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意外と知らない日本の神社の謎と、太古の神々

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「古事記」と違う「日本書紀」

「日本書紀」には、オオクニヌシの国譲りの記述が抜け落ちている。

オオクニヌシは出雲国を支配する神として描かれているだけで、国譲りの話は載っていない。
これはどうしたこだろうか。

全国に現存する風土記が5つある。
「常陸国風土記」「播磨国風土記」「豊後国風土記」「肥前国風土記」
そして、「出雲国風土記」だ。

5つのうち、「出雲国風土記」のみ完全な形で現存している。
この「出雲国風土記」にも、古事記にのる「出雲神話、国譲り神話」は載っていない。

「日本書紀」は正史、「古事記」は、天皇家の私的文書

「日本書紀」は、漢文で書かれている。
これは、どういう意味を持つかというと、中国や朝鮮の人々も読めるということだ。

つまり、「日本書紀」は、大和の人々だけで無く外国の人にも示す「正史」という扱いだっただろう。

それに対して「古事記」は、正式な漢文で書かれていない。
つまり、大和の人しか読めない。

天皇家にかかわる人々が読むことを前提とした、私的文書という扱いだっただろう。

だから、「古事記」には、世紀の歴史だけで無く、天皇家の祖先の偉業がわかりやすく書かれていた。

正史である「日本書紀」には、ちょっと書けない『出雲族を制圧し、支配に至る逸話』も内々に書かれていた。
そう見ることも出来る。

大和族による出雲族の制圧が、実際に起こったという証拠はあるか

20世紀の後半、出雲では大発見が続いた。

荒神谷遺跡(ウィキペディア)

昭和58年(1983年)荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)が発見された。
遺跡からは、銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6個などが出土している。

さらに平成8年(1996年)には、加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)が発見されている。
この遺跡からは、39個の銅鐸が発掘された。

加茂岩倉遺跡(ウィキペディア)

これまで銅剣や銅矛は、日本各地で発見されてきてはいる。
だが、これだけ大量に発見されたのは初めてだった。

この発見で、古代出雲に力をもった文明が栄えていたことが明らかになった。

出雲大社

現在の出雲大社は、本殿の高さが24メートル、大屋根の面積は180坪ある。
現在の本殿は、延享元年(1744年)の江戸時代の中頃に再建されて建物。
日本の神社建築で、最大規模を誇っている。

だが、社伝によると古代の本殿の高さは、今の約4倍の96メートルあったとされる。
その後、今の2倍の48メートルとなり、現在の高さに落ち着いたという。

この言い伝えが本当だったとすると、古代の出雲族の力は相当なモノだったろうと想像できる。

出雲大社を守る出雲大社の国造家と、オオクニヌシとの関係

出雲大社の本殿は、他の神社の本殿と違った創りになっている。

普通だと、神社の本殿には、御神体、例えば「鏡」などが納められている。
だが、出雲大社の本殿には、御神体では無く「神座」が設けられているだけ。

出雲大社の本殿は、御神体を納める場所では無いのだ。
では、どのような場所かというと、祭祀を行うための広間、空間。

「では、御神体は?」
という疑問がわく。

祭りの際、本殿に集まった神職たちは、出雲大社の宮司である出雲国造(いずもこくそう)に向かって拝礼をする。
つまり出雲国造は、人でありながら「生き神」として拝礼の対象になっているのだ。

他の神社では、宮司は祭祀を行う側だが、出雲大社の宮司は、祭祀を受ける側なのだ。

出雲国造家は、氏名を千家(せんげ)と言う。

出雲国造、千家の先祖神

出雲国造は、出雲大社の宮司であるだけではなく、出雲国の支配者でもあった。
しかし、いつしか政治的側面を失いはしたが、「生き神」として出雲大社の宮司であり続けている。

ところで、出雲大社の祭神はオオクニヌシだが、出雲の国造家の祖神がオオクニヌシなのだろうか。
実は、違うのだ。

「古事記」によると、出雲国造の祖は、
アマテラスとスサノオの誓約でスサノオが産んだとされる、アメノホヒ(天菩比命)
そのアメノホヒの子の、タケヒラトリ(健比良鳥命)が先祖神とされている。

つまり、

出雲大社宮司家の先祖神は、オオクニヌシではない。

出雲大社は、「オオクニヌシ」を祀る神社だが、
実際の祭祀で、拝礼を受けるのは「タケヒラトリ」の子孫である「生き神」としての出雲国造家の宮司。

なぜ、こうなっているのか。
いつ頃から、こうなったのか、
なぞだ。

ヤマト王権による出雲征服

古代、出雲国造の就任式の時には、ヤマト王権による任命のための儀式を行っていた。
出雲国造となる者が、都まで出向いて来て、ヤマト王権に服従を誓う。

天皇を言祝ぎ、出雲国造は「出雲国造神賀詞(かむよごと)」を奏上する。

このように国造が天皇に服従を誓う儀式は、出雲の国造以外は行わない。
この事実からすると、出雲がかつて大和に敗れた証のようにも思える。

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