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べらぼう第44話『空飛ぶ源内』平賀源内生存説が蔦重を救い敵討ちへと誘う

こんにちは、なおじです。

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第44話『空飛ぶ源内』

いやぁ〜、これは参りましたね。

相良凧から始まる源内生存説、そして松平定信の敵討ちへの招待——。

もう、ここまで来て、「べらぼう」というタイトルの意味がようやく腹に落ちた気がします。

べらぼうに面白い、べらぼうにややこしい、そしてべらぼうに深い。

さがらだこを蔦重に見せる男
目次

失意のどん底から——「平賀源内生存説」という希望の光

冒頭の蔦重(横浜流星)とてい(橋本愛)、本当に沈んでましたね。

死産の悲しみ。歌麿との決別。それに伴う店の衰退……。

もう、蔦屋は潰れるんじゃないか、そんな空気が吉原にも流れてました。

教師時代、こういう生徒、何人も見ましたよ。

成績が下がった。試験に落ちた。

そんなとき、子どもたちの目って、本当に暗くなるんです。

まるで希望の光が消えたような、そんな表情。

蔦重とていの顔を見ていて、ああ、あの頃の生徒たちと同じだなぁって思わず身につまされました。

ところが——駿府生まれの重田貞一(井上芳雄)という若者が現れたときから、空気が一変するんです。

その男が持っていた「相良凧」。

源内が作ったというその凧を見たとき、蔦重の目がキラッと輝く。「源内先生が……生きているのでは?」

史実に残る「平賀源内生存説」とドラマの巧みな繋がり

ここでちょっと説明させてください。

実は「平賀源内生存説」って、史実として語り継がれている伝説なんです。

源内は安永8年(1779年)12月18日、江戸の小伝馬町牢屋敷で獄死した——というのが公式記録。

享年51歳。

酔った勢いで人を傷つけ、牢に入れられて破傷風で亡くなったとされています。

でも、ここからが面白いんですよ。

杉田玄白らの手によって葬儀が行われたんですが、獄死人だったため幕府の許可が下りず、墓碑もなく遺体もないままの葬儀だったという記録が残ってるんです。

——遺体がない。

この一点が、後世の人々の想像力をかき立てました。

源内は本当は死んでないんじゃないか?

田沼意次が源内を救った?——遠州相良への逃亡伝説

明治時代の文献(水谷不倒『偉人史叢 第6巻「平賀源内」』明治29年)には、こんな記述があります。

「田沼意次が源内救出を画策し、麻薬で仮死状態にして牢死を偽装。遠州相良へ匿った」

相良(現在の静岡県牧之原市)は、田沼意次のかつての領地です。

そして実際に、牧之原市には源内が住んでいたという場所がいくつか伝わっているんです。

須々木原という茶畑に囲まれたのどかな場所に草庵があったとされ、その後、相良城に近い前浜の屋敷に移ったといわれています。

地元の人々は、今もその通りを「源内通り」と呼んでいるんですよ。

さらに驚くのは、牧之原市には「平賀源内の墓」と伝えられる墓石が実在すること。

墓石には「寛政11年(1799)4月23日没」と刻まれています。

これが事実なら、源内は通説の獄死(1779年)から約20年も長生きしていたことになります。

ドラマと史実の見事な重なり

このドラマの巧みさ、分かりますか?

相良凧という史実の小道具を通じて、蔦重が「源内生存説」に辿り着く——この展開は、実際に江戸時代の人々が抱いた期待と重なってるんですね。

「源内のような天才が、こんな形で死ぬわけがない」

そんな願いが、江戸の人々の間で囁かれ、やがて「遠州相良で医者として暮らしている」という伝説になっていった。

蔦重とていが、相良凧を見て希望を取り戻すシーン。

妻のていの顔を見てください。あの瞬間、失われていた光が戻ってくるのが分かるんです。

人間って、ちょっとした「謎」や「期待」があれば、ここまで元気になるんですよね。

まるで、暗闇の中にポツンと灯りが見えたような、そんな感じ。

そしてその「期待」は、史実に残る「生存説」という伝説とぴったり重なっているんです。

——これが、ドラマと史実が織りなす、べらぼうに巧みな仕掛けです。

江戸時代の「SNS」——噂が噂を呼ぶ

蔦重は、杉田玄白、大田南畝、朋誠堂喜三二たちに会い、源内の足跡を追い始めます。

秋田で紙風船を飛ばしたという話。

蝦夷に渡ったという噂。

その過程で、源内という希代の才人にまつわる物語は、江戸中の知識人たちの間にどんどん広がっていく——。

このくだりを見ていて、強く思ったんですよ。

江戸時代の「情報ネットワーク」って、まさに現代のSNSとそっくりですね。

一人の噂が、人から人へ、町から町へ伝わっていく。

その過程で、どんどん話は膨らんでいく。リツイートとリプライの江戸版ですよ、これ(笑)。

平賀源内という希代の才人が「生きているのではないか」という噂は、やがて江戸中の知識人たちの心をつかんでいった。

**SNSの時代に生きる私たちは、この「噂の拡散」の危険性も恩恵も知ってます。

**蔦重たちが感じた「期待」と「確信」。

その先にあるものは——光か、それとも影か。

まあ、ドラマですから、どっちも用意されてるんでしょうけどね。

「相良凧」という小道具の巧みさ

ところで、この「相良凧」という小道具、気になりません?

