日本らしさ– category –
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【書評】小野篁:知られざる魅力と歴史|平安時代の天才詩人の足跡
小野篁の概要と歴史的重要性 平安時代初期から前期にかけて活躍した小野篁(おののたかむら)は、延暦21年(802年)に生まれ、仁寿2年(852年)に51歳でその生涯を閉じた漢学者・詩人・官僚です。 彼は嵯峨天皇から仁明天皇、文徳天皇に至る六代の天皇に仕... -
書評:神野志隆光『「日本」とは何か』―国号が映す歴史的アイデンティティの変遷
国号「日本」の不思議とその核心 「日本」という国号は、古代から現代まで使い続けられてきたのに、なぜ「日本の意味は?」と聞かれると誰も明確に答えられないのか。 学校でも教えられず、明治維新で近代国家が形作られる際ですら、その意義を深く問われ... -
神功皇后が敦賀から出航した理由とは?氣比神宮と新羅征伐を結ぶ歴史の真実
「神功皇后」 佐々木尚文 筆 結論からお話しします! 神功皇后といえば『三韓征伐』 夫である仲哀天皇がなくなった後、皇后自らが海を渡り三韓を征伐に向かったことで有名ですよね。 では、神功皇后はどこから出航しかというと、敦賀からなんです。 ここ... -
【武士の誠実さ】潮田又之丞の最後の約束:人生の教訓と対話
潮田又之丞という人物がいた。赤穂浪士の一人。彼は、友との約束を死の間際まで忘れずきちっと果たして死ぬ。日本には高潔な心をもつ人物がたくさんいたことを誇り、子供たちに伝えたい。 -
特攻隊員、ヤクザ組長、映画スター: 安藤昇の衝撃の人生と伝説
昭和の激動の時代を生き抜いた一人の男、安藤昇。その波乱万丈の人生は、現代を生きる私たちに多くの示唆を与えてくれます。本ブログでは、特攻隊員からヤクザ組長、そして映画スターへと転身を遂げた安藤昇の生涯を紐解きながら、彼の人生から学べる教訓... -
「日本」が「日本」という国号になったのは いつからか
日本が日本になったのはいつか。荒く言って6説ある。① 推古朝説(601~607年ごろ)② 孝徳朝説(大化の改新645年ごろ(③ 斉明朝説(659年ごろ) ④ 天智朝説(670年ごろ)⑤ 7世紀後半説(670年~702年の間)⑥ 8世紀初頭説 ア)文武朝説(702年ごろ)イ)元明朝説(712~720年ごろ) 私個人は、7世紀後半説で天武・持統朝の680年から690年代と考える。 -
国学の四大人の一人『賀茂真淵』の国学とは、そして復古神道とは
賀茂真淵は「度量の広い人」と言われる。本居宣長のわがままを許し、主である田安宗武とも平気で論争する「ますらおぶり」。小気味よい人物であり、日本の宝の一人と言って間違いない。 -
【朱子学・陽明学・古学の違いは何か】、『山鹿素行学(古学)』を視点として
日本の気品は、江戸期の学問によるところが大きい。その中でも、江戸初期の儒学者、林羅山の朱子学、中江藤樹の陽明学、そして山鹿素行の古学は、その後の日本人の生き方に大きく影響した。しかし、朱子学と陽明学と古学は、どこがどう違うのか。それぞれの工夫の対象(学問上の追究対象)にポイントを絞り、違いを解説。 -
『「道元」の自力本願』、親鸞と真逆の教えを説く
鎌倉初期、『日本を創った思想家』を三人に絞るとすれば、『空海・親鸞・道元』であろう。道元は、「自分の教えは、民衆に受け入れられる必要はない。ごく少ない人数でよい。お釈迦様のなさった修行を、自らも行いたいという志をもった者だけが、修行を通して自力で自らを救う。」と、他力救済を説く親鸞とは、真逆の『自力救済思想』を示した。 -
親鸞は僧でありながら、なぜ日本で初めて結婚したのか
『比叡山や興福寺のみならず、世間の人々が、あなたの敵になるでしょう。それでも、結婚する覚悟はあるか?』法然は静かに言う。『それで、お師匠様が教えてくださった真実の仏教が、世に明らかになるならば、私はやります。』親鸞31歳、日本で初めて僧侶でありながら公然と結婚をし、肉食を実行した僧侶であった。