2022年8月– date –
- 常陸佐竹氏
第5代佐竹秀義、西金砂山城の戦いで頼朝に敗れる
途中本当に岩が落ちてくるのではとハラハラしながら西金砂山を登ってみました。これを攻めるのは難しい。その西金砂山城の佐竹vs頼朝軍の攻防について - 常陸佐竹氏
平家と結び付いた佐竹昌義、皇嘉門院と結び付きさらに家勢を高める
昌義は常陸大掾と血縁。勢いに乗る昌義は、下総の有力者に自分の娘を嫁がせ下総国にも進出。さらに次男義宗を上洛させ、皇嘉門院に仕えさせた。 - 常陸佐竹氏
佐竹昌義は、何のために常陸佐竹に入部したのか
佐竹家譜によると、「勅詔(ちょくしょう)に因って常州に下向した」とあります。つまり昌義は、天皇の命令で常陸入りしました。 - 常陸佐竹氏
900年間生き残った佐竹家、義光と昌義の根本思想
源義光の墓はどこにあるのか 義光は、京都の武士を目指した義家とは違い、地方での勢力拡大を目指します。基盤の地域は、陸奥の南から常陸の北部でした。 そんな義光に訪れた試練に、源義国との戦いがあります。 義国は、兄義家と足利基綱の娘の間に生... - 常陸佐竹氏
「後三年の役」への参戦で、陸奥・常陸に足場を築いた佐竹家祖の新羅三郎義光
本日のポイント:源義光が佐竹家祖となれたのは、義光の生き残るプラン選択 ○義家は、都の武士に戻ることを選択し、義光は地方武士として生き残ることを選択した。 前九年の役で頼義を勝利に導いた清原氏 頼義の鎮守府将軍としての任期が切れる少し前ま... - 常陸佐竹氏
「前九年の役」で陸奥進出をねらう源頼義に対し、安倍軍の中心人物として立ちはだかる奥州藤原氏の祖 藤原経清
奥六郡は、元々は蝦夷(えみし)の居住地と言われます。その長が安倍氏でした。安倍前総理はこの安倍氏の末裔に当たります。(頼時三男の安倍宗任は降伏して一命を取り留め、平家方の水軍として活躍。平家滅亡により山口に流罪となり山口安倍氏となります。 - 常陸佐竹氏
満仲の3男の頼信は、なぜ常陸平氏と縁を深めることができたのか
本稿のポイント 佐竹氏の祖となる源義光は、常陸平氏と深く縁を結ぶことができた。その遠因はおじいちゃんである源頼信の活躍にあった。満仲の3人の子らは、どうやって源氏の力を高めていったのか。 満仲の後を継ぐ、長兄源頼光 源満仲には3人の男子が... - 常陸佐竹氏
新羅三郎義光の遠祖、源満仲はどうやって武家としての地位を確立したのか
武家として、900年生き残れた家は、数えるほど。岩手の南部家、宮城の伊達家、山口の毛利家、鹿児島の島津家、そして、佐竹家。どうして900年命脈をつなぐことができたのでしょうか。 - 指導法・学習法・記憶法・脳科学
中3公民「人間の尊重と日本国憲法」における小集団による討論会(対話的で深い学び)
「自分の考えを問い直し、深める社会科学習指導の在り方」 研究の概要および索引語 公民的分野の学習において、生徒が自分の考えを問い直し、深めるためには、社会的事象を様々な角度から考察する必要がある。本研究では、中学校第3学年「人間の尊重と... - 指導法・学習法・記憶法・脳科学
対話的な学びを実現させるために、どのような指導が必要か
対話的な学びが成立するためには、 論点が明確になっていること 論点を巡って、発言がつながりながら発展していること が必要。 では、どうすれば?
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