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小泉八雲家族熊本移住の真相|セツの家族は本当に残ったのか元教師が語る

こんにちは、なおじです。

朝ドラ『ばけばけ』で、トキとヘブンが熊本に向かう展開になりましたね。

でも、小泉八雲の家族は本当に松江に残ったのでしょうか。

史実を調べてみると、ドラマとは違う事実が見えてきました。

養父母は熊本に同行し(後からですが)、実母と弟は松江に残留。

35年間教壇に立ったなおじとして、明治時代の家族のあり方について考えずにはいられませんでした。

トキ 熊本移住 真相 

【この記事でわかること】

  • 小泉八雲とセツの熊本移住の経緯
  • 養父母(稲垣家)は熊本に同行した史実
  • 実母・弟は松江に残り仕送りで生活した事実
  • ドラマ『ばけばけ』と史実の違い
  • 明治時代の家族観と移住の実態
目次

小泉八雲とセツが熊本に移住した理由

松江から熊本への転職理由

1891年(明治24年)11月、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とセツは松江を去り、熊本第五高等中学校(現在の熊本大学)に赴任しました。

松江での生活は、八雲にとって日本文化を深く知る貴重な時間だったはずです。

では、なぜ八雲は松江を去ったのでしょうか。

史実では、主に待遇面の問題があったようです。

松江の島根県尋常中学校での給料は月給100円でしたが、熊本第五高等中学校からは月給150円の好条件を提示されました。

また、松江では英語教師としての立場が不安定で、契約更新に不安があったとも言われています。

熊本の方が教育環境が整っており、扶養家族が多い八雲にとって魅力的だったんです。

ドラマのような「差別から逃れるため」という動機は、史実では確認できまないんです…。

むしろ、キャリアアップと経済的安定を求めての転職だったようです。

👉関連記事:ばけばけ94話感想|トキ熊本行き決断おじじ様の深い愛と家族

熊本での生活はうまくいかなかった

でも、熊本での生活は八雲の期待通りにはいきませんでした。

熊本は夏は蒸し暑く、八雲の体調を悪化させます。

また、第五高等中学校の教育方針が八雲の考えと合わず、職場での人間関係にも悩んだようです。

学生たちは優秀でしたが、八雲が理想とする自由な教育ができなかったんですね。

結局、八雲は熊本にわずか3年しか滞在せず、1894年には神戸に移住しました。

松江では1年3ヶ月、熊本では3年。

八雲が本当に落ち着いて暮らせたのは、神戸の後の東京時代だったと言われています。

八雲の人生は、常に「理想の居場所」を求める旅だったのかもしれませんね。

👉関連記事:ばけばけ94話感想|トキ熊本行き決断おじじ様の深い愛と家族

セツの決断と家族への配慮

ところで、セツにとって熊本移住は大きな決断だったはずです。

松江には実母・小泉チエと弟・小泉藤三郎が残ります。

でも史実では、養父母の稲垣金十郎・トミ夫妻は、セツと一緒に熊本に行くことを決めたんです。

家族の絆と、セツへの深い愛情があったからこそ、養父母は慣れ親しんだ松江を離れる決断をしたのでしょう。

👉関連記事:ばけばけ93話トキの心が動く|サワの言葉と決断の兆し

養父母は熊本に同行した史実

稲垣家の家族構成

セツの養父母は、稲垣金十郎(養父)とトミ(養母)。

そして、ドラマとは違い、養祖父の稲垣万右衛門と養祖母のタツも同居していました。

ドラマを見ている方は、おじじ様とタツが再婚なのか、もともとの夫婦なのか気になりますよね。

史実を調べましたが、万右衛門とタツの婚姻が初婚か再婚かについては、明確な記録が見つかりませんでした。

ドラマでは再婚という設定ですが、史実では詳細が不明なんです。

なにはともあれ、この4人が1891年11月にセツと八雲に一足遅れて熊本に移住しました。

ドラマ『ばけばけ』では、おじじ様(万右衛門)が「わしらは松江に残る」と言いましたが、史実では違うんですよね。

養父母・養祖父母は、セツの新しい生活を支えるために熊本に同行していたんです。

なぜ養父母は熊本に行ったのか

なぜ養父母たちは、慣れ親しんだ松江を離れて熊本に行ったのでしょうか。

ドラマ『ばけばけ』では、おじじ様が「ペリーから金をもらっちょる。それがまた明るみに出れば、また同じような騒ぎになる」と言って、松江に残る決断をしましたよね。

