。
【初回感想記事】
初回から感じた3つのポイントをまとめてます。
史実を知ってると初回から違って見えるんです。
【キャスト関連記事】
👉**池谷のぶえあさイチ出演でばけばけツル役と舞台の魅力を語る**
花田旅館の女将・ツル役を演じる池谷のぶえさんの魅力をご紹介してます。
なおじのブログでは、今後も「ばけばけ」の感想記事を随時更新していきます。
ブックマークしてお楽しみくださいね。
よくある質問|小泉八雲と妻セツの史実について
Q1. 小泉八雲と妻セツは何年結婚していたんですか?
A. 八雲とセツが同居を始めたのは1890年です。
正式に結婚したのは1896年2月でした。
八雲は1904年に54歳で亡くなりましたので、正式な結婚期間は約8年なんです。
でも同居期間を含めると約14年になります。
Q2. 小泉八雲の代表作『怪談』はいつ出版されたんですか?
A. 『怪談』(Kwaidan)は1904年に出版されました。
八雲が亡くなった年でもあります。
この作品には「耳なし芳一」「雪女」「むじな」などが収録されてます。
Q3. セツは八雲の死後どうなったんですか?
A. セツは八雲の死後も精力的に活動したそうです。
八雲の著作の普及や遺品の保存に努めました。
1932年に64歳で亡くなるまで、八雲の功績を世に伝える活動を続けたんですって。
また、回想録『思ひ出の記』を著して、八雲との生活を後世に伝えてます。
Q4. ばけばけの「熊本行き」は史実とどう違うんですか?
A. 史実でも、セツは八雲と一緒に熊本へ移住してます。
1891年11月、八雲が熊本の第五高等中学校(現在の熊本大学)へ赴任した際、セツも同行したんです。
さらに、養祖父・万右衛門、養父・金十郎、養母・トミも遅れて熊本に合流してます。
ドラマでは、トキが熊本行きを悩む展開ですが、史実のセツは迷わず同行したんだと思います。
Q5. 西田千太郎は本当に英語の教員免許を持っていなかったんですか?
A. はい、英語の教員免許は持っていませんでした。
西田千太郎は1886年に文部省の中等教員検定試験を受験しました。
心理学、倫理学、経済学、教育学の4科目では首席で合格したそうです。
でも、なんと英語は不合格でした。
つまり、英語以外の4科目の教員免許は正式に持っていたんです。
それでも実際には学校で英語も教えていたそうですよ。
現在なら大問題ですが、当時は英語教師不足で、免許がなくても英語を教えることが珍しくなかったんです。
また、帝国大学を卒業していなかったため、正式な校長にはなれず「校長心得(校長代理)」までだったんです。
ドラマで錦織が「帝大を出ていない、英語の免許もない」と告白し、「帝大卒と騙していた」という設定になっていますが、史実の西田千太郎は帝大卒と偽ったことはありません。
これはドラマのオリジナル設定ですね。
史実の西田は、松江中学校を家庭の事情で中退したこと、帝大に進学できなかったことは周囲に知られていました。
それでも独学で猛勉強し、教員資格を取得した努力の人だったんです。
👉関連記事:西田千太郎とは?【ばけばけ】錦織友一のモデルで34歳没
【筆者プロフィール】
なおじ – 元社会科教師(公立小中学校で35年勤務、茨城県)。
日本史、特に明治時代の文化史に詳しいです。
現在は退職後の第二の人生として、ドラマ・政治・歴史・スポーツ・旅・学び・書評の8つのブログを運営しています。
ドラマ記事では、登場人物の心の揺れを感受し、背景で奥行きを出すスタイルを心がけています。
朝ドラ『ばけばけ』を妻と毎日楽しみに視聴中。
家族の絆と教育をテーマに、元教師の視点で感想を綴っています。