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確執は本当か:笠置シズ子のブギの時代から、ひばりの哀愁の時代へ

時代は笠置シズ子のブギからひばりの哀愁の時代へ。戦後の混乱期を経て日本は連合国の占領から解放。シヅ子も新たなスタートを切り心弾ませていました。しかし、この新たな時代は笠置にとって苦難の始まりでもあったのです。美空ひばりの成功により、ブギの女王から日本的哀愁の時代への回帰が始まりました。福島通人や旗一兵の影響でひばりの時代は確立されましたが、ひばりの成功は、笠置の衰退の始まりでもあります。笠置とひばり、音楽史に深く刻まれた二人の歌の足跡と、確執の真相を追いましょう。

目次

1. 新たな苦難のはじまり

1951年、サンフランシスコ平和条約の調印がなされ、日本は連合国の占領から解放されました。
ブギウギでも、スズ子が新たなスタートに心弾ませ歌い踊る姿が描かれています。

ですがこのスタートは、笠置シヅ子にとって、新たな苦難の時代への幕開けでもあったのです。

2. 笠置シズ子とブギの時代の終焉

笠置シズ子が歌うブギウギは、まるで戦後の自由な解放の歓喜を歌っているようでした。しかし、この時代の移り変わりの浸透とともに、笠置の歌は次第に時代と逆行していくのでした。

この笠置の衰退の仕掛け人こそ、美空ひばりのマネージャー「福島通人」と、芸能ジャーナリストの旗一兵でした。

2.1福島通人とはどんな人か

福島通人は、美空ひばりのマネージャーです。
美空ひばりの成功は、彼なくしてはあり得なかったでしょう。福島はマネージャーとして、ひばりのキャリアを築く一方で、そのやり方に議論を呈する人が少なからずいます。

彼は常に商業的な成功を追求し、時には芸術性を犠牲にすることでアーティストをメディアに押し上げる人物と評価されます。

福島は「美空ひばり」のブランドを確立することに成功しましたが、同時に笠置シズ子などの先達から受け継いだブギウギのようなスイングジャズのエッセンスを薄め、当時の歌謡界(芸能界)にも変化をもたらしました。

美空ひばりは、福島通人のもとで歌手としての成功を収めましたが、同時にその成功はブギウギや戦後の自由な雰囲気から一線を画すものとなりました。福島通人が牽引したひばりの時代は、哀愁漂うメロディと切ない歌詞が特徴であり、それは笠置シズ子のブギウギとは対照的な方向へ進んでいくこととなったのです。

2.2 旗一兵とは、どんな人か

福島通人が美空ひばりの成功に影響を与える一方で、もう一人、舞台裏で影響を齎したのが芸能ジャーナリストの旗一兵でした。彼は福島と共に、時折批判の矢面に立つことも厭わない興味深い人物で、その人柄はまさに芸能ジャーナリストの中でも一風変わった存在でした。

旗一兵は、ペンを武器にして芸能界に切り込むことで知られ、彼の記事はしばしば社会に響く波紋を巻き起こしました。彼の特異な視点とウィットに富んだ表現は、一部の人々から絶大な支持を得る一方で、他の人たちからは「痛烈すぎる」「辛辣すぎる」との批判も受けました。

旗一兵は、美空ひばりが成功する過程で、彼女のプライベートな一面や裏側にスポットライトを当てました。福島通人が築いた「美空ひばり」のイメージとは裏腹に、旗一兵の記事は時折、アーティストの複雑な人間関係や音楽業界の裏事情を赤裸々に描き出しました。

旗一兵の存在は、美空ひばりの成功裏に隠されたドラマに一石を投じました。彼の鋭い観察眼と独自の取材スタイルは、時には笑いを誘い、時には涙を誘うものでした。彼の記事は読者を引き込み、芸能界の舞台裏に興味津々な視線を送らせました。

