最古の神社の建築物はどこにあるのか
現存する、日本最古の神社建築物は、宇治上神社(うじがみじんじゃ)。
宇治上神社は、平等院鳳凰堂の脇を流れる宇治川のそばに建つ宇治神社の、さらに奥にある。
宇治上神社は、残念なことに「古都京都の文化財」の中で『最も知られていない世界文化遺産に登録されている文化財』という、ちょっと悲しい評価がされている。
京都好きの方でもほぼ訪れたことがないだろうと思われるが、「日本最古の神社建築」が評価され世界文化遺産に登録されている。
『一度は訪れたい神社20選』という本があるとすれば、宇治上神社はぜひそこに入れたい神社だ。
日本最古の寺は、小学校や中学校の教科書にも出てくる法隆寺。
法隆寺は、推古天皇の15年(607年)に創建されたと考えられている。
対して、宇治上神社は建築物に遣われている木材を分析すると、おそらく1060年ごろの創建だろうと見られている。
つまり、法隆寺よりも400年以上も新しい。
ところで、平等院鳳凰堂の創建は天喜元年(てんぎ・1053年)の創建なので、おそらく、平等院鳳凰堂と宇治上神社は何らかの関係があっただろうと想像できるが、詳しくは現時点では不明。
最古の神社建築が、11世紀の宇治上神社なのはなぜか
927年に編纂が完了した延喜式神名帳の前から神社はあったはずなのに、なぜ最古の神社建築物が11世紀の宇治上神社なのだろうか。
それは、そもそも「神社」というものを、建物と想像すること自体が違っているから。
古代の神社は建物ではなく、「岩」とか、「山」とか、「場所」そのものであっただろう。
「神域」そのものを祀る風習が先にあり、11世紀の宇治上神社のころから、「神域」近くに社を建てて祀る風習が芽生えてきた。
そう考えることも出来る。
延喜式神名帳に祭神名も記載されている例
延喜式神名帳には、ほとんどの場合祭神名が記されていない。
だが、少数だが祭神名まで記載されている場合もある。
「伊勢太神宮(いせのおおかみのみや)」がその例の一つ。
つまり、伊勢神宮の神は明記されている。
伊勢神宮の神は3座(「座」は「柱」とともに神様を数えるときに用いる)。
第1座は、「アマテラスオオミカミ」
伊勢神宮の次に「荒祭宮」として、内宮の別宮の名が見える。
ここに「大神荒魂(おおかみのあらみたま)」と記されている。
「大神荒魂」とは、どのような神か。
アマテラスの荒魂を別に祀ったということなのか。
さらに「伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)」には2座。
「イザナキノミコト(伊弉諾尊)」1座と、「イザナミノミコト(伊弉冉尊)1座と書かれている。
伊勢神宮は、少なくとも延喜式の段階で、祭神がアマテラスであったことが分かる数少ない例だ。
アマテラスは、本当に女神か、男神ではなかったのか
我々は、常識として「アマテラスは女神である」と思っている。
ところが、歴史を見ると平安時代以降、「アマテラスは男神ではないのか」という点が議論の対象となることがままある。
「古事記」や「日本書紀」にも、思い込みを捨てて読むと、「アマテラスが明確に女神」であると読める部分は無い。
ただし、一か所だけアマテラスが女神であることが想像できる部分がある。
それは、「古事記」でアマテラスが、弟のスサノオを、
「我が那勢(なせ)」
と呼ぶ部分だ。
「那勢」とは、女性が夫や弟など親しい人物を呼ぶときの呼称。
アマテラスが、弟のスサノオを「那勢」と呼んでいるので、アマテラスは女性と想像できる。
万世一系の天皇家
もし、アマテラスが女性神であるなら男系継承である天皇家の始まりは女性ということになるのでは、と考える人もいる。
これを避けるために、
「アマテラスは本当は男性神」だった、とか
「神代の時代に性別は無かった」などの説が登場する。
そもそも神道における神は、姿形をもたない。
人々にわかりやすく伝えるために、人格化させているが、この意味で、本来神に男も女も無い。
神を偶像化して神像をつくるようになるのは、平安時代の8世紀から9世紀にかけて。
さらに、神をはっきりとした姿で描くようになるのは、ぐっと時代を下り江戸時代以降のことだ。
江戸時代以降に、浮世絵などで人格化した姿の神を多く描くようになる。
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