調べてみたんですよ。

相良凧は実在する伝統工芸です。

静岡県牧之原市に伝わる凧で、**平賀源内が長崎遊学で得た知識をもとに考案したとされています。

**ビードロ糖(ガラスの粉末を糊に練り込んだもの)を使った独特な製法。

凧合戦用として、江戸時代から愛されてきました。

ドラマ制作陣、本当にうまいことやるなぁって思いません?

架空の装置じゃなくて、史実に基づいた小道具が、源内生存説の「証拠」として機能している。

これって、視聴者は「相良凧は実在したんだ」という知識と、「源内が作ったのかもしれない」という期待が重なって、より深くドラマの世界に引き込まれましたよね。

嘘はつかないけど、本当のことで幻想を生み出す。

——まさに蔦重がやってることと同じじゃないですか。

いやぁ、脚本家もべらぼうに巧みですね。

「死を呼ぶ手袋」——話は急転直下へ

話は、ここから急転直下します。

蔦屋の戸口に置かれていた『一人遣傀儡石橋』という草稿。

その内容は、源内が以前書いた『傀儡好きの大名』の続編でした。

「死を呼ぶ手袋」。「七ツ星の龍」。「源内軒」——源内先生が書いたにほかならない。蔦重は確信します。

指定された寺に向かった蔦重が見たのは、松平定信、長谷川平蔵、三浦庄司、高岳といった、一見関係のなさそうな人々。

彼らは、ある殺人事件の真犯人を追っていたのです。

それが——徳川家基の毒殺。

表面上は鷹狩の事故とされていましたが、実は大崎という人物が毒を仕込んだ手袋を使った計画的な殺人だった。

ここでタイトルの「死を呼ぶ手袋」ですよ。

まあ、現代なら手袋なんかしなくても毒は盛れるんでしょうけど、江戸時代ならではの「小道具殺人」ですね。

凝ってます。

「傀儡」——操られていることに気づく恐怖

ここからが、このドラマの本当の恐ろしさなんですね。

松平定信たちは、気づかぬ間に「傀儡」にされていた。

毒の手袋が定信の手を経由して家基に渡り、それが後に疑惑の対象になる可能性があった。

つまり、彼らは大崎という「傀儡師」に操られていたんです。

教師時代、こんなことがありました。

同僚との関係の中で、表面上は協力関係にあっても、実は誰かの思惑で動かされていたんじゃないか。

そう気づくことが。

気づいたときの怖さ。

「自分たちは本当に自分で判断していたのか」という疑い。

それって、もう取り払うことができない不信感になっていくんです。

人間不信とまでは言いませんけど、ちょっと周りを疑いたくなる。

蔦重は誘われます。

「蔦屋よ、我らとともに敵を討たぬか」と。

でも——ここですよ、ここ。

蔦重が「敵討ち」に乗るのか、それとも別の道を選ぶのか。

商人である蔦重が、武士たちの復讐劇に巻き込まれていく。

その先が本当に気になります。まあ、次回見ればわかるんですけどね(笑)。

期待と現実——人生はいつもその間で揺れ動く

蔦重とていが源内生存説に希望を見いだし、元気を取り戻していく。

その過程は、本当に人間らしくて、温かくて、こちらまで嬉しくなるほどです。

でも、その同じ人たちが、敵討ちの誘いという冷酷な現実に直面する。

人生って、いつも期待と現実が共存してるんですよね。

希望を持った瞬間に、現実が足を引っ張る。

でも、だからこそ人間は強くなれるのかもしれません。

蔦屋という商人が、源内生存説という希望に包まれながらも、松平定信の敵討ちという暴力的な現実に引き込まれていく。

その葛藤こそが、このドラマの本当の物語なのかもしれませんね。

次回第45話「その名は写楽」では、蔦重がどのような決断を下すのか。

残り5回という終盤に向けて、物語は本当に目が離せなくなってきました。

——まあ、毎週「目が離せない」って言ってる気もしますけど(笑)。

でも今回は本当ですよ。

源内が生きてるのか、敵討ちはどうなるのか、そして写楽は誰なのか。

べらぼうに気になります。

凧上がる 死んだ源内 生きてをり

さがらだこ

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