歴史雑感– category –
- ブギウギ
笠置シヅ子の付き人『小林小夜』のモデルはだれ?:茂木さんという女性?
福来スズ子の元に、東北弁(のような)田舎娘の小林小夜(さよ)さんが押しかける。ポンコツキャラクターだが、ポンコツながらにスズ子を支える付き人。この愛すべき小夜ちゃんの実在のモデルは、誰なのだろうか。 - ブギウギ
笠置シヅ子の二人の先生とは誰?:ブギの女王と女エノケンと呼ばれた?
笠置シヅ子の芸能界での輝かしいキャリアの裏には、二人の名伯楽(人を見抜く力のある人物)の力が存在していました。一人は音楽の名手「服部良一」。もう一人は喜劇の巨星「榎本健一(通称エノケン)」です。本記事では、これらの二人が笠置に与えた影響と、彼女がなぜ「ブギの女王」と同時に「女エノケン」と呼ばれるようになったのかを探ります。 - ブギウギ
確執は本当か:笠置シズ子のブギの時代から、ひばりの哀愁の時代へ
時代は笠置シズ子のブギからひばりの哀愁の時代へ。戦後の混乱期を経て日本は連合国の占領から解放。シヅ子も新たなスタートを切り心弾ませていました。しかし、この新たな時代は笠置にとって苦難の始まりでもあったのです。美空ひばりの成功により、ブギの女王から日本的哀愁の時代への回帰が始まりました。福島通人や旗一兵の影響でひばりの時代は確立されましたが、ひばりの成功は、笠置の衰退の始まりでもあります。笠置とひばり、音楽史に深く刻まれた二人の歌の足跡と、確執の真相を追いましょう。 - ブギウギ
『ブギウギ』五木ひろきマネジャーのモデルは、2人いる
1941年、「笠置シズ子(この時は、シズ子)とその楽団」を結成。だが、わずか3年数か月の1944年に、楽団のマネジャー中島信が笠置に無断で楽団を他の興行師へ転売してしまう。その結果「笠置シズ子とその楽団」は解散し、笠置は場当たり的な興行生活を余儀... - ブギウギ
スズ子は梅吉と本当の親子になれた:史実の笠置は、音吉の墓もつくる
「わては寂しい。飲んべえで働きもせんと、情けのうてだらしない、何の役にもたたへんお父ちゃんやけど、寂しい。」というすず子。それに対して、梅吉は、「決まってるやろ。親子やからや。当たり前やないか」と返す。二人のわだかまりは解け、『ホンマモンの親子』になれた。こうして梅吉は、郷里香川に帰っていった。この先二人は、別々の人生を歩んでいくのだろうか。史実を元に推察する。 - ブギウギ
ブギウギ福来スズ子の弟、花田六郎の実在のモデルは誰:キャストは誰
ブギウギ花田梅吉とツヤの実在のモデル、亀井音吉とうめとの間には、実の子が3人。そして、もらい子の静子を合わせると、合計4人の子がいた。だが、長男頼一は生後間もなく亡くなってしまう。また、次男の正雄も3歳で亡くなっている。亀井家の子どもは、実質三男の八郎と静子の二人姉弟だった。音吉とうめにとっての実子は八郎だけ。このブログでは、ブギウギの六郎とそのモデル八郎の謎にせまる。 - ブギウギ
『大空と弟』ブギウギの歌詞は、楽譜をできるだけ忠実に再現
ブギウギで趣里さんが歌った『大空と弟』に、絶賛の嵐。この曲は、存在は明らかだったが、楽譜も無く、音源を記録したものも一切残っていない「幻の曲」として知られていた。だが、2019年に、ひょんなことから「楽譜」が見つかる。今回ブギウギの中で趣里さんが歌った曲は、その楽譜に沿いできるだけ忠実に再現したものだという。そして、劇中で趣里さんが歌うことで、新たな息吹をもってこの曲はよみがえった。このブログでは、「大空の弟」にまつわるエピソードを探る。 - 歴史雑感
藤原鎌足の生誕地:藤原氏一氏独裁の基を築いた鎌足の故郷は、常陸鹿島
藤原鎌足の生誕地について大きく二説がある。一つは、大和国高市郡大原説。もう一つは、常陸国鹿島説。有力説は大和出身説だが、古来より鹿島説も根強い。鹿島は、鉄の産地でもあり、武力に優れるもののふの地でもある。この記事では、鹿島を鎌足生誕の地とする根拠を解き明かす。 - 江戸時代・徳川
徳川家光(竹千代)ってどんな人:【三代将軍、家光の評価】
「生まれながらの将軍」家光は、幕藩体制の基礎を築いた将軍として知られる。この3代将軍家光を評価し、通信簿を付けるとするとどうなるだろうか。 - 江戸時代・徳川
徳川秀忠てどんな人、【二代将軍秀忠の評価】
徳川秀忠の業績を探る、日本史の旅に出かけましょう。将軍として権力を握り、武士の時代に多大な影響を与えた彼の名声と歴史的意義にまつわる謎を解き明かすのが、この探検の目的です。徳川秀忠の評価と日本史への貢献の謎を解き明かし、彼の評価とその意...