でも史実では、養父母・養祖父母の4人は熊本に同行しているんです。

これはなぜなのでしょうか。

史実ではラシャメン騒動はなかった

実は、史実では、「ラシャメン騒動」のような大きな差別騒動があったという記録は見つかっていないんです。

松江の人々は、ドラマで描かれたような意地悪ではなかったんですよ。

小泉八雲とセツの結婚は、松江の人々に受け入れられていたようです。

ドラマでおじじ様が「ペリーから金をもらっちょる」と言ったペリーとは、もちろんヘブン(小泉八雲)のこと。

おじじ様たちは八雲の庇護下にありましたから、生活の援助を受けていたでしょう。

でも史実では、それが問題視されたという記録は見つかっていません。

つまり、ドラマのような「家族が同行すると差別される」という懸念は、史実にはなかった可能性が高いんです。

だから、養父母・養祖父母は安心して熊本に同行できたのでしょう。

当然、故郷を捨てなければならないという葛藤はあったでしょうが…。

家族で支えた新生活

セツと八雲の新婚生活を支えるため、家族は一緒に熊本に向かいました。

八雲は英語教師として熊本で働き始めましたが、日本の生活習慣にまだ不慣れでした。

セツも、異国の夫との生活に不安があったでしょう。

養父母・養祖父母が一緒にいることで、セツは安心して夫を支えることができたんです。

35年間教育現場にいたなおじとして、家族のサポートがいかに大切かを感じます。

👉関連記事:ばけばけ92話感想|ヘブンの松江サムイに込められた本音

熊本での養父母の役割

熊本でも、養父母・養祖父母はセツと八雲の生活を支え続けました。

稲垣万右衛門(養祖父)は、八雲に日本の文化や習慣を教える役割を果たしたと言われています。

養母のトミと養祖母のタツは、家事や育児をサポートしました。

セツと八雲の間には、4人の子どもが生まれましたが、養父母・養祖父母の存在が家族を支えていたんです。

ドラマでは、おじじ様が「お嬢のためにならん」と松江に残る決断をしましたが、史実では家族全員で熊本に行き、セツを支え続けたんですね。

👉関連記事:ばけばけ松江県庁ロケ地は京都府庁旧本館|茨城県庁との比較

実母・弟は松江に残った史実

小泉チエ(実母)の選択

セツの実母・小泉チエは、松江に残ることを選びました。

チエは、セツが稲垣家の養女となった後も、松江で生活しています。

セツからの仕送りを受けながら、静かに暮らしていたそうです。

そして1912年(明治45年)、チエは松江で亡くなっています。

実母が松江に残った理由は、おそらく慣れ親しんだ土地を離れたくなかったからでしょう。

小泉藤三郎(弟)の運命

セツの弟・小泉藤三郎も、松江に残りました。

藤三郎は、セツからの仕送りで生活していましたが、鳥飼育に熱中するばかりで、家計を支える意識はなかったそうです。

小泉八雲は、藤三郎が先祖の墓石を売り払ったことに激怒し、「日本人でない日本人は私の親類でありません」と叱責したというエピソードが残っています。

このエピソード、気がかりですねえ。

ドラマ『ばけばけ』の三之丞(板垣李光人さん)は、一生懸命働いて借金を返そうとしていましたが、史実の藤三郎は違ったようです。

👉関連記事:板垣李光人は一人っ子|3人家族で育った演技力の秘密

藤三郎の晩年

藤三郎は、1916年(大正5年)に45歳で孤独死します。

空き家で亡くなっていたそうです。

セツは弟のために仕送りを続けていましたが、藤三郎は自立することができなかったんですね。

なおじの教師時代、自立できない生徒を何人か見てきました。

家族の愛情と、本人の意志。

両方が揃わないと、人は自立できないんだなと、改めて感じます。

ドラマ『ばけばけ』と史実の違い

おじじ様が松江に残る展開

ドラマ『ばけばけ』94話では、おじじ様(稲垣万右衛門)が「わしらは松江に残る」と決断しました。

でも史実では、養父母は熊本に同行しているんです。

これは、ドラマオリジナルの展開になるのかも…。

おそらく、トキの自立を描くために、あえて家族と離れる設定にしたのでしょう。

ドラマとしては、感動的な展開でしたよね。

タエと三之丞の描かれ方

ドラマでは、タエ(実母)と三之丞(弟)が家事や仕事に奮闘する姿も描かれています。

でも史実では、実母・小泉チエと弟・小泉藤三郎は、セツからの仕送りで生活していました。

特に藤三郎は、自立する意識が薄かったようです。

ドラマの三之丞は、トキに借金を返そうと一生懸命働いていましたが、史実とは違うんですよね。残念!