時に敵対的でありながらも、旗一兵の存在は美空ひばりのキャリアに影響を与え、その時代の音楽シーンに新たな視点をもたらしました。彼が織りなす言葉の数々は、ブギウギから哀愁の時代へと変わる中で、音楽ファンたちに新たな刺激をもたらしたのです。

3. ブギの女王笠置の時代から、ひばりの哀愁の時代へ

時代の荒波に身を投じながらも、笠置シヅ子はブギウギの女王としての名声を手に入れました。サンフランシスコ平和条約の調印が行われ、日本は占領から解放されたその時、笠置の歌声は自由の歓喜を告げるかのようでした。しかし、この新たな時代の幕開けは笠置にとって苦難の始まりでもあったのです。

戦後、笠置の歌うブギウギは戦争の傷跡を癒すような、自由と解放の歌として受け入れられていました。しかし、新たな自由な時代の幕開けとともに、新たなスター、美空ひばりが登場します。
そして、ひばりの存在は笠置の影を薄くしていきます。彼女はこのころまだ少女で、その歌声には笠置が歌ってきたブギウギとは異なる、哀愁と深みが漂っていたのです。自由の時代だからこそ、「日本的な哀愁ある歌声にひかれる」。
これは、日本人のもつ特性なのかも知れません。

3.1大ブギ笠置シヅ子と小ブギ美空ひばり

美空ひばりは天才でした。
少女にもかかわらず見事にブギのリズムも歌うことができたのです。人々は、笠置を「大ブギ」、そしてひばりを「小ブギ」と形容しました。

笠置が「大ブギ」、ひばりが「小ブギ」。この形容は、このときはまだ無名だった美空ひばりを一躍スターダムにのし上げました。

美空ひばりを売り出すために「笠置シヅ子」を引き立て役として位置づける、福島や旗一兵の画策の一環です。

福島通人と旗一兵の画策により、ひばりの成功は確かに芸能界に新しい風を吹き込みました。一方で、笠置の歌が持っていた自由奔放なスウィング感や陽気なムードは、時代の変遷と共に一部の人々から遠ざけられることとなります。

美空ひばりの時代は、笠置の歌とは対照的な、哀愁漂うメロディーと切ない歌詞が特徴的でした。そして、笠置のような陽気なブギのリズムも歌えるのです。
ひばりの音楽は聴く者の心に深く沁み、時代の厳しさや喜びを共有するものでした。笠置自身は時代の変遷と、ひばりの実力に対して、戸惑いとともに受け入れる覚悟を持っていたように思います。

美空ひばりのスタートが、笠置を真似た「小ブギ」であったがゆえに、「深い感傷と哀愁」を感じざるを得ません。ひばりの実力が本物であることが、その「感傷と哀愁」を深めます。
笠置は、「大ブギ」としての軽やかなリズムと自由な歌唱で、戦後の苦悩から解放された時代を象徴し、当初「小ブギ」と呼ばれ、哀愁を帯びた歌も歌える将来の大歌手美空ひばりを引き立てたのです。

ブギの女王笠置シヅ子の時代から、ひばりの哀愁の時代への変遷は、音楽の進化とともに、時代全体の変革をも物語っていました。美空ひばりとの対比を通じて、笠置の歌が持っていた時代の喜びや躍動感がより一層際立って感じられます。
戦後の自由な雰囲気が定着してくると、日本人は哀愁を求めます。そして、その日本人の回帰心理が美空ひばりを大きく育てました。
そして二人の変遷は、音楽史に深く刻まれていくのでした。

4.笠置のひばりいじめは、本当だったのか

美空ひばりの芸能界デビュー当初、「ひばりは、笠置シヅ子にいじめられている」と報じられたことがありました。
このニュースの背後には母親である加藤喜美枝の影響が見受けられます。

令和の最近になり、「笠置のいじめ報道」は実はひばりの母の喜美枝が、ひばりをスターに仕立て上げるために、わざと笠置との確執を煽っていたのだという説が出てきています。

ひばり自身は、笠置を尊敬していたことが分かっています。ですが、ひばりの母は、このままではひばりがいつまでも笠置の二番煎じの地位に留まってしまうと思ったのかも知れません。
笠置の影響を排除すべく策略を巡らせた、としても不思議ではありません

笠置がひばりに対して「ヘイヘイブギー」の歌唱を禁じるよう指示したエピソードなど、「笠置がひばりに対して厳しい態度をとっている」といううわさは抗して広まったのかもしれません。

これらのエピソードの真相は、わかりません。
ですが「喜美枝が笠置を敵視し、ひばりの成功の邪魔者になるものは排除する」と考えたことから、でっち上げられたエピソードだとする説は根強いようです。

喜美枝が笠置に対して否定的な言動や行動をとる一方で、ひばりは笠置の影響を受け、笠置のモノマネをしていました。

また、「笠置とひばりの確執」を示したひばりの直筆とされた「ひばりの評伝」は、実は竹中労が美空ひばりの母親加藤喜美枝の言葉をもとに書いていたことが分かっています。つまり「笠置とひばりの確執」の部分は、喜美枝の言葉を鵜呑みにしていた代筆者竹中の文章です。喜美枝の主観的な発言をそのまま取り入れ、竹中は笠置に対する偏見を強調していました。このことが後に問題視され、竹中は反省の意を示す出版物を発表するなど、文中においても複雑な背景が浮かび上がります。

このようにして、喜美枝の意向や言動が美空ひばりと笠置シヅ子の確執に影響を与え、芸能界での対立が生まれた経緯が浮かび上がります。

しかし、時代は、ブギの女王笠置シヅ子の時代から、何でも歌えて、日本的な情緒も表現できる美空ひばりの時代へと確実に移っていったのでした。

5まとめ:確執は本当か:笠置シズ子のブギの時代から、ひばりの哀愁の時代へ

ここまで、ブギの女王・笠置シヅ子から美空ひばりへの音楽史の移り変わりと二人の確執を追ってきました。時代の激動とともに、音楽は新たな方向へと進んでいきました。笠置のブギが戦後の自由と解放を歌い、その歌声が日本中に広がった瞬間から、美空ひばりの登場によって哀愁の時代へと舞台は変わりました。

美空ひばりの成功により、音楽は深い感傷と哀愁を抱えるようになりました。福島通人と旗一兵の手によって築かれたひばりの時代は、美しくも切ないメロディーと歌詞が特徴であり、それは笠置のブギウギとは一線を画すものでした。時には笑い、時には涙を誘うひばりの歌声は、時代全体の喜びや悲しみを映し出す鏡となりました。

そして、笠置とひばりの時代を比較することで、それぞれの歌が時代の変遷とともに刻んできた足跡が浮かび上がります。笠置のブギは戦後の解放と活気を象徴し、一方でひばりの歌は哀愁漂うメロディーで時代の中で深化していきました。

美空ひばりと笠置シヅ子、それぞれが異なる時代の象徴として輝き、その音楽は日本の歴史に深く刻まれています。
二人の間には、「確執」がうわさされ、「笠置のひばりいじめ」が今でも、現実にあったこととされています。
ですが、どうやらこれはじじつではないようです。ひばりが「笠置が自分をいじめていた」と書いたとされる自伝は、実は彼女の自筆ではありませんでした。
彼女自身は、笠置を尊敬し手板と言います。
二人の確執のうわさの世間への広まりは、ひばりの母の存在が大きかったようです。

ブギの女王からひばりの哀愁の時代への変遷は、音楽の進化とともに、時代全体の変革を物語るものとなりました。これからも音楽の歴史は続いていきますが、私たちは過去の偉大なアーティストたちから学び、感動し、新たな時代へと歩んでいくことでしょう。それでは、この音楽の旅が読者の心に響いたならば幸いです。

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