ドラマでは、三之丞をポジティブに描いているのかもしれません。

👉関連記事:明治時代の男性と恋愛 沈黙に隠された本音と家父長制を解説

史実を踏まえた今後の展開予想

ドラマでは、おじじ様が松江に残る展開になっていますが、史実通りなら後から熊本に行く可能性もあります。

また、タエと三之丞は、史実通り松江に残るのかもしれません。

ドラマの今後の展開が気になりますよね。

史実を知っていると、ドラマの楽しみ方も変わってきます。

明治時代の家族観と移住の実態

明治時代の家族のあり方

明治時代、家族は「家」単位で考えられていました。

家父長制のもと、父親や祖父が家族の中心でした。

でも、小泉八雲とセツの家族は、少し違っていたんです。

八雲は外国人で、日本の「家」の概念に縛られていなかったようです。

だから、養父母が一緒に熊本に行くという選択ができたのかもしれません。

35年間社会科を教えてきたなおじとして、明治時代の家族観は複雑だったと感じます。

移住と家族の絆

明治時代、職を求めて他県に移住する人は、すでに珍しくなかったのかもしれません。

でも、家族全員で移住するケースは少なかったと思います。

多くの場合、男性が単身赴任し、家族(家)は故郷に残りました。

小泉八雲の場合、養父母が一緒に熊本に行ったのは、異例だったでしょう。

これは、セツと八雲の特別な絆、そして養父母の深い愛情があったからでしょう。

現代に通じる家族の形

小泉八雲とセツの家族の形は、現代にも通じるものがありますよね。

家族のサポート、自立、そして絆。

これらは、時代を超えて大切なものなんですよね。

ドラマ『ばけばけ』を見ながら、家族のあり方について考えるのも、楽しみ方の一つだと思いました。

小泉八雲家族熊本移住に関するQ&A

Q1:小泉八雲の家族は全員熊本に行ったの?

A:いいえ、養父母(稲垣金十郎・トミ・万右衛門)は熊本に同行しましたが、実母(小泉チエ)と弟(小泉藤三郎)は松江に残りました。

セツは、松江に残った家族に仕送りを続けていたそうです。

Q2:ドラマ『ばけばけ』と史実の違いは?

A:ドラマでは、おじじ様(稲垣万右衛門)が「松江に残る」と決断しましたが、史実では養父母は熊本に同行しています。

これは、ドラマオリジナルの展開のようですね。

Q3:小泉藤三郎(弟)はどうなったの?

A:小泉藤三郎は、松江に残り、セツからの仕送りで生活していました。

でも、鳥飼育に熱中するばかりで自立できず、1916年に45歳で孤独死しました。

史実では、ドラマの三之丞とは違う運命をたどったようです。

Q4:なぜ養父母は熊本に同行したの?

A:セツと八雲の新婚生活を支えるためだったと考えられます。

八雲は外国人で日本の生活習慣に不慣れでしたし、セツも不安があったでしょう。

養父母が一緒にいることで、安心して新しい生活を始められたんです。

Q5:小泉八雲は熊本でどんな生活をしていたの?

A:熊本第五高等中学校(現在の熊本大学)で英語教師として働いていました。

でも、熊本の気候や職場環境に馴染めず、1894年には神戸に移住しました。

熊本での生活は、わずか3年ほどだったんです。

【小泉八雲家族の移住経緯まとめ表】

家族松江→熊本備考
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)⭕ 同行1891年11月、熊本第五高等中学校に赴任
小泉セツ(妻)⭕ 同行夫とともに熊本へ
稲垣万右衛門(養祖父)⭕ 同行1891年11月、追って熊本に移住
稲垣金十郎(養父)⭕ 同行1891年11月、追って熊本に移住
稲垣トミ(養母)⭕ 同行1891年11月、追って熊本に移住
小泉チエ(実母)❌ 松江残留セツからの仕送りで生活、1912年死去
小泉藤三郎(弟)❌ 松江残留セツからの仕送りで生活、1916年孤独死

【筆者紹介|なおじ】

元社会科教師として35年間、小学校・中学校で子どもたちと向き合ってきました。

11年間は校長として学校運営にも携わりました。

現在は退職後の第二の人生として、ドラマ政治歴史スポーツ学び書評の8つのブログを運営しています。

ドラマ記事では、登場人物の心の揺れを感受し、背景で奥行きを出すスタイルを心がけています。

歴史記事では、史実と創作を丁寧に区別し、読者が正確な情報にアクセスできることを重視しています。

朝ドラ『ばけばけ』を妻と毎日楽しみに視聴中。

史実との違いを検証しながら、明治時代の家族のあり方について考えています。

小泉八雲熊本移